2013年12月26日木曜日

初めての大講演会:「人生の王道を語る(序論)」を聴きに行く

 手塚治虫のマンガ「ブッダ」を読んで感動していた私は、土屋書店の霊言集も読んでいました。西荻窪の総合本部にも偵察に行ったくらいですから、私は幸福の科学にだいぶ関心を持っていたのでしょう。どの霊言集かはわかりませんが、講演会のご案内、というチラシが本に挟まっていたように思います。そこには幕張メッセで開催される「人生の王道を語る」という講演会の案内が載っていました。この講演会は二部構成であり、前半は序論で初心者用、後半は上級者用といった感じだったように思います。
 当時,霊言集には大川隆法の写真は載っていませんでした。私は、著者の大川隆法がどんな人なのか、どんな話し方をするのかを知りたくて、初めて千葉という、実家からそれなりに離れた土地まで電車で遠出して、講演会に参加することにしました。チケットは、電話で問い合わせて郵送してもらいました。3千円くらいでしたでしょうか。当時は一人で行くのはさびしかったので、弟を連れて行ったのを覚えています。大川隆法の顔を見るのが目的だったので,私達は前半の部だけに参加することにしました。
 1990年6月3日。講演会当日が来ました。会場にはかなりたくさんの人がいるのに驚きました。やがて開演時間がやってくると奉納曲と呼ばれる音楽と、様々な自然の風景の映像が会場に流れ、様々な色の照明が光の演出をしてゆきます。なんだか心が落ち着くのを感じながら、大川隆法の登壇を固唾を飲んで見守る観客達。音楽が終わると,大きな拍手とともに舞台の横から大川隆法が登場し、話しはじめました。思ったより小柄だなーという印象です。会場はかなり広かったため、自分たちの席から見ると大川の姿は非常に小さかったので、モニター画面でしか顔を確認できませんでした。その口調は抑揚が効いていてゆっくりとしていました。
 彼が話し始めると、近くですすり涙を流す人の声が聞こえてくるのに私たちは驚きました。それほどまでに感動するものなのか?と思いながら、やはり、「新興宗教団体の中に入ってしまったんだなぁ」という思いの中、講演内容を聞きました。私は,これほどの多くの人たちが、涙を流すほど感動しているという、その雰囲気に飲まれそうになりました。
 人の心は、いくつかの杭が刺さっている川の流れのようだ。その杭に、ゴミがいっぱいひっかかっているので、悩みが生じる。反省によってその杭を一つ一つ抜くことによって、心は調和され,川の水はサラサラと流れてゆくのだ、そのような心が平静心である・・・
 そんな内容だったように思います。前半の話が終わり、休憩時間に入りました。後半には本論がありますが、私たちは序論だけを聴いて、そのまま帰宅しました。後で聞いた話では、後半の話は「礼・知・信・義・勇」の話だったそうです。前半の話の指導霊は老子、後半の指導霊は孔子ということを聞いたことがあります。このように、当時の講演会には「指導霊」がついていて、話の内容によって指導霊が変わる,と言われていました。これが、私の初めての講演会への参加です。

2013年12月16日月曜日

西荻窪の総合本部を遠くから眺める

 幸福の科学の初期霊言集は、潮文社、土屋書店、幸福の科学出版の3つの出版社から出ていました。潮文社発行のものは善川三郎編であり、一番文章量が多く、対話編が中心でした。土屋書店から出るようになってからは大川隆法著という形となり、霊人が語り下ろすという形式になりました。その後幸福の科学出版からは、霊言だけでなく理論書と言われるものも出るようになりました。
 幸福の科学の書籍の後ろには、活動概要と入会案内が載っていました。当時の総合本部は東京の西荻窪にあり、その地図も載っていたのです。それによると、中央線沿線の西荻窪駅から歩いてすぐの場所でした。私は中央線で高校に通っていたので,当時の総合本部に興味を持ち、近くまで行ったことがあります。
 当時はまだ宗教法人になっていなかったのですが、なにぶん新しい組織ですし、警戒心もありましたから、扉をたたく、などという勇気はなく、そばで様子をうかがうといった程度でした。遠くから総合本部を確認すると,「人生の大学院・幸福の科学」という看板が見えました。
 この言葉は、大学を出た後も、人生ではずっと学び続けなければならないものがある、それが神理である、という意味だったかと思いますが、確か「幸福の科学入門」という本に出ていた言葉で、初期のキャッチフレーズでした。この頃の幸福の科学は特定の神様を信仰しなくても良く、会員は好きな霊人をバラバラに信仰していたように思います。信仰と言うよりも、霊人のファンである、と言ったほうが良いかもしれません。
 しばらく様子を見ていると、中から背広を着た職員らしき人が出てくるのを見ました。たぶん、正心宝と呼ばれるネックレスをぶら下げていたような気もします。この正心宝というのは、キリスト教信者で言うところの十字架のようなもので、Oの中にRが入ったデザインでした。これは大川隆法の頭文字を意味します。
 その職員らしき人は、いたって普通の人に思えました。ニコニコしながら歩いているので、怪しい雰囲気もありません。私は当時,幸福の科学の職員になれるような人は皆悟りを開いており、霊道も開けているのではないかと思っていました。だから総合本部の中に入れば,私に憑いている悪霊を指摘されたり、過去世を当てられたりするのではないかと思っていたので,声をかけたり近づくことはせず、そのまま静かに帰宅したのを覚えています。


2013年12月5日木曜日

太陽の法は私の好奇心を満たしてくれた

 前回まで、太陽の法の旧版と新版の比較を行ったのですが、1987年当時の高校三年生の私にとっては、そのようなことはわかるはずもありません。「太陽の法」では神による宇宙と地球の創造、魂の性質、悟り、アトランティスやムーといった超古代文明の様子などといった、スケールの大きな世界観を説いていました。そこには学校の教科書には載っていない、見たことも聞いたこともない話がたくさん載っていたのです。
 「幸福の科学には高学歴の人がたくさん入っている」という言葉はよく言われました。特に幸福の科学が急成長しているかのようにテレビで報道された時期はそう言われました。会員は、それを良い意味に捉えていました。東大卒の教祖というのは、とても珍しい存在でしたし、受験勉強を肯定し、社会的成功や経済活動を肯定する新興宗教というのは、大学を卒業したいと思っている人にとってはまことに安心できる宗教に思えました。
 しかし一般の人にとっては「高学歴の人が何故、新興宗教に?」という、ネガティブな意味で言っていることが多かったと思います。「幸福の科学?あー、高学歴の人がよくひっかかっているよね」と言われたこともあります。私は「この人はまだまだ新しい宗教に対する偏見があるけれども、幸福の科学は他の宗教とは違う,知的な宗教だということを認めてくださっているのかな」などと我田引水的に考えていました。他人の言葉を都合良く解釈するというのも幸福の科学の特徴です。会員にとっては、「常勝思考」を実践しているつもりなわけですけれど。
 私は最近になって思うのですが、学校という所は、ある意味、信じやすい心を持つ訓練を受ける場所でもあるのではないかと思えます。学校の先生が言うことや、教科書に書いてあることに対して疑問や反発を持つ人は、勉強が遅れます。受験勉強は時間との戦いですから、「呑み込みの早さ」が大事なわけです。勉強の基礎は読解力にあります。私は本をある程度読んでいたので、国語も得意でした。それゆえ、他の科目の問題文も素早く理解することができました。ただし、読む本のジャンルは理科系にばかり偏っていたと思います。
 初期の会員には読書が苦手な人は少ないように思えます。「太陽の法」で書かれていることは、「霊的な世界」の話であるわけですが、その体系化された大量の知識は読書好きな私の好奇心を満足させたのかもしれません。知識は、もっぱら書物から得るのが普通だったし、書物に書いてあることにウソは無いと信じていたからこそ、まるで食べ物を片っ端から食べていくように幸福の科学の本を次々と読んでいくことが可能だったのです。
 しかし私には批判的に書物を読む,という読み方は知らなかった。大人はウソをつくこともあるということや、信用できない人もいる、ということも知らなかった。それどころか、世の中の犯罪者というのは、あのレ・ミゼラブルの主人公のジャン・ヴァルジャンのように、やむにやまれぬ事情があって、心ならずも悪を犯してしまったのである、彼らには同情すべき余地もある、などと考えていたくらいですから、非常に純粋な、ウブな青年だったのを思い出します。先生が言うことや教科書に書いてあることをすんなりと受け入れることができる、という訓練を学校や受験勉強で受けていたからこそ、幸福の科学でも先生=大川隆法主宰先生の言うことを受け入れ続ける姿勢ができたのかもしれません。

2013年11月18日月曜日

高橋信次霊との最初の霊界通信の際に交わされた会話の内容とは

 1987年6月に出版された初版太陽の法では、高橋信次霊との最初の霊界通信で交わされた会話の様子が詳細に述べられています。この部分も、1994年改訂版では大幅に変わった部分です。以下に、新旧二つの版から引用して比べてみましょう。

旧版「太陽の法」

 しかし、決定的な瞬間がきました。一九八一年六月のある夜のことです。いままで聞いたこともないような荘厳な声が、突然、私の心に響いてきました。そして、高橋信次という人が、私に、通信を開始したのです。この方は、ちょうど五年前に亡くなっており、私は、その方の生前に一面識もなく、その存在すら知りませんでした。
高橋「大川隆法よ。今日、私は、おまえの使命をあかすために来た。おまえは今後、おおいなる救世の法を説いて、人類を救わなければならないのだ」
大川「先生、私は一介の商社マンです。しかも、かけ出しの新入社員です。この私などに、なにができましょう。それとも、お嬢さんがついでおられる、GLAという団体の協力でもせよとおっしゃるのですか」
高橋「GLAは、おまえを必要としない。おまえは、おまえの道を切り拓け。独力で自分の道を切り拓いてゆけ」
このとき、高橋信次と名のる霊は、私の使命と、私がなにものであるかを語りました。

 この最後の高橋霊の言葉は、「高橋信次の新復活」のまえがきに書かれていたものと同じです。「高橋信次の新復活」は「太陽の法」初版が出版された1ヶ月前の1987年5月に出版されています。(大川隆法は高橋信次の後継者を自ら名乗っていた参照)
 ここで上記の引用部分をよく読んでみてください。高橋霊の「GLAは、おまえを必要としない。」という言葉は大川隆法の「GLAという団体の協力でもせよとおっしゃるのですか」という質問に対する答えであることがわかります。つまりこれは、「GLAは大川隆法の協力を必要としない」という意味であると捉えるしかありません。ところが新版では以下のように内容が変わりました。

新版「太陽の法」

 その高橋信次も、この年の六月、はじめて霊示を送ってきました。内容は簡単なものでしたが、要約すると次のようなものでした。
一 自分は生前、釈迦の生まれ変わりだと説き、かつ、それをほのめかして書いたが、これは間違いであった。関係者にお詫びしたい。
二 あなた(大川隆法)が、釈迦の再来である。
三 指導霊たちに止められていたのに、まわりのすすめるままに、自分はGLAという組織を宗教法人化してしまった。自分の使命は、事業家兼一霊能者までだったのに、宗教にしてしまったために、一九七六年の死後から五年間、妻や長女、弟子たちを苦しめてしまった。まことに申しわけない。
四 以上の理由で、あなた(大川隆法)は、GLAの教義を継ぐ必要も、団体を継ぐ必要もないので、独自の道を歩まれるべきだ。
この時点で、私は、GLAという団体が、高橋信次の死後、空中分解に近い大混乱をまき起こしていたことを十分な情報としてつかみきっておらず、まだ一介の商社マンでした。そのため、高橋信次の問題点を十分に把握していませんでした。

 高橋霊の言葉のうち、1番から3番までは、後から付け加えられたものであることがわかります。また、4番に示された高橋霊の言葉に注目してみてください。「GLAは大川隆法の協力を必要としない」という文章の主語が入れ替わり、「大川隆法はGLAの教義や団体を継ぐ必要はない」に変化しています。これは非常に微妙な言葉のすり替えです。
 信者の皆さんは、もしも「大川隆法の協力」が「GLAの教義や団体を継ぐこと」を意味するのであれば、文章全体の意味は変わらないのではないかと思うかもしれません。しかしそんなことはあり得ません。なぜなら、大川は高橋信次の娘の高橋佳子が既にGLAを継いでいることを知っていたからです。「お嬢さんがついでおられるGLAという団体の協力でもせよとおっしゃるのですか」という大川の質問に対する答えが、「あなた(大川隆法)はGLAの教義や団体を継ぐ必要はない」というのはあまりにも不自然すぎます。宗教団体に協力をするということと、宗教団体を継ぐということの間にはあまりにも大きな違いがあることに、気がついて欲しいです。
 それではなぜ新版の高橋霊は唐突に「GLAの教義や団体を継ぐ必要はない」と言ったのでしょうか?初期の大川隆法が高橋信次の後継者としてデビューしたことを思い出してください。この高橋霊の4番目の言葉は、会の大きな方針転換を信者に知らしめるための言葉なのです。大川隆法は高橋信次の後継者という立場を利用して信奉者集めをし、新団体を立ち上げ、そして1994年になると利用し尽くした高橋信次霊とその信奉者を切り捨てたのです。
 もう一度新版の文章を読んでみてください。1番の文章で高橋霊は釈迦の生まれ変わりをほのめかして書いたことに対するお詫びから入っています。2番では釈迦の生まれ変わりは大川であると言い、3番ではさらに宗教団体を作ったことに対して再度お詫びをしています。その後主語が入れ替わった4番を読めば、仮に論理的な意味は同じであったとしても、既に立場は逆転しています。旧版と新版の文章の書き換えの大きな狙いは、大川隆法と高橋信次の立場の逆転にあるのです。
 このような不誠実さの漂う言葉のトリックは国のお役人や官僚の文章にもみられますね。私は東大卒の人に特有な文章能力だなぁと感心してしまいます。さらに新版の文章には、ご丁寧にも、私は当時一介の商社マンだったので高橋信次の問題点を把握していませんでした、などと言い訳がましい言葉をつけています。ところが一方、信者の皆さんを混乱させて申し訳なかった、などの謝罪の言葉を述べたことは一度もないのです。高橋信次の霊言で言っていた「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉は間違っていた、釈迦は偉いのだから謝る必要は無い、ということなのでしょう。
 このように大川隆法は「自分は悪くない」ということを非常に遠回しに言ったり、教団内の問題を霊の口を借りた上で弟子や部下のせいにする傾向があります。この傾向は最近の離婚騒動で再び顕著になってきたことから、私も最近になってやっと大川隆法の子どもっぽい性格に気がつけるようになってきた次第です。


2013年11月10日日曜日

初版「太陽の法」で語られていた大川隆法の自伝的内容

 「太陽の法」初版は1987年6月に出版されました.書き言葉であったためか、私には少々読みにくく、どちらかというと私は予言に関心があったためそれほど感動はしなかったです.後に会員になった人に聞いてみると、熱心な信者ほど太陽の法に感動した、という人が多かったようです。この本は幸福の科学の書籍の中で最も大切な本であるという位置づけであるにもかかわらず、現在に至るまでにその内容は何度も書き換えられています。最も顕著に書き換えられたのは、この本の最後の自伝的な内容でしょう。初版で語られていた内容は、もう今では知らない信者が増えているのかもしれません。
 生来、愚鈍で頭の悪かった大川隆法は、小さい頃から努力に努力を重ね,東京大学法学部に一浪してやっと滑り込んだこと。優秀な東大生の中で劣等感を抱き、人と会うと大言壮語をはいていたこと。そんな自分がいやになり、対人恐怖となり、下宿で本ばかり読んでいたこと。赤面恐怖症で女性とも話すことができず、失恋したこと。司法試験や公務員試験にも不合格になったこと。東大に助手として残ろうとしたが、成績不良にしてその道は閉ざされたこと。そして商社に拾われる形で就職したこと。そのようなことが赤裸々に語られています。
 当時、私も大学に入って初めて恋をし,そして失恋したばかりだったので、劣等感に苛まれていました。だから、著者の気持ちに共感するものがありました。他の初期信者の皆さんも,このような気持ちに共感した人が多かったのではないでしょうか?大川隆法の気持ちがよくわかるからこそ、彼がやろうとしている新事業を応援したいと思ったのではないでしょうか。
 私は、この記述はおそらく本当だったのだろうと思います。真実の大川隆法の姿が、素直に表現されていると思います。大川隆法は劣等感の塊だった。そのことは、真実なのだから、何も恥じることはないはずです。しかし、その後、幸福の科学がマスコミとの戦いを開始した後,彼は自分の過去を書き換えてしまいました。
 1994年に改訂された「新・太陽の法」では、小学生の頃から頭が良く、いつもトップクラスの成績だったということになりました。一浪したことや失恋の記述は消えました。大学3年のとき書いた研究論文を読んだ教授からは「君は学者になれば大活躍できるだろう」と言われた,とあります.司法試験の論文式試験で不合格になったのは、あまりにも学問的に成熟した答案を書いたので採点官が後込みしたためであるということになりました。そして総合商社の人事担当者から「三顧の礼」を持って迎え入れられたということになりました。
 いったいどちらの記述が正しいのでしょうか?新版の「まえがき」には「この国のジャーナリストや宗教学者には謙譲の美徳が理解できないようなので,飾らずに率直に書いてみた」と書いてあります。本当は新版が正しかったが、旧版を書いた当時は謙虚に表現した方が宗教的かなと思った、という趣旨の発言も聞いたことがあります。信者は「どちらも正しい」と言うと思いますし、私もそう考えていました。しかしよくよく考えてみてください。こんなにも異なる内容の両方ともが正しいなんてあり得ないのです.少なくとも,大川隆法は時と場合によって自分に都合の良いことしか言わないということでしょう.もしこんなことを他の会社の社長がしたら、許されるでしょうか。政治家がこんなことを言ったら経歴詐称です。ましてや大川隆法は世界宗教を目指す宗教団体のトップなのです。
 今になって気づいたことですが、謙譲の美徳とはウソをつくこととは違います.飾らず率直な文章とは旧版の文章のことを指すのであって、新版の文章こそが飾った文章であるとしか思えません。自分に自信があるのなら、どうしてこんな180度違うことを書く必要があったのでしょうか? その理由は劣等感が全く癒えていないからではないでしょうか。「人と会うと大言壮語をはく」という性格が、新版の文章を書かせたと考えると、とても良く納得できるのです。

追記:

あまりにも学問的に成熟した答案を書いたら、普通は合格するはずじゃないでしょうかね。普通の人の感覚ならあまりにも非現実的な話であると簡単に気がつくのですが、会員はもっともっと非現実な話を信じることに慣らされているので、この文章の胡散臭さに全く気がつくことができないのです。

2013年10月8日火曜日

幸福の科学の信者が持つ世界観

 幸福の科学の霊界論によれば,あの世の世界には時間が存在せず,地獄以外の天国は常に昼間であって夜がなく,霊人は太陽の光を浴びている.この霊界にある太陽は「霊太陽」と呼ばれ,霊人が活動するためのエネルギー源になっている,とされています.5次元善人界の人たちは,この「お天道様」に手を合わせて感謝をしている.これが信仰心の始まりであると言います.この「神様に対する信仰と感謝」が人間の魂を生かしているし,自分が「善の側」あるいは「神の側」の立場に立っていることの条件にもなっているわけです.
 一方,地獄霊は「悪想念」を心から黒い雲のように出しているため,それが霊太陽の光を遮り,4次元世界の一部に真っ暗な地獄界を形成している.彼らは霊太陽からのエネルギーを受けられないため,地獄霊は3次元世界(この世)に頻繁に出てきては,地上の人間に取り憑き(憑依と言います),この世の人間が出す「悪想念」を自らのエネルギー源としている.生前,地獄霊にずーっと憑依されていた人は,例えこの世で幸福そうな生き方をしたとしても,死後は地獄に堕ちることになる・・・.おおざっぱですが,大体このような世界観になっています.
 ですから,信者にとってこの世というのは4次元世界に近いため,非常に悪霊に憑依されやすい世界だと思っています.少しでもイライラしたりすれば悪想念は出てしまうし,それを狙って悪霊もやってきてしまう.心に浮かんだ信仰に対する小さな疑念も,悪想念となるので,悪魔を呼び寄せるきっかけとなってしまいます.
 この世で生活すると言うことは,ちょうど潜水服を着た人が深海に潜って生活するようなもので,中の人が霊に相当し,重たい潜水服に相当するのが肉体です.潜水服を着た人は空気がなければ生きていけないのと同じように,信者は神の光を受けなければ幸福な人生を歩むことはできないと思っています.
 そのため,常に悪い思いが自分から出ないかどうかチェックしているし,幸福の科学の書籍やテープを読んだり,精舎で反省・瞑想をしたり,悪霊撃退祈願をしたりして神の光を受けなければならないと思っています.あるいはリーダー格の信者にとっては神様から受けた光を他の人に与える行為=与える愛の行為が,書籍を他の人に配ったり,月刊誌をポストに配布したり,友達を講演会に誘ったりという行動につながっていくわけです.
 一般の人が信者を理解しようとした場合,この世界観を理解しなければなかなか話が通じないと思います.信者にとって,霊界は身近な世界であり,現実です.「あらゆる出来事の原因・理由を知りたい・探りたい」というのは人間の心の持つ根源的な本能だと私は思いますが,幸福の科学の信者はこの世で起きた様々な出来事をあの世に関連付けて理解しています.つまり,「あの世からの影響が何であるか?」ということを常に意識しているのです.
 一般の人が信者と話をしていて感じる違和感は,あらゆる議論が最終的には「霊界ではこうだから」という,霊能者以外の人には確認のしようがないこと,信じるしかないことに帰着してしまう,そして,そこで議論が平行線となりストップしてしまう,というところから来るのではないかと私は思っています.

2013年10月6日日曜日

当時「あの世」について考えたこと

 1987年は「救世の法三部作」が出版された年でもありました.6月に「太陽の法」,8月に「黄金の法」,10月には「永遠の法」といった具合です.最初、私は霊言集ばかり読んでいたのですが,だんだん読む本がなくなっていったときに,やはり著者である大川隆法の「理論書」にも手を出し始めることになるのは自然なことでした.
 最初に手に取ったのは,「永遠の法」です.これは死後の世界(あの世,霊界)について述べたものです.幸福の科学では「この世」を3次元と呼び,「あの世」を4次元から9次元の世界まで,たくさんの階層に分けています.そして、人間は死後、生前の心と行いに応じた世界に還ると説いていました。
 私はリアルタイムになされる霊言によって、あの世のことをある種のリアリティを持って感じていましたので、その頃はこの本の内容をずいぶんすんなりと受け入れていたかなと思います。ただ、縦、横、高さの3つの次元に加え、第4の次元を「時間」としたのは良いとしても、第5の次元を「精神」、第6の次元を「神理知識」、第7次元を「利他」、第8次元を「慈悲」、第9次元を「宇宙」・・・といったような精神的な要素を当てはめたことにはやや違和感を持ちました。精神的なものはその精神を持った人間が頭の中に思い浮かべるものであって、それが人間の外部にも存在するかのように語るのはいかがなものか。それを果たして本当に「空間」の説明に使えるのだろうか?
 ところが様々な霊言集に登場した霊人の言葉によれば、霊界とは精神の世界であり、見る人によって見え方が異なる主観的な世界であるということでした。そうすると、第5次元以降を精神的な要素で表現するためには、精神的な現象、例えば「想念」とか「表象」、「夢」といったものも、具体的な現実でなければならないのではないか。
 唯識には「一水四見」という話があります。人間にとって川に見えるものは魚にとっては住処であり天人にとっては水晶の床、そして地獄の餓鬼にとっては燃え上がる膿の流れに見える、と。つまり、霊界は主観的な世界だけれども、存在しないわけではなく、必ず認識できるのではないか。もしそうなら、いつの日か、あの世を科学的に解明できる日が来るのではないだろうか、と考えたりしました。あの世の探求と解明―それは、21世紀の大きなテーマになるのではないか?と期待が膨らみました。
 シュタイナーの「いかにして超感覚的世界を認識するか」という本などを一生懸命読んだこともありました。やはり霊界を認識するためには、この世に囚われたものの見方から離れて、あの世を見ようとする訓練をしなければならないのではないだろうか。そのためには、高橋信次先生の言うように「心の曇り」を取り払い、神の光が差してくるような心理的状態になる必要がある。そうなろうとして、家で独りになり、深呼吸をして、反省・瞑想の真似事をしてみたりもしました。
 私は、亡くなった祖父が火葬場で焼かれるのを見ていました。人間の最後の姿は空に立ち昇る煙と、白くなった骨と灰。それで全てが終わってしまうのだろうか。それはあまりにも寂しすぎるのではないか。もしあの世があり、祖父は死後も霊として生き生きと生活し、5次元の世界で幸せに暮らしているとしたら、そのような世界観のほうが楽しくはないだろうか。今まで誰もなしえなかったあの世の証明を、彼はしようとしているのかもしれない。このように考えて、私はますます大川隆法の本を読み進めていきました。

2013年9月28日土曜日

「やがて関西から若い青年が現れる」という予言は本当にあったのか?

 高橋信次霊のことをブログに書いているうちにわかったことは,当時の私は「高橋信次霊ファン」であったが「生前の高橋信次」に興味関心は全くなかったということです.それゆえ,あれから20年以上経った今になって,やっと生前の高橋信次について調べてみる気になりました.

 まず,生前の高橋信次は「やがて関西から若い青年が現れる」という予言を本当にしたのだろうか?という疑問があったのですが,どうやら本当のようです.次のホームページ「真我の探求と高橋信次という方」を見ると,そのことが書かれています.

さて、問題の「やがて関西から若い青年が現れる」という予言は、1974年頃からたびたびご発言されることがありました。
(中略)
そうした「関西から現れる若い青年」になりたいという志願者(笑)が何人も現れ、
「我こそは・・・・」という状況になりました。
当事者の方はともかく、周囲の方がそのように考えたかったのかも知れません。
そうした点で選挙の支持者や後援会によく似ています。(笑)
関西本部では、本部長のK氏を、しかし残念ながら、決して若くはありませんでした。(笑)
また、関西本部のN氏は、信次先生の妹さんが支持されたために、「我こそは…、」となりました。
しかしこの方も決して若くはありませんでした。
さらには、東京でも、「関西というのはまちがい、横浜と言われていたのもまちがい、京浜地区だった…
青年というのもまちがい、本当は女性で大学生…」というGLA開設時からの予言と合体させた新解釈を強く主張される方も現れました。
そのずっと後のことですが、GLAの外側からも新解釈登場で、
「K会のO主宰のことだ…」という主張も出てきました。
K会の初期はGLAを脱退した方々が中心になって作ったようなもので、そうした方々も、
「やがて関西から若い青年が現れる」という先生の予言を知っていたからです。(笑)
しかし、この方は関西ではなく四国でしたので、「関西ではなく、関西方面のまちがいだったのだ」という解釈でした。

 この「K会のO主宰」とは,幸福の科学の大川主宰のことでしょう.私は,関西とは大阪・京都・兵庫・滋賀・奈良・和歌山を指していると思っておりましたが,「関西方面」という言い方では上記に加え,福井・三重・徳島などを含める場合もあるそうです.もしそうであれば,大川隆法の出身地は徳島ですので,広い解釈を取れば出身地を偽ったわけではないのでしょう.いずれにせよ,大川隆法は初期の頃,GLA内部で起きていた高橋信次の後継者争いに外部から加わったのだろうと思われます.

 生前の高橋信次は言うことがコロコロと変わることがよくあったようです.「関西の青年が現れる」という予言だけが後継者を指名していたのではなく,GLAの設立当初から,後継者が指名されていたという話もあります.また,上記で引用させて頂いたページには,こんな話も出ています.

 高橋信次先生がある時、関西から若者が出てくると言われました。わたしとS氏が呼ばれたとき、すでにその話は伺っていましたので、すぐにピンときました。わたしとS氏が伺ったときはもっと詳しく、関西方面というのは四国出身で、その方の父親はSという宗教団体に入っていて、そこの講師である…、その若者とあなたたちは一緒にやるようになるだろう…と言われました。・・・・しかしその後(2~3年後?)、事務所が八起ビルの地下に移って間もない頃、「見ていなさい、その人間は真っ赤な偽物である…。金襴緞子(きんらんどんす)の格好をして皆の前に現れるよ。菩薩だ、如来だといわれるような方は決してそんなこけおどしの格好などはしないよ…」と言われました。 
 また、外国に生まれていると言われた方を、すでにこの日本に今いると訂正されたこともあります。また、同じ過去世の方が二人出てきてしまったりしたこともあります。高橋信次先生でさえ、徐々にわかってくることも、決して少なくはなかったのです。「…過去世というものは、最終的には、本人が自覚して思い出さなければわからない…」と言われたこともあります。 

 私はこれ以上深く調べることはできませんでしたが,GLAと初期の幸福の科学はとても似ているという印象を持ちました.そして,宗教団体のトップの言葉がコロコロと変わると,信者はそれに振り回されてしまい,さらには教団の分裂や後継者争いに至るのだと思いました.大川隆法はこの高橋信次を非常に良く研究していたと思います.だから分裂や混乱を防ぐために非常に気をつけるようになったのだと思います.

2013年9月22日日曜日

大川隆法は高橋信次の後継者を自ら名乗っていた

 今月は高橋信次の話ばかりなので,ちょっとしつこいかもしれないのですが,高橋信次霊に関連する資料というのは今後どんどん減っていくし,忘れられていくと思われます.幸福の科学がどのように設立されたか,という情報についても,当時の様子を記録しておかなければ,過去を書き換えられる可能性もあるのです.ですから,私は当時のことを覚えているので,できるだけ思い出しながら,ここに記録しておきたいと思います.それは,「ほんとうのこと」を知りたくなった人のためでもあると思っています.

 さて「高橋信次の新復活」は土屋書店から出版されており,その時期は1987年5月です.この本の中で大切だと思われる部分は,高橋信次の2つの使命です.それは以下の2つです.

  • 第1段階 釈迦仏教の再現
  • 第2段階 天上界からの地上の人びとの指導

 釈迦仏教の再現というのは,高橋信次の生前の仕事を指します.彼は生前「八正道」を重視し,反省をすることで「心の曇り」を取り除けば霊道が開ける(天上界の守護霊との通信ができるようになる),と語っていました.そして,GLA信者は高橋信次こそ釈迦の再来であると信じていたのです.ところが,高橋信次は亡くなる間際になって,自分は実はエルランティだ,と言い始め,そして間もなく亡くなってしまったのです.確かに,これではGLA信者は混乱してしまいますね.

 この本では,霊となった高橋信次が,自分は釈迦ではなかった,実はモーゼやマホメットに啓示を与えたエルランティ(エホバ,アラー)であったと語りました.これは生前の高橋信次の言葉を踏まえたものでしょう.その上で,高橋信次霊は,エルランティという魂があるということを教えるために現代日本に肉体を持ったのであると説明しました.

 次に,天上界からの地上の人びとの指導というのは,霊言集を出しつづけることを指しています.以下に,一部を引用します.
 そして次なる私の仕事は、天上界にいて地上の皆さんを指導すること。この第二段階目の仕事が、私の本来の仕事なのです。このために私は地上に肉体を持ち、このために私は四十八歳という働き盛りに短い人生を終えたわけです。
 そして第二段階として、私の後に偉大な指導霊を出したわけです。彼自身でも十分、法を説いていく力があるけれども、それにもまして、その前の段階から出た私が、天上界から直接のメッセージを送ることによって、その力を二倍、三倍にしようというのが、今回の計画だからです。そして私は、その本来予定されていた事業に今とりかかりつつあります。これが私の本来の目的だったからです。
この「私の後の偉大な指導霊」とは大川隆法を指しています.これを読んだGLA信者はどのように思うでしょうか?彼らは高橋信次の死後,最後の講演の意味を考え続け,もう聞くことができなくなった先生の言葉を熱望していたはずです.そうか,そういうことだったのか!高橋先生は大川隆法という青年に法灯を託したのだ,と思うはずです.こうして大川隆法はGLAの教義を引き継ぐとともに,GLAの混乱をうまく利用してGLA信者をも取り込んだと思われます.

 大川隆法が高橋信次の後継者であることは,まえがきにおいても,大川隆法自身の言葉によって以下のように語られています.
 羊飼いは還ってきたのです。一九七六年六月にこの世を去るに際して、「五年後に大いなることが起きる。関西の若者が現れて大人たちに法を説く日がくる。その者が私の法を継ぐだろう」と言われた高橋信次氏の予言は成就したのです。
 ちょうど五年後、一九九一年六月二十五日、関西出身の二十四歳の私に、同氏の霊示が臨んだのです。同氏は語りました。「GLAはおまえを必要としない。おまえはおまえの道を歩め。独力で自らの道を切り開け。そして人類を救うのだ」と。
実は大川隆法は関西出身ではありません.四国出身です.ですが,当時はそのことを隠していたようです.これを些細なことだと思いますか?しかし一般社会では,ウソをついていた,と言われても仕方がないレベルです.

ところで,この本のあとがきには,こうあります.
 すなわち、同氏亡きあと、メシア信仰へと急傾斜していったかの観のある後継団体や、その流れをくむお弟子さんのいくつかのグループに対して、人間は決して生き神様や崇拝の対象になってはならないということを、高橋信次氏は戒めておられるのではないかということです。
 神理はやさしい言葉で、しかも謙虚な態度で、伝えることができるはずなのです。本書以外の霊示でも、同氏は何度も繰り返して私に、「人間は過去世に偉い人であったからといって、今世も偉い人だとは限らない。その人の心と行いが調和され、本当に多くの人びとを救い得てはじめて偉い人だといえるのだ」と説かれています。この教訓を大切にしていこうではありませんか。
当時の私は,この文を読んで,幸福の科学はおかしな方向には行かないだろう,まともなことを言っていると思い,安心感を覚えたものです.しかし,現在の大川隆法が崇拝の対象となっていることを誰が否定できるでしょうか?そして,もし本当に人間の偉さが過去世にあるのではなく,心と行いにあるのだとしたら,どうして様々な幹部の過去世が偉い人であったということを霊言で明らかにしなければならないのでしょうか?


2013年9月16日月曜日

高橋信次最後の講演「新復活」の意味

 GLAとはGod Light Assosiationの略で,高橋信次が1969年に設立した宗教団体です.彼は講演会で霊道現証を行うことで有名だったようです.信者にも古代霊の言葉など、様々な異言をしゃべらせていました.しかし教祖が48歳の若さで1976年に亡くなった後,教団はいくつかの派に分裂し,後継者争いがありました.混乱の中,信者は心の拠り所を失って迷っていました.そんな中,1986年に「高橋信次霊言集」が出て,その翌年には「高橋信次の新復活」が幸福の科学から出版されました.
 この新復活というタイトルには元GLA信者にとっては特別な意味があったと思います.「復活」とは,この本の中でも説明しているように,道半ばで急逝した光の指導霊・高橋信次が,霊言という形を取って,かつての弟子の前に復活したという意味で,キリストの復活に匹敵するような人類史上の大事件並に重要な出来事であるという認識でした.このとき私はまだ信者ではなかったので,どこか小説を読むような感じで受け止めていたわけですが,GLA信者にとっては,もっともっと大きな衝撃だったはずです.

 最近になって知ったのですが,高橋信次が亡くなる前の最後の講演会の演題が,この「新復活」だったようです.ネットで調べると,その講演を読むことができます.その内容を知った上で,改めて「高橋信次の新復活」を読んでみると,なるほど,まさに「信次先生が,大川先生に降りて来た」と信じたとしても不思議ではない気がします.ましてや,高橋信次は生前,信者を前にこういう「霊道現証」をいつもやっていただけあって,GLA信者にとってみれば霊言が降りると言うことに抵抗は全くありません.まさに師と弟子の感動の再会,涙の再会であったに違いありません。

 高橋信次最後の講演「新復活」では,3億6千年前の地球の創世記が語られています.講演日は1976年6月となっています.その内容は結構長いので,私なりにかいつまんで述べるとこうなります.人類はベーター星から反重力光子宇宙船(UFO)に乗って地球にやってきた.その時の長がエルランティーで,聖書で言うところの七大天使を引き連れてやってきて,エデンの園を建設した.6千人のベーター星人が地球で調和された世界を作った後,第二艇団が地球に来る.その時エルランティーは天上界へ帰った.
 しかし第二艇団で来た人々の一部は物,肉,物質欲におぼれる人も出てきた.それらの人々を救うため,エルランティは天上界よりルシフェルという天使をサタンという名で地上に送り込むが,堕落してしまい,死後地獄に堕ちて地獄の帝王になってしまう.その後エルランティは多くの光の天使達を地上界に送り込んだ・・・,と述べています.この中に,カンターレという「光の天使」が登場します.ホームページ「高橋信次先生の法を学ぶ会」から、一部引用させて頂きます.
 こうして多くの天使達は、天上の世界からこの地上界の動きを観察し、神の子に戻すために、多くの光の天使達をこの地上界に送りました。(約一万年前)エルランティー自身は、後、アガシャーという方を、光の分霊です。この方を送ります。更にまたカンターレという方を送ります。後のゴーダマ・ブッタです。ゴーダマ・ブッタ、天上界ではカンターレといっています。お釈迦様とはいっていません。ゴーダマ・ブッタ。アガシャーは後のインマニエル・イエスキリストです。モーセはモーセです。
この講演では,エルランティーが天上界の中心的存在であり,その下にアガシャー(イエスキリスト),カンターレ(ブッダ),モーゼや他の七大天使がいるという位置づけになっています.このランク付けの部分は,今の幸福の科学の見解とは異なる部分ですが,それ以外の話は「太陽の法」などで書かれている内容とほぼ同じです.
 この講演の最後のほうにも,以下のような部分が出てきます.
 こうして太陽系霊団というのは、光の直系としてエルランティーを中心に、エルランティーは、その時代、時代によって、ある時にはヤハベを名乗り、ある時にはエホバを名乗り、ある時には、また梵天を名乗り、また更にマホメットの時にはアラーを名乗りました。
「キリストの霊言」に出ていたキリストが,天の父=エホバ=アラー=エルランティーと答えていたことも,やはり高橋信次の話を前提としていたと見ていいでしょう(「キリストの霊言」に出てくるキリストが語る「天の父」参照).時間的な順序から考えても,やはり初期の幸福の科学の教義は高橋信次の教義を下敷きにしていたと言って良いと思います.

2013年9月15日日曜日

高橋信次霊が愛と執着について語る様子に共感

 私が高校を卒業し,大学に入学したばかりだった頃かと思います.18歳で実家を出て,遠く離れた場所で初めての一人暮らしだったので,不安でいっぱいでした.自己意識としては,自信がなく,劣等感も持っていました.
 大学1年生の頃,私は初恋をしました.中学・高校は男子校だったので,女性とは話したこともありませんでした.皆さんも経験がおありかと思いますが,好きになると,本当に相手の目を見ることさえできず,緊張してしまって言葉も出てきません.勇気を出して一度デートに誘ったのですが断られ,すごく落ち込みました.よく考えれば振られたうちには入らないのですが,私としては振られたと思い,これで彼女に会うのがなんだか気まずくなってしまい,ズルズルといつまでも気持ちを引きずりました.当時はものすごく劣等感が深かったからでしょう.今となっては些細なことなのですが,当時はすごく悩み,劣等感を深めました.そんな時,「高橋信次の天国と地獄」の以下のような部分に,すごく共感したのを覚えています.
 皆さん、ご経験があるでしょうか、読者のみなさんはねえ。女性にふられてねえ、下宿の二階で「あーあ、なんとかちゃーん」ね。「良子ちゃーん」「桂子ちゃーん」ね。「ミカちゃーん」なんてね。「あー僕は恥ずかしいー」ってね。「ミカちゃーん」なんてね。こういう気持ちがあるでしょうか。どうでしょうか、わかるでしょうか。ふられてねえ、もう一年経って「あー」なんてね。下宿の二階で時どき遠吠えしたりしてね。四つん這いになって、六畳の部屋四つん這いで這い回ってね。「あーあーあー」なんてね。「恥ずかしい」なんてね。こんなことをね、思った経験、言った経験がみなさんありましょうかね。
 そして最後のデート誘って、映画館に入ろうとしてね。「僕と結婚しない?」なんて言って、「なにバカなこと言うのよー」なんて、「私は他にいい人いるわ。あんたなんて遊びよー」なんて言われてカクーッときてね。そして、ものすごくふかーく深手を負って、そして下宿の二階で六畳で四つん這いして「アオアオアオー」って、あなた動物の吠え声の真似してね、吠える真似したりして、叫んどると、洗濯物干しとった下宿の奥さんが心配してね。「どうしたのー、どうしたのー」ってね。「信次ちゃん、どうしたのー?」ってね。「春雄ちゃん、どうしたのー?」「春雄ちゃん、気でも狂ったの。頭、大丈夫?」「いや、奥さん大丈夫ですよ。僕、心配ないです」「でも今、『ミカちゃーん』とか、ねえ、『エリコちゃーん』とか言って叫んでなかった?」って。「いや、そんなことないです。あれはあのう、学園祭で今、あのう劇やっててその稽古してるんですよ、そうですよ」「春雄ちゃん、本当?」「そうですよ、僕、大丈夫ですよ。正常ですよ」って。「でも、その割には、夜中に時どきワオーワオーって吠え声が来るんじゃない?」なんてね。まあこんな瞬間もあったでありましょう。
 まあそういうことでね、愛と言うにはなんか悲しい執着をね、私は感じます。だから、天上界に還って今、思うのにね、地上に出ている男女がね、みんな愛が成就されてね、思った通りみんなハッピーになっていったらいいなーと思うんだけど、見ていると失恋の方が多いんですなー。悲しい話の方が多くてね、世の中は。苦しみばかりが多い世の中で、なかなか成就せんのですよ。
(注:春雄とは高橋信次の本名のこと)
こういう風に言われると,高橋先生は地上の私たちの心を,深く分かってくれている,と感じたし,そういう人を,どんどん信頼する方向に、心が傾いていきました.若く自信が持てなかった私にとって、高橋信次は私を慰めてくれる友達でもありました.

 ところで、そんなに高橋信次が好きならば,生前の著作は読まなかったのか?と言われるかもしれません。「人間・釈迦」「悪霊」「心の発見」など、本屋にはいろいろありましたが、実際は、あまり読みませんでした。なぜかと言われると,よくわからないのですが、たぶん私は「霊言の中の高橋信次」が好きだったのだろうと思います.
 つまりここでも、私は高橋信次が本人であるかどうかに関心は全くなかったと言えます。生前の著作と霊言の内容をなぜ比べてみようと思わなかったのか?なぜ気にならないのか・・・?これは重要な観点かもしれません。この点については、考えが整理されてきたら、また後で改めてお話ししたいと思っています。

2013年9月14日土曜日

高橋信次霊の冗談ぽい話し方が好きだった

 ブログの更新というのは,思っていたより忍耐力が必要で,時間も結構取られるものですね.少し疲れたので,今日は「高橋信次霊言集の面白さ」について述べてみたいと思います.当時の私の年齢は17歳~19歳程度でしょうか.そのような若造が「面白い」と思った箇所を紹介するので,知的な面白さとは違うということを断っておきますね.

 まずは「高橋信次の天国と地獄」から,「天使の条件」について解説した部分を引用しましょう.

 だから一番目でちょっと、ストイックなとこがどっかあることがある。二番目で、飾らない、天真爛漫な無邪気な部分がある。で、三番目では何か人のためにしたいという気持ちを持っておる。これは先天性のものが多いんですね。何か人のためになるようなことしたいっていう気持ち、多いですね。こういうもの持っているのが天使であることが多いです。
 だから読者のみなさんね、この三箇条と自分とをよーくチェックしてみて下さいね。どうでしょうか。
「いや、おれストイックだよー。だってね、お銚子はね、だいたい三本注文したらもうそれで切り上げることにしてるんだ。これはストイックだね」
「いや、ビールは僕はね、晩酌は二本までしか飲まないです。ストイックです。ビール二本。決まっとるんです」
「ストイックですよ。勉強は、もう夜の十一時過ぎたら絶対しませんから。もう非常にストイックな生き方してます」まあこんな方もいらっしゃるかもしれませんね。
「いや、僕は天真爛漫ですよ。ほんとね、スーパー行ったってもう天真爛漫に万引きしてますよ」なんて、こんな人もいるかもしれませんね。まあいろんな方がいらっしゃるかもしれません。あるいは。
「あっ、人の役に立つことしてますよ。それはそれは人の役に立つ。代々木公園で夜な夜なあなた、双阻鏡持っていってのぞきしてね。変なおまわりさん来ないように見張ってあげてますよ」とこんな人もいるかもしれない。
 まあ、いろいろあるかもしれませんが、そういう主観的な物差しはともかくとしてね、この三つが、だいたい天使の特徴ですから、自分が天使かなーって思ってる人はね、よーくこのへんを振り返って、考えてみて下さいね。

 はい,このような感じです.私は,これを読んで笑っていましたね.そして「自分も,もしかしたら天使かもしれない」などと思ったこともありました.

2013年9月12日木曜日

初期の頃の高橋信次霊の位置づけは非常に高かった

 幸福の科学にとって,高橋信次は重要な人(霊)だと思います.今の信者さんは高橋信次霊こそ幸福の科学に混乱をもたらす原因になった霊であると考えていると思いますし,尊敬している人はいないと思いますが,当時の高橋信次の教団内での位置づけは,非常に高いものだったんですよ.

 一番最初に出た霊言である「高橋信次霊言集」では,彼の位置づけがどうなっていたか,まえがきとあとがきを紹介しようと思います.これは,1986年潮文社から出たもので,後に信者向けに出た会内限定書籍「大川隆法霊言全集」にはたぶん載っていないと思います.
まえがき
(前略)
 高橋信次氏は、一九七六年六月にこの世を去って、丁度五年後、一九八一年六月に、自らの予言通り、私、大川隆法に、霊天上界から通信を開始されました。まさしく、イエス・キリストが十字架に架けられた後、自らが救世主であることを、旧約聖書に預言された救世主であることを証明するために、弟子たちの前に「復活」して見せたように、私に驚異的な啓示を開始されたのです。
 しかし、私はこの後、約五年間の沈黙を守ってきました。同氏には、GLAという後継の団体があり、また、同氏の、「心の発見」、「人間・釈迦」、「心の原点」等々の著書を通して、今もなお、全国各地の有志たちが、魂の学習に励んでいる事実を考慮してのことでありました。
 しかし、一九八六年七月、私が、神理伝道のために、勤務していた総合商社を退社するや否や、高橋信次氏からの、ご自身の現在の考えを世に問いたいという、強烈な願いが一条の光となって、私の胸を貫きました。私は同氏の熱意に打たれて、ついにこの書を世に問う決断を致しました。
 高橋信次氏のかつてのお弟子さんたちの多くが、現在、間違った方向へとそれて行っていることに対し、同氏は、なんとか彼らを、彼らが生きているうちに救ってやりたいと、強い情熱の程を吐露されたのであります。
 本書には、同氏の情熱が流れています。女性の受聴者を用意して、何度かに分けて、私を通じてご講演を願ったため、その教えも平易で、極めて日常生活に密着した題材をもとに、ユーモラスに神理を語っておられます。
 本書が、かつてGLAで高橋信次氏の教えを受けられた方々ばかりにではなく、より多くの人々に読まれ、神理学習の一助となることを祈ります。
 最後に、同氏が帰天されて後、十年の長きにわたって、法灯を守ってこられた、GLA主宰、高橋佳子さんに、心から敬意を表します。
  一九八六年九月 大川隆法
あとがき
 私は、高橋信次氏とは生前一度もお会いしたことはありません。また同氏の教えを直接受けたこともありません。ただ遣された御著書を通じて、神理を学ばせて頂いただけです。
 しかし、あえて同氏の霊言集を世に問うた理由は、今回の、日本を中心とした救世運動の先駆者の一人として、地上に肉体を持たれた偉大な光の天使の一人が高橋信次氏であったからです。
 同氏は現在、私の指導霊の一人でもありますが、やはり、現代の日本に生きられた人だけあって、その教えは大変具体的でまた的確です。その意味で真に人を救いうる教えだと言うことができましょう。
 地上を去って十年、今なお救世の熱意冷めやらぬ、偉大な光の指導霊、高橋信次氏に対して、読者と共に、感謝致したいと思います。
 また、本書刊行に際して、情熱的な協力を借しまれなかった、原久子さん、潮文社編集部の皆様方にも、この場を借りて感謝致す次第です。
  一九八六年 九月十八日  大川隆法
ここで,幸福の科学の初期を支えた重要な人物,原久子さんが登場します.まえがきにあった「女性の受聴者」も,おそらく同一人物でしょう.この人は元GLA信者で最初の幸福の科学信者でした.1986年,幸福の科学設立のため,主宰していた自分のヨガ教室に通っていた人たちを会員へと勧誘し,自宅二階を事務所として提供しました.「新・幸福の科学入門」という書籍には,次のように書かれています.
幸福の科学の事務局は、原久子さんが私財数百万円を投入して、ご自宅の二階を増築工事をし、六畳一間の離れをつくってくださって、店開きができたわけです。
軽井沢に所有していた自分の別荘を提供したり,土屋書店を紹介したり,種村さん(初期に有名になった本部講師)を生長の家から幸福の科学に呼んだのも彼女と言われています.「私財数百万円を投入」ということ一つを取ったとしても,彼女が幸福の科学設立のために,身を粉にして尽くしたことが窺えます.そのような行動をした動機には「神理(真理)に出会えたという喜び」があったと思います.日々植福(寄付・献金)をしている信者の皆さんなら,彼女の気持ちがある程度わかるはずです.

2013年9月11日水曜日

非常に多く出版された高橋信次の霊言集

 私は高橋信次という人も,彼が主宰していたGLAという宗教団体も,全く知らなかったので,彼の生前の性格などは知りません.ただ、霊言の中の高橋信次はユーモアがあり,時々冗談のような話をしながら宗教の話をするので,とても面白く,肩の力が抜け,そして読みやすいものでした.宗教家であるにもかかわらず宗教臭さがなく,なんだか友達のように語りかけてくる高橋信次の話に,私は引き込まれました.

 特に高橋信次の霊言は、非常にたくさん出ました。出版スピードもかなり速かったです.

  • 1986年12月 高橋信次霊言集
  • 1987年5月 高橋信次の新復活
  • 1987年6月 高橋信次霊訓集1
  • 1987年8月 高橋信次霊訓集2
  • 1987年10月 高橋信次霊訓集3
  • 1988年1月 高橋信次の天国と地獄
  • 1988年8月 高橋信次のUFOと宇宙
  • 1988年6月 高橋信次の新幸福論
  • 1988年8月 高橋信次の新ユートピア論
  • 1988年9月 高橋信次の大予言
  • 1988年11月 高橋信次の心の革命
  • 1988年12月 高橋信次の愛の讃歌
  • 1989年5月 高橋信次のやる気の革命
  • 1989年8月 高橋信次復活の原点 永遠編
  • 1989年9月 高橋信次復活の原点 天使編
  • 1989年10月 高橋信次復活の原点 希望編
  • 1989年11月 高橋信次復活の原点 太陽編
  • 1990年12月 高橋信次復活の原点 新生編

 これは,ほとんど月刊誌レベルのスピードです.書店に行くと,毎月に近い形で新刊書籍が出ているのを発見したので,なんだか気になって次々に買っていました.1巻を読んだら2巻が気になるのと同じです.これで大川隆法関連書籍の「定期購読者」になりました.

 私の場合,このときは「高橋信次ファン」になっていたと思います.大川隆法はあくまで「著者」あるいは「霊能者」としての認識でした.ただ,本当にこんな速いスピードで本が書けるだろうか?やはりこれは,本当に霊がしゃべっているのではないだろうか?と思うようになっていきました.なぜなら,読書によって,高橋信次が毎月出てくるのをリアルタイムに感じていたからです.



2013年8月19日月曜日

天之御中主之命が二体の悪魔を追い払う場面

 1986年3月出版の「天照大神の霊言」は日本神道系の神々の霊言を集めたものでした.内容は天照大神,天之御中主之命,大国主之命といった,神道の神々の霊言です.(政治家ですが聖徳太子も入っています.)神道系は日本民族を守る神々の集まりとされ,高天原(たかまがはら)と呼ばれる,日本の霊界に住んでいます.これを日本の民族神と呼びます.日本神道の神様の場合,その呼び出し方が,やはり特徴的です.
大川  ――気吹(いぶき)の狭霧(さぎり)を四方、天地に吹き棄てつつ結界の所作を自動的に行い続ける――(結界の式了る。)
――天照大神である。天照であります――。
さらにこの本の中で,私が一番興味深いと思ったのは,やはり天之御中主之命が二体の悪魔を追い払う場面です.これはなかなかカッコイイので,以下,その迫力を味わってみて下さい.

大川  招霊の詔。――
    二拍子音が続く。――
御中主  天之御中主である――。
善川  御中主の神であられますか。過日は有難いお訓えを種々賜りましてありがとうございました。私どもは諸聖賢のお教えを承ろうと思いまして中国の孔子様をお招きしようとしたところ、魔界の者の邪魔が入りましてお招き出来なかったのですが……。
御中主  魔界のものが今もこの近くに来ております。二名、一名はルシフェルと称する者、いま一名は×××と称する者、われわれの仕事を見張っております。
善川  かつてよりあなた方がご指導されている教団(注:生長の家)には、彼らは近づかなかったのでしょうか。
御中主  彼らは魂系団が違うので近寄っては来ておりません。
善川  そうですか。それではあなた方直系のご指導は、何の妨害もなくストレートに伝わっているのでしょうか。
御中主  また別のサワリというか、邪魔をするものが居るわけであるが、彼らは、ルシフェルというものは、キリスト教の神々と戦ってきているし、×××というのは仏教系でありましょう。
善川  これらのサワリの連中はなかなか済度しがたいものでありましょうか。
御中主  非常にむずかしいものであります。
善川  彼らは何か目的をもっているのでしょうか……。
御中主  彼らに聞いてみなければわかりません。
善川  彼らは何の目的もなくただ邪魔をする、嫌がらせをする、そして、やがてわれらを誑(たぶら)かし、惑わしに遭わせようと企んで居るように思われますが、今あなた様をお招きした時は、あなた様が直にお出で下さったのですが、彼らは邪魔はできなかったのでしょうか。
御中主  私の力が強いからです。×××などに負けるような私ではないのです。私は日本神道系の大黒柱の一人です。そのようなものに負けるような私ではないのです。数百年か、千年ぐらい前に肉体を持ったような人間が地獄に迷ったところで、わが惟神(かんながら)の神の道の基礎を創りたるわれらが邪魔はできないのです。
善川  ルシフェルについては如何でしょうか。
御中主  あれは異国のサタンです。異国のサタンよ退きなさい!あなた方はわが国土に入ることは許されていない!!
善川  ありがとうございます。(後略)

 いかがでしたでしょうか?天之御中主の神様の言葉,とってもカッコ良くないですか?これが,「神」の力強さ,威厳なのかと思うと,もう御中主のファンになってしまう気持ちもわからなくはないですよね.ルシフェルは有名な,キリスト教最大の悪魔です.×××は伏せ字になっていますが,平安時代に活躍した真言宗の僧侶・覚鑁(かくばん)のことで,この本に登場したおかげで幸福の科学では悪魔として有名になりました.

 悪霊は地獄で「迷っている」存在であるのに対し,悪魔は積極的に悪事をはたらき,神様と対決する存在で,より深い地獄にいるとされ,説得は非常に困難であると言われています.なぜ彼らは登場したのでしょうか?

 幸福の科学では,光の指導霊が悟りを開き,その教えを広げようとするとき,必ず悪魔が妨害しに来ると言われています.つまり,この宗教が広まって「悪想念」,つまり人々が考えている「悪い思い」がなくなれば,その悪想念をエネルギー源として活動する悪魔は大変困ってしまうわけです.それゆえ,彼らは正しい宗教が広まらないように邪魔をしに来るというわけです.



2013年8月18日日曜日

明治維新の志士たちの霊言に見る魅力

 宗教と言えば何かと難しい話が多い中で,初期霊言集は宗教家だけではなくソクラテスやカントなどの哲学者,エジソン,坂本龍馬や吉田松陰,西郷隆盛などの登場人物が自由に発言するので,新鮮な感じを受けたのを覚えています.特に明治維新の志士の霊言を集めた「坂本龍馬の霊言」(1986年7月出版)は会員には大人気だったように思います.中でも吉田松陰は,善川三郎を厳しく叱っています.その様子は,読者の心をガッチリとよくつかんだと思います.例えば,こんな感じです.

善川  お訓えのおもむきよく判りました。私も年を寄せてまいりましたが、また今後如何程の寿命を与えられるかは存じませんが・・・
松陰  その言葉が気に食わない――
善川  生命の尽きる最後の一瞬まで、生命の火が燃え尽きるまで゛神法゛普及のために尽す覚悟であります。
松陰  真か、それは真か、僅かこの一日、今日一日を振り返ってでもその言葉は誠か、過去は問わない、今日一日を振り返ってでもそれは、その言葉は真か、自らの心に問い質して真か、私達にはあなたの心はすべて読めるのだ・・・(後略)

 私はこういう上司は苦手で,どちらかというとのんびりした思想を持つ「老子」が好きだったのですが,他の会員さんは,結構「叱られるのが好き」な人が多かったように思います.善川三郎は霊言でよく弱音を吐いては他の霊人に叱られていました.その様子を読んだ会員の気持ちとしては,善川三郎を自分自身に重ねていたと思います.

 というのも,やはり当時は新興宗教と言えば「怪しげなもの」という評価が一般的で,そんなものを信じていると言えば,キチガイ扱いされることが多いので,霊言集を読んでいることを他の人に知られることさえ,とても怖かったです.宗教の信者になることは,やはり相当勇気がいることでしたし,信者になった後,友人や家族にそのことを打ち明けるのはずいぶん抵抗がありました.よく気弱になったり,他人の言葉にひるんだりしたとき,この霊言を読むと,自分が叱られているように思え,いや,このままではいけない,勇気を出さなければ,と奮い立つのです.

 坂本龍馬は,かなり人気がありましたね.当時の会員はいわゆる「いい人」が多く(今もそうかもしれないですが),私もどちらかというとおとなしいタイプです.そんな人が坂本龍馬の「ちんこい、ちんこい、心臓のカサブタぶっ飛ばせ!」とか「精神的な脱藩をせい!」みたいな文章を読むと,かなり魅力的に思えるものです.後に精舎で会った人は,龍馬と同じ格好(コスプレ?)で研修に来ており,龍馬人形(フィギュア?)を持っていましたね・・・.

 西郷隆盛に至っては,これもどれだけ会員の不安な気持ちを慰めてくれたかわからないかもしれません.ここにもちょっと引用してみます.
西郷  また、私の声を今伝えているこの若もん(注:大川隆法のこと)にも、おいどんは言いたかことがあるとです。
 あんた、若いのに、ご苦労なことでごわす。こういったことばあ勇気がなければできんとです。あんた若いし、未だ世に出て日もない。年も浅い。もっと遊びたいこともたくさん、あるとでっしょ。遊びたいでっしょ、もっといい思いもしたいでっしょ、もっと優雅にも暮らしてみたいでっしょ、もっと多くの友達持って楽しかことやりたいでっしょ。
 ――けど、あんた、こんな大変な使命仰せつかって苦しんどるとです。おいどんには分かりもす。あんた、こんな世界に入るにゃ若過ぎるんです。四十、五十、六十で宗数的なことやる分にはいいのです。お迎えが近づいている時に、宗数的なことやっても自分のためにはなるし、人もまたそれなりに見てくれるからおかしなことではなかとです。二十代でこのようなこと、しなけりゃいけないということは、あんた大変な苦労ばしちょると思います。あんた哀しか気持で毎日居ると思います――。
見事に会員の気持ちを代弁しています.そう,宗教活動をするということは,悪口を言われたり,友人や家族が離れていったり,社会的な立場が危うくなったりと,苦労することばかりであろうと思われるからです.しかし,それでもこの真理に気づいた私たち青年は,日本の国に変革を起こしてゆかなければならない.誰かが捨て石にならなければ,時代を変えることはできないのだ――そう思って,明治維新をもう一度やるつもりで活動していたと思います.会員にとっては,霊人が本人かどうか,言っていることが本当かどうかということは,確かめようがないのです.感情が動かされた(感動した)から,その言葉を信じるのです.坂本龍馬の霊言に惹かれた人たちは知性・理性より「情で動く」タイプで,会の活動を行動面でよく支えました.

2013年8月17日土曜日

アトランティス文明と古代インカ文明への憧れ

 「キリストの霊言」の中にはアモン,リエント・アール・クラウドという名前の霊人が登場します.アモンはアトランティス大陸の宗教家であり,大陸の陥没によってアトランティス文明が滅びた後,飛行船でエジプトに逃れて太陽神信仰を広めたと述べ,古代エジプトの神アモン・ラーとなったということでした.彼は,天変地異がここ数十年のうちに起こると警告し、その原因は地上の人間の「悪想念」であり,だからこそ新しい宗教が教えを広めることによって悪想念を追い払わなければならないと警鐘を鳴らします.

 リエント・アール・クラウドは古代インカ帝国の王で,大川隆法の「魂の兄弟」であると名乗ります.古代インカ帝国はアトランティスやムー大陸からインカに渡ってきた人々が作ったものである,そして今後地球規模の災害が起きる可能性があるが,人類が心を一つにして地球規模のユートピアを実現する時期でもあると語ります.

 このような名前を持つ王は,正当なインカの歴史には出てきません.これは霊査(霊による調査,リーディングとも言う)によって初めて明らかになった名前なのだろうと思いました.霊査は人類が知ることのできない超古代の文明や過去の事実を知ることができる最後の手段として,非常に興味深いものでした.エジプトとインカは互いに離れた距離にあるにもかかわらず,両方ともピラミッドが作られています.これはアトランティスやムー大陸という幻の文明があり,大陸の陥没という大災害から逃れてきた人々がいたという証拠でもあると考えると,なんだかワクワクしました.

 科学的手段による研究は,必ず証拠を必要とします.古代文明の研究を行う際,放射線年代測定であるとか,DNAであるとか,物質的な証拠を拠り所にするがゆえに,信頼性が高くなるわけです.しかしその反面,数千年,あるいは1万年前といった,気の遠くなるような過去になるほど,その証拠は失われてしまうわけです.したがって,研究者達は過去の文明について,極僅かな証拠と証拠の間をつなぐために,推測でしか語れなくなってゆきます.そこが,なんとも歯がゆいところです.

 ところが,霊査は当時生きた人間が,あの世から霊として数々の証言を語るものですから,今現在はなんらの物的証拠が無いとしても,もしもこれらの証言を裏付けるような証拠が,将来少しでも発見されるようなことがあれば,霊界の存在や,今まで科学では知るることができなかった超古代文明や人類のルーツといったものが明らかになり,人類の知識や歴史に対する視野が大幅に広がるかもしれないのです.

 「証拠があるから,信じる」という言い方はちょっとおかしくはないでしょうか.もしもはっきりとした証拠があるのなら,それは「事実の確認」と言うべきです.「証拠が無いから,とりあえず今は信じざるを得ない」というのが本当のところでした.そして,今は見つかっていないその証拠を,将来見つけるのは私達のような十代,二十代の若い世代かもしれない,とも思ったのです.


2013年8月13日火曜日

「キリストの霊言」に出てくるキリストが語る「天の父」

 「キリストの霊言」は1986年に出版されています.この本の登場人物は,イエス・キリスト,モーゼ,アモン,リエント・アール・クラウドの4人です.イエス・キリストは幸福の科学指導霊団の長という位置づけでした.イエスは次のような優しい一面を見せます.
善川  大変光栄な、身に余るお言葉をお聴きいたしますのですが、あなた様はじめ、天上界の方々のご意志が、今後のわれわれの行動に託されているということでございますが、願みまして、われわれの能力なり、その基盤、行動なりには、自から限界があり、とてもわれわれの力だけではこれからの大任は果たせそうにないと思うのでありますが……。
イエス  (中略)ですから、そういう親しい間柄だと思って、何を聴いていただいてもよいのです。あなたが、さまざまな方に叱られていることを、私、重々承知しています。けれども、あなたを苦しめたり、いじめたりするつもりは全くありません。なんでも、お聴きなさい。あなたが話しにくければ、私が一方的に語ってもよいのですよ…
私は,「やっぱりイエスは優しいな~」という感想を持ちました.神様は優しいものだという,「神」についての漠然としたイメージを持っていたので,霊言の「イエス」に好感を持ったとも言えますね.ただし,まだこの頃は「信仰」を持ったとは言えません.

 霊言の内容は,聖書で書かれていることの「真相」に関することやキリスト教の欠点について,などでしょうか.私はクリスチャンでは無いので,よくわからなかったのですが,どれも正当なキリスト教で言われていることとは異なったものであったと思います.例えば,キリスト教の「神」あるいは「天なる父」については,以下のように言っています.
善川  あなたの仰しゃる天なる父といわれる方は、エル・ランティー様のことなのですか。
イエス  エル・ランティーのことです。私が、わが主、わが父と言ったのはエル・ランティーです。
善川  エホバと言われた方は―。
イエス  エホバも、エル・ランティーのことです。
善川  旧約聖書に出てくるエホバ神は、非常にイスラエル民族の擁護者といいますか、偏狭なまでにこの民族にのみ肩入れしていたような感じがありますが。
イエス  当時は一つの民族という域を越えた認識ができなかったのです。ですから後世から見れば、さまざまな民族があり、だから神が一つの民族を庇護するということは、不合理だと思えるかも知れませんが、当時としてはやはりそういう世界観だったということなのです。
善川  それでは旧約聖書第一章の創世記に出てくるアラーの神は、どうだったのでしょう―。
イエス  アラーも私の主、父、アルラー・エル・ランティー、アラー・エル・ランティー、こうなったのです。
旧約聖書第一章の創世記には「アラーの神」は出てこない,アラーの神はイスラム教の神なのではないか?とも思いましたが,深く追求はしませんでした.また,ここにはエル・ランティーの説明が無いので,皆さんは何のことかわからないかもしれませんが,これは高橋信次と関係があります.この「天なる父=エル・ランティー」という見解は後に否定されました.現在は「天なる父=エル・カンターレ」になっています.これについては,後で述べたいと思うので,今は説明しないでおきたいと思います.


2013年8月10日土曜日

日蓮の霊言で感じた悪霊・悪魔の存在

 初期の善川三郎編として出た霊言集の内容は豊かで,秀逸なものでした.内容は霊界秩序の話から人生論,政治・経済論と多岐にわたっています.一冊あたりの文章量も多いですが,対話編なので読みやすいものでもありました.

霊声者は大川隆法,質問者は善川三郎,たまに富山誠という,大川隆法の兄も参加していました.日蓮聖人の霊言の中で,ある意味臨場感のあるやりとりというか,悪霊による影響,惑わしというものが本当にあるのだと感じさせる文章がありますので,長くなりますが引用してみます.
富山  ただしかし、一番問題なのは、悪霊の中でもサタンという目的意識を持った悪霊、或いは魔王といわれるような連中が、実際にわれわれを惑わします。彼らもわれわれにとっての素材なのでしょうか、何のために生かされているのでしょうか、彼らは。 
日蓮  その前に、あなたは一体何のために生かされているのでしょうか。人がなぜ生かされているかを聞く前に、あなた自身が一体何のために生かされているのですか。あなたの今の質問の中には、彼らの存在意義がないという主旨が読みとれます。
富山  そのとおりです。
日蓮  そうですね、その前に、その質問をするあなた自身は、一体何のために生かされているのですか。
富山  分かりません。私は今、彼らサタンのなすがままの状態に置かれ、何らなすすべもなく苦しんでいるのですから。
日蓮  あなたは自暴自棄になってはいけません。あなたは生きんと欲して生きている。あなたの生命は生きんとしている。そういっている今も、あなたの生命は生きんとして生きている。ただあなたの頭の中につまらない夾雑物(きょうざつぶつ)がたくさんあります。それがあなたを悩まし、そのような若い文学青年が悩むような言葉に酔わしているだけです。あなたの生命は生きんとしております。あなたは生きんとしております。間違った認識をしてはいけません。あなたは現に生きんとしているから、そのような質問をしているのです。 
 しかし、あなたは今、生きるよりどころが分からなくなっているのです。問題はそこにあるのではないですか。生きている意味がないんじゃない。生きるよりどころが見つからなくなっているのです。サタンの存在意義を考える前にまず、あなた自身の存在意義を考えてみましょう。あなたはなぜ生きているのでしょう。あなたはなぜ生かされているのでしょう。生きているというのは本人の意志の領域です。しかし生きようとしてだけ生きているのではありません。あなたは生かされています。万象万物に生かされています。何故生かされているんでしょう―。
富山  一番の疑問はその点ですね。こういうような形で生かされているということに関して、私は疑問を持っているのです。
日蓮  こういうふうな形とはどういう形でしょうか。あなたはいたずらに悲劇の主人公になっている。世の中にはあなた以上に不幸になっておられる方々、あなた以上に悲惨な体験を積んでいる方々が万といい、十万といい、百万という単位でいるのです。あなたは現に、五体が満足で、現に食うことに困らず、現にいろんな勉強をし、現にいま生きている。現に今こうして私たち他次元のものたちと生きながらにして話ができるという、このような百万人に一人も体験できないような、そういうふうな貴重な体験を今しているのです。これが幸いでなくて何ですか。
富山  不幸です!
日蓮  何で不幸なんです!
富山  今の私には不幸なのです。重荷となっているのです。
日蓮  なぜ不幸ですか! その言葉はあなた自身の自己保存から来ています。あなた以上に不幸な人はいませんか、本当にいませんか、甘いんです。そんなことに悶々(もんもん)としているのはセンチメンタリストです。
富山  しかし私はなぜ人にない霊障、それもサタンの攻撃に晒(さら)されなければならないのですか。私の守護、指導霊は、怠けていないとしたら、私にどうしろというのでしょうか。
日蓮  これには幾通りかの理由があります。
 第一には、さきにも言った、あなたの心が、こちらを向いていないからです。たとえていうなら、児童が幼稚園に来る途中真っ直ぐに園へは来ず、途中たんぼや小川に下りて、メダカや、おたまじゃくしを追い回して遊んでいるのと同じです。そしてそのうち沼に足を取られて泥んこになり苦しんで泣いている状態です。
 第二には、その状態から、自らの力で這い出てこようとせず、先生や、お母さんの助けを求めて声を限り呼び叫んでいるという状態です。
 第三には、それを知った先生やお母さんは、あなたのために、その状態からすぐ救い出そうとしていないからです。なぜなら、あなたには自分で沼から抜け出して帰ってくるだけの力があるからです。
 私たちは、あなたのために、あなたを甘やかし、過保護にしたくないからです。あなたには将来に大きな任務があり、そのためにもっともっと強くなっていただきたいのです。あなた方が主体的に生きていかなければいけないのです。あなたはひじょうな勘違いをしております。守護、指導霊に操られて生きているのではないのです。だからあなたが主体的に生きていかなければいけない。その行路において彼らは時をみてアドバイスをすることもあるでしょう。しかしながら、あくまでもあなたがたがやることなのです。
富山  ではここに悪霊が憑依しているという現象を見て、あなた方はなぜ黙認しているのでしょうか?
日蓮  黙認しています―。
富山  なぜですか?
日蓮  あなたにとって必要だからです。なぜ憑依されているかを、あなた自身に気付いてほしいからです。なぜだと思いますか―、あなたの答を聞きたい。なぜ、あなたは憑依されているのですか。
富山  憑依させておこうとしているからではないですか、あなた方が。
日蓮  させているのではなく、されているのです。もっと自分を見つめてみなさい。あなたはあまりにも甘えています。
富山  では私に憑依してくる彼らは甘えていないのでしょうか。
日蓮  彼らは甘えではなく、迷っているのです。あなたこそ彼らにとって、彼らに対し "法" を説いて、彼らを救うべき人間ではないですか、何を勘違いしているのですか。
富山  それはおかしいです。彼らに法を説くのは、私以上に資格者がいるはずです。私の守護霊がいるでしょう。
日蓮  そうではありません、彼らは彼らの仕事があります。なぜあなたは主体的に生きていこうとしないのですか。あなたの言っていることを聞くと、私たちはひじょうに残念です。なぜなら、主体性がないからです。自ら解決していこうとする男らしい力が感じられないからです。私たちはあなたをそのままにしております。あなたに気付いてほしいからです。こういう経験を通さずして、あなたは真に悟ることはできないからです。安易にそのために応急処置をとったところであなた自身を立ち直らせることはできないのです。 
 私たちはそんなことを知っているのです。応急処置だけで治るものではないのです。あなた自身の心が自らを救っていかなければ誰も救うことはできないのです。私たちは、応急処置を何回したところで救えないことを知っているのです。 なぜ、あなたは憑依されているのでしょうか。させているとか、そういう人のせいにせず、なぜ、あなたは憑依されているのか。あなたは今、どういうふうに自分のことを考えておられるのですか。自分が百パーセント正しいと考えておられますか。何も誤りはないのですか。誤りがあるかどうかというのは、あなたの思いと行いにおいてです。あなたの現在の思いと行い、あなたの今まで、過去における思いと行い、これに何も、誤りもなにもないのですか。自分には責任も何もないんですか。
 私たちは去年も、その前の年も出てきて、あなたに正しい導きの方向を教えております。しかし、あなたはこれを全く聴いておりません。自分の都合のよい方向に、よい方向に、自分で道を歩んできております。その結果をなぜ、あなたは、自分の責任と考えないのですか。なぜ、人のせいにするんですか、私たちは何度も、何度も、あなたに繰り返して話をしております。あなたは聴こうとしません。素直に聴いておりません。 
 あなたは今、サタンに憑依されているということを言いました。負けてはいけません。彼らに負けてはいけないのです。あなたにはそれだけの力は与えられているのです。勇気を起こしなさい。自分に勝ちなさい、ということです。自分に負けているから彼らに負けているのです。分かりますか。自分の弱さに嘆きなさい。人を責める前に自分の弱さに気付きなさい。自分の弱さを嘆きなさい。そしてたくましく立ち上がりなさい。人を責める前に自分に反省すべきところがないかどうかをよく考えてみなさい。

 引用がかなり長くなってしまってすみません.これを読み,私は悪霊・悪魔という存在がいるのだと,思いました.富山誠の「不幸です!」という叫びに,真に迫るものが感じられます.なかなか生々しいやりとりだと思いませんか?

 また,この最初の本から,既に「自己責任」という考え方が出ているのがわかります.自分の不幸を人のせいにする人は,悪霊に憑かれる.つまり幸福の科学では,悪霊に憑依され人生が不幸になるのは自分の心のあり方に問題があるということであり,逆に言えば幸福になるには心を神の方向に向け,守護霊・指導霊の導きを得ることで,幸福になるという考え方を取ります.

2013年8月3日土曜日

日蓮聖人の霊言に見る「幸福の科学」の名前の由来

 この頃,様々な霊言,すなわちあの世からのメッセージを記した本が出版されていました.大川隆法に限らず,シルバーバーチであるとか,シャーリーマクレーンであるとかといった本もあり,これらの多くの本の一つとして,大川隆法の霊言シリーズが本棚に置かれていました.これが初期の霊言集で,過去の有名な偉人の霊言であることが,他の著者の霊言とは異なる点でした.前にも書きましたが私はシリーズものを読み始めると,最後まで読みたいタイプです.私は大川隆法の他の関連書籍も読むようになりました.

 最初に出たのが「日蓮聖人の霊言」です.これは善川三郎が質問者,大川隆法が霊声者となって対話を試みた本です.善川三郎は大川隆法の父ですが,この本の中にはまだそのことについてはっきりと書かれてはいません.内容は日蓮が語る「人生論」のようなものですが,この中に「幸福の科学」の名前の由来があります.「日蓮」の言葉をここに引用してみます:

日蓮:
 それともう一つは、新しい宗教を興すという気持は当面の間持たないことが、安全です。そうではなくて、もっと別な形があるでしょう。「精神科学」と申しますか、或いは「幸福哲学」と申しますか、要するに、この世の中の仕組み、この宇宙の仕組み、この宇宙を統べている「法」、この「神の理法」を明らかにすること、その神の理法の中に生きている人間たちに、幸せへの道は、どこにあるか、ということを教えることです。 
 そういう意味において、あなた方の教えも、一つには科学であり、宇宙科学、神霊科学であり、いま一つには幸福学であり、幸福哲学であるということです。宗教を興すという考えを持っていると、間違った方向にいく可能性があります。 
 幸福科学の研究をしているとでも思ったらいいのです。宗教を興せば、巷の神々の一人になってしまいます。また新興宗教が出来たか、ということになってしまうのです。その辺は時代の要請というものを見誤らないようにしなければなりません。

 ここに書かれているように,幸福の科学は宗教では無いと思っていました.これは哲学であり,科学でもあると理解していました.また,この頃はまだ幸福の科学は宗教法人ではありませんでしたが,この団体の他の本には「幸福の科学とは,幸福とは何かを考える人たちの集い」であると書かれていました.
 日蓮の霊言は,何か深い人生経験を感じさせるものがあり,世間の常識を踏まえた納得のいく考え方を示していたと思います.ただ,世間が受け入れないだろうと思われるのは,この言葉が「霊の言葉」であるという点だけだったかもしれません.その部分に関しては,大川隆法とは関係の無い他の人(外国人を含む)も同様な霊言集のようなものを出版していたので,私にはあまり抵抗感はありませんでした.



2013年7月31日水曜日

ノストラダムス本人の霊との対話

 1980年代~90年代は,いわゆる「ノストラダムスブーム」の時代で,20世紀が終わる世紀末に何かが起きるのではないか,という漠然とした不安のようなものを誰もが持っていたように思います.たまに,テレビではノストラダムス特集番組のようなものもやっていました.私も,まさにそのような気持ちを持っていました.五島勉の書籍も読み切ってしまったし,その他のノストラダムス本はどれも難解で曖昧であり,未来に起きることをズバリ書いてあるものはなかなかありません.

 いつものように本屋を歩いていると,「ノストラダムスの新予言」という本を見つけました.出版年は1988年だったようです.立ち読みしてみると,本の冒頭に次のような言葉が書かれていました.

ノストラダムス: ノストラダムスです。
―― あなたは予言者ノストラダムス様ですか。
ノストラダムス: そうです。

 これは,正直驚きでした.ノストラダムス本人が,語っているのです.読めば,霊界のノストラダムスが,霊言として未来予言を行うという,衝撃の内容だったのです.私は,すぐに購入して,予言の具体的内容を詳しく読み進めていきました.五島勉の本とは違い,この本は「ノストラダムス本人」が語っているもので,四行詩のような抽象的でわかりにくい予言ではなく,西暦を指定した,具体的な内容です.

 もちろん,その内容の真偽は,未来が来てみなければ,わかりません.ただ,その本の冒頭には「予言というものは多少ずれる場合がある」また,「確定要素と不確定要素がある」と説明していました.

 私は,もし予言が絶対的なものであれば,警告の意味は無くなるし,そもそも「絶対当たる予言」などというものを言うような人こそ怪しい,と思っていました.世の中に「絶対」はありえない,確定した未来もまたないと思っていましたので,その霊の説明にはなんだか納得できるものがありました.そう前置きした上で,さらに,ノストラダムス霊は具体的な予言を行っていきます.

 「恐怖の大王」とは核ミサイルの雨であり,第三次世界大戦である.そして,その時に現れると予言した「アンゴルモアの大王」とは「東洋の救世主」のことである.火星(マルス=軍神,武力を象徴)の支配,それを途中で終わらせるためには,金星の法・太陽の法が必要で,その太陽こそが日本に生まれ変わったヘルメス=救世主,釈迦の東洋思想であるといったことが書かれていたと思います.曖昧な解釈しかできなかった予言詩に対して,ノストラダムス霊本人は明確な解釈を与えたわけです.

 私は,ノストラダムス霊が述べることが五島勉の本と同じだと思いました.その頃は五島勉のノストラダムス本をずいぶん読み込んでいたので,私の中の真偽の基準は五島勉にありました.ですから,この本の著者・大川隆法はずいぶん鋭いことを言うなあと,思いました.今の私なら大川隆法も五島勉もどちらも間違っている,という可能性も一応検討したかもしれません.ですが当時の私は,「二人とも同じようなことを言っている,これは信憑性が高いかもしれない」と考えました.また,霊言というものも,あり得ることなんだと言うことは,以前ラジオでも聞いたことがあるし,テレビでもやっていましたので,そういう人もいる可能性は否定できない,と思っていました.



2013年7月30日火曜日

ラジオで聴いた霊界通信

 五島勉の「ノストラダムスの大予言」とその続編の内容は,読者にとって結構迫真に迫るものでした.過去にベストセラーになったこともある本なので,その内容には危機感がにじみ出ており,著者が真剣に1999年の恐怖の年をなんとか回避できないものか,予測されている危機をなんとか世間に知らせ,警告したいと思っていることが,感じられました.特に私は本好きな純粋な少年だったので結構信じていたし,どうすればよいのか,という危機感を常に持っていたと思います.

 そんな中,ある日私が風邪を引き,熱を出して寝込んでいたとき,ラジオを聴いていたのですが,そのラジオ番組で霊界の死者との対話を試みる,という企画(?)を偶然耳にしました.それは,霊能者にあの世の死者の霊を乗り移らせて言葉をしゃべらせ,会話を試みるというものでした.当時はそのような番組が流行っていたのかどうかよくわからないのですが,1980年代と言えば宜保愛子という人気霊能者がテレビでもよく出演して活躍していた時代です.また,テレビや雑誌では,よく心霊写真というものもよく紹介されていました.私は大人がウソをつくはずがないと,子供心に信じていましたし,インチキやウソの可能性を疑ってみることはできるものの,公共のテレビやラジオ,書店で売り出されるようなしっかりとした本に書いてあることは,ある程度正しいのではないかと思っていました.

 さて,そのラジオの霊能者が,霊を降ろすと,突然その声色が変わり,全くの別人であるかのように聞こえました.その臨場感は,本当に死者が語りかけてきたかのように感じられたのです.どうやら世の中には,普通の人ができないことができる,特殊な人がいるらしい.ノストラダムスも,500年も前の人ではあるけれども,未来をイメージとして見ることができる,特殊な能力を持っていたのかもしれない.五島勉の書籍では,あれこれと予言の五行詩を解釈し,あーでもない,こーでもないと言って悩んでいるが,もしも霊界のノストラダムスに直接話を聴くことができれば,話は早いし,未来に何が起きるのか,はっきりするのではないか?と思いました.1999年に人類が滅亡するかどうかは,若い私達にとっては人生に関わる重要な問題だったのです.

神智学とシュタイナーに関心を持つ

 私が通っていた高校の最寄り駅には,3階建ての本屋がありました.私は学校が終わるとよくその本屋に行き,読みたい本を探していました.その本屋の3階のフロアには,科学に関する数多くの専門書とともに,神秘主義関係の本もたくさんありました.私はかたっぱしから立ち読みし,興味がある本を買っていたと思います.当時の私には,神秘主義も科学も同じジャンルであったわけですから,いろんな本に手を出しました.

 中でも興味深いと思った本は「神智学」でした.これは19世紀にブラヴァツキー夫人により創られた神秘思想で,かなり込み入った難解な思想ですが,やはり宇宙を説明しようとしている点で科学にも通じているようであるし,しかも古今東西の様々な宗教思想や神秘思想,オカルトなどを取り入れた総合的な学問のように思えました.

 ただし私はどちらかというと,神智学ではなく,人智学というものを創ったシュタイナーのほうが好きでした.,シュタイナー教育で有名かもしれませんが,彼は元々オカルティストです.今も,シュタイナーが出した「ゲーテ的世界観の認識論要綱」という本を持っていますが,難解ではあるものの,科学的観点とは全く異なる-180度異なると言ってもいい-にもかかわらず,何か一定の説得力や論理的思考のようなものも感じる,不思議な本だったように思います.

実際,神智学もシュタイナーの本も,非常に難解で膨大な量の情報が詰め込まれているわけですが,難しすぎてわかったようなわからないような気分にしかならない,という点では,同じフロアにある科学の専門書も,同じようなものでした.高校生の自分にとっては,とうてい深く理解することはできないのかもしれない.もっと勉強を続けてゆけば,このチンプンカンプンな神智学と科学の専門書を統一的に理解できるようになるかもしれない,と思いました.

2013年7月29日月曜日

神秘思想と科学への興味

中学生・高校生の頃と言えば,「カバラ数秘術」という本も読んでいました.

 これは,一言で言えば「占い」で,誕生日の数をある特殊なやり方で足し合わせていくと,一つの数になり,その数によって運命や性格を分類しようとする考え方で,結構面白かったように思います.私の場合は,占いにとどまらず,その思想的背景についても興味を持ち,結構分厚くて難しそうな本を取り寄せて,読んでいたように思います.

 今となっては,よく思い出せませんが,カバラというのはユダヤの神秘思想で,神による天地創造を説明したものだったかと思います.最初に神が創った神人「アダム・カドモン」であるとか,最近「エヴァンゲリオン」というアニメでも出てきた「生命の樹」の話とかが出てくる,そういう神秘思想の本でした.

 神秘思想の近くにはオカルト思想というものもあるわけですが,知らない人は荒唐無稽であるとか信じられないとか言うかもしれません.ですが,あらかじめ前提知識が無い状態,あるいは中学・高校生の時のように頭が固くない時期にその思想に触れた人にとっては,結構科学的な感じを受けるものです.

 それもそのはず,神秘思想あるいはオカルトというものは,科学があまり発達していない時代の人々にとっては,それこそが科学そのものだったわけです.今は占いの一種である「占星術」も,昔は「ヘルメス思想」と呼ばれる神秘思想の一部であったわけです.

 その思想の考え方は,宇宙を機械的に捉えるのではなく,生き物であると捉えます.山から様々な金属が産出されるのは,人間の皮膚にニキビができるのと同じではないか?というわけです.

 もう一つはミクロコスモスとマクロコスモスとの間には類比関係がある,という考え方です.つまり,天空の星の動き(マクロコスモス)が,地上の人間の人生(ミクロコスモス)に影響を与えるということが,「科学的な法則」と考えられていたわけです.一方,天空の星々の動きと物質の元素の間にも,何らかの関連があるに違いない,そういう信念の元に錬金術の研究が行われてきたわけです.

 この占星術と錬金術は進化し,現代では天文学と化学と呼ばれています.天文学で「マーキュリー」と言えば太陽に一番近い惑星である「水星」のことを指しますが,化学における「マーキュリー」は「水銀,Hg」のことです.両者は関係があると考えられていたのです.

 ですから,当時科学にも興味があった私にとっては,神秘思想と科学は同じ思想から分かれたものであり,その本質は変わらないのではないか?と考えるようになっていきました.

思春期は神秘を感じる年頃

 1987~9年頃だったでしょうか,私が高校生の頃です.私はよく本を読む生徒でした.東京の,割と有名な中高一貫校に通っていましたので,通学には電車を使っていました.電車の中では色々な本やマンガを読みました.私は理科が得意だったので,ブルーバックスをよく読んでいたかな.科学への関心は,宇宙論と量子力学に向かっていました.量子力学とは宇宙を支配する物理法則でもあり,幽霊のように振る舞う電子などの素粒子の世界について述べたもので,大変神秘的なものです.私は素粒子などのミクロの世界と銀河や宇宙論,ビックバンやブラックホールなどのマクロの世界の両方に興味と憧れ,神秘を感じていました.

 高校生の頃というのは思春期でもあり,感性が豊かで感動しやすいものです.ある日,手塚治虫の「ブッダ」を読んで,感動して泣いたこともあります.ここで,転生輪廻の考え方を知ったのかもしれません.鴨長明の「方丈記」を読んでも感動していました.「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず・・・」という,何とも言えない無常感に心が動くような,繊細な少年でした(今もそうだと思います.).

 ヴィクトル・ユーゴーの「レ・ミゼラブル」にも泣けました.パンを盗んだ罪で追われる身となり,様々な苦難に出会う主人公にハラハラしながら,読みふけりました.その中で,司教さんが主人公を人間不信から立ち直らせ,正直な人間として生まれ変わらせる,という話がありました.この話にはずいぶん感動して,宗教者の持つ「許しの心」に感動したりしました.

五島勉著「ノストラダムスの大予言」にハマる

 祖父の見舞いに行った時,病院の待合室で,「ノストラダムスの大予言」という本を偶然手に取りました.五島勉という人が著者で,当時ずいぶん流行った本だったようです.

ノストラダムスは5行詩という,難解な詩を書き残しました.その詩を集めたのが「諸世紀」という本です.五島勉によれば,その詩は未来を予言している,と言うのです.その最大のクライマックスとも言える詩には「1999年7の月に恐怖の大王が来るだろう」という言葉がありました. つまり,今から(当時)13年後の1999年7の月,何かとんでもないことが起きて人類は滅びるかもしれない,と言うのです.

 この本はシリーズものになっていて,様々な詩の解読を行いながら,未来に起きるであろう事件がどんなものなのかを解き明かそうとしていました.「恐怖の大王」とは何かについて,環境汚染説,隕石の衝突説,などなど,色々な仮説を検討しながら,危機に備えようと呼びかけていたように記憶しています.

 私は,シリーズものを読み始めると,最後まで読まずにはいられないタチなので,一冊ずつ続編を買い求めては,ドキドキしながら読んだのを覚えています.そして,その危機を回避するにはどうすれば良いのだろうか?と真剣に考えるようになりました.これは私が中学生の頃の話です.


祖父の葬式で「霊」について考える

 まもなくして,祖父は亡くなりました.葬儀が行われ,お坊さんによる読経,そして火葬され,墓に埋葬されるまでの一部始終に立ち会いました.
 中学生の私にとって,親しかった人がいなくなる,という体験は初めてのことでした.なぜか悲しかったわけではなく,祖父の墓の前で,「おじいちゃんはどうなったのだろう?どこに行ったのだろう?」「お坊さんがなにやら呪文のようなものを唱えているが,これは何だろう?」と漠然と思っていました.
 私の家庭では,父も母も宗教に無縁で,宗教について何か教わるということはありませんでした.宗教について何も知識が無いのだけれど,墓の前で手を合わせるお坊さんや家族の姿だけは印象的でした.手を合わせる,祈るということは,死んだおじいちゃんに話しかけることができるということであり,おじいちゃんは死んでも見えなくなっただけで,意識はある,と考えました.

祖父の病気をきっかけに「死」について考える

 私の父方の祖父は,電気屋さんをやっていました.小さい頃よく「おじいちゃんち」に遊びに行き,テレビを修理したりしているのを見て,電子工作に興味を持ったりしました.祖父は私にとって,理科に興味を持たせてくれたきっかけとなった人です.

 私が中学生くらいの頃,祖父は胃がんになり,胃の切除をする手術をしました.手術が終わり,お見舞いに行ったときは,祖父は痩せていて,衰弱していました.この時初めて,私は,死というものを意識しました.死を意識しながら,私は祖父に「元気になって」と声をかけることしかできませんでした.もう元気にはなることはないとわかっていても,です.その言葉が適切だったかはわかりませんが,祖父は孫が来てくれたことをたいそう喜んでくれました.「おじいちゃん,お願いだから,死なないでほしい.」そう心の中でつぶやくことしかできませんでした.

2013年7月28日日曜日

はじめに

今日からブログをやってみることにした.
文章を書くのは,どちらかといえば,苦手だ.
それでも,私には言いたいことがある.
だから,これから,そのいいたいことをせいいっぱい,書き込んでゆきたいと思う.