1987年6月に出版された初版太陽の法では、高橋信次霊との最初の霊界通信で交わされた会話の様子が詳細に述べられています。この部分も、1994年改訂版では大幅に変わった部分です。以下に、新旧二つの版から引用して比べてみましょう。
旧版「太陽の法」
しかし、決定的な瞬間がきました。一九八一年六月のある夜のことです。いままで聞いたこともないような荘厳な声が、突然、私の心に響いてきました。そして、高橋信次という人が、私に、通信を開始したのです。この方は、ちょうど五年前に亡くなっており、私は、その方の生前に一面識もなく、その存在すら知りませんでした。
高橋「大川隆法よ。今日、私は、おまえの使命をあかすために来た。おまえは今後、おおいなる救世の法を説いて、人類を救わなければならないのだ」
大川「先生、私は一介の商社マンです。しかも、かけ出しの新入社員です。この私などに、なにができましょう。それとも、お嬢さんがついでおられる、GLAという団体の協力でもせよとおっしゃるのですか」
高橋「GLAは、おまえを必要としない。おまえは、おまえの道を切り拓け。独力で自分の道を切り拓いてゆけ」
このとき、高橋信次と名のる霊は、私の使命と、私がなにものであるかを語りました。
この最後の高橋霊の言葉は、「高橋信次の新復活」のまえがきに書かれていたものと同じです。「高橋信次の新復活」は「太陽の法」初版が出版された1ヶ月前の1987年5月に出版されています。(
大川隆法は高橋信次の後継者を自ら名乗っていた参照)
ここで上記の引用部分をよく読んでみてください。高橋霊の「GLAは、おまえを必要としない。」という言葉は大川隆法の「GLAという団体の協力でもせよとおっしゃるのですか」という質問に対する答えであることがわかります。つまりこれは、「GLAは大川隆法の協力を必要としない」という意味であると捉えるしかありません。ところが新版では以下のように内容が変わりました。
新版「太陽の法」
その高橋信次も、この年の六月、はじめて霊示を送ってきました。内容は簡単なものでしたが、要約すると次のようなものでした。
一 自分は生前、釈迦の生まれ変わりだと説き、かつ、それをほのめかして書いたが、これは間違いであった。関係者にお詫びしたい。
二 あなた(大川隆法)が、釈迦の再来である。
三 指導霊たちに止められていたのに、まわりのすすめるままに、自分はGLAという組織を宗教法人化してしまった。自分の使命は、事業家兼一霊能者までだったのに、宗教にしてしまったために、一九七六年の死後から五年間、妻や長女、弟子たちを苦しめてしまった。まことに申しわけない。
四 以上の理由で、あなた(大川隆法)は、GLAの教義を継ぐ必要も、団体を継ぐ必要もないので、独自の道を歩まれるべきだ。
この時点で、私は、GLAという団体が、高橋信次の死後、空中分解に近い大混乱をまき起こしていたことを十分な情報としてつかみきっておらず、まだ一介の商社マンでした。そのため、高橋信次の問題点を十分に把握していませんでした。
高橋霊の言葉のうち、1番から3番までは、後から付け加えられたものであることがわかります。また、4番に示された高橋霊の言葉に注目してみてください。「GLAは大川隆法の協力を必要としない」という文章の主語が入れ替わり、「大川隆法はGLAの教義や団体を継ぐ必要はない」に変化しています。これは非常に微妙な言葉のすり替えです。
信者の皆さんは、もしも「大川隆法の協力」が「GLAの教義や団体を継ぐこと」を意味するのであれば、文章全体の意味は変わらないのではないかと思うかもしれません。しかしそんなことはあり得ません。なぜなら、大川は高橋信次の娘の高橋佳子が既にGLAを継いでいることを知っていたからです。「お嬢さんがついでおられるGLAという団体の協力でもせよとおっしゃるのですか」という大川の質問に対する答えが、「あなた(大川隆法)はGLAの教義や団体を継ぐ必要はない」というのはあまりにも不自然すぎます。宗教団体に協力をするということと、宗教団体を継ぐということの間にはあまりにも大きな違いがあることに、気がついて欲しいです。
それではなぜ新版の高橋霊は唐突に「GLAの教義や団体を継ぐ必要はない」と言ったのでしょうか?初期の大川隆法が高橋信次の後継者としてデビューしたことを思い出してください。この高橋霊の4番目の言葉は、会の大きな方針転換を信者に知らしめるための言葉なのです。大川隆法は高橋信次の後継者という立場を利用して信奉者集めをし、新団体を立ち上げ、そして1994年になると利用し尽くした高橋信次霊とその信奉者を切り捨てたのです。
もう一度新版の文章を読んでみてください。1番の文章で高橋霊は釈迦の生まれ変わりをほのめかして書いたことに対するお詫びから入っています。2番では釈迦の生まれ変わりは大川であると言い、3番ではさらに宗教団体を作ったことに対して再度お詫びをしています。その後主語が入れ替わった4番を読めば、仮に論理的な意味は同じであったとしても、既に立場は逆転しています。旧版と新版の文章の書き換えの大きな狙いは、大川隆法と高橋信次の立場の逆転にあるのです。
このような不誠実さの漂う言葉のトリックは国のお役人や官僚の文章にもみられますね。私は東大卒の人に特有な文章能力だなぁと感心してしまいます。さらに新版の文章には、ご丁寧にも、私は当時一介の商社マンだったので高橋信次の問題点を把握していませんでした、などと言い訳がましい言葉をつけています。ところが一方、信者の皆さんを混乱させて申し訳なかった、などの謝罪の言葉を述べたことは一度もないのです。高橋信次の霊言で言っていた「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉は間違っていた、釈迦は偉いのだから謝る必要は無い、ということなのでしょう。
このように大川隆法は「自分は悪くない」ということを非常に遠回しに言ったり、教団内の問題を霊の口を借りた上で弟子や部下のせいにする傾向があります。この傾向は最近の離婚騒動で再び顕著になってきたことから、私も最近になってやっと大川隆法の子どもっぽい性格に気がつけるようになってきた次第です。