初期の善川三郎編として出た霊言集の内容は豊かで,秀逸なものでした.内容は霊界秩序の話から人生論,政治・経済論と多岐にわたっています.一冊あたりの文章量も多いですが,対話編なので読みやすいものでもありました.
富山 ただしかし、一番問題なのは、悪霊の中でもサタンという目的意識を持った悪霊、或いは魔王といわれるような連中が、実際にわれわれを惑わします。彼らもわれわれにとっての素材なのでしょうか、何のために生かされているのでしょうか、彼らは。
日蓮 その前に、あなたは一体何のために生かされているのでしょうか。人がなぜ生かされているかを聞く前に、あなた自身が一体何のために生かされているのですか。あなたの今の質問の中には、彼らの存在意義がないという主旨が読みとれます。
富山 そのとおりです。
日蓮 そうですね、その前に、その質問をするあなた自身は、一体何のために生かされているのですか。
富山 分かりません。私は今、彼らサタンのなすがままの状態に置かれ、何らなすすべもなく苦しんでいるのですから。
日蓮 あなたは自暴自棄になってはいけません。あなたは生きんと欲して生きている。あなたの生命は生きんとしている。そういっている今も、あなたの生命は生きんとして生きている。ただあなたの頭の中につまらない夾雑物(きょうざつぶつ)がたくさんあります。それがあなたを悩まし、そのような若い文学青年が悩むような言葉に酔わしているだけです。あなたの生命は生きんとしております。あなたは生きんとしております。間違った認識をしてはいけません。あなたは現に生きんとしているから、そのような質問をしているのです。
しかし、あなたは今、生きるよりどころが分からなくなっているのです。問題はそこにあるのではないですか。生きている意味がないんじゃない。生きるよりどころが見つからなくなっているのです。サタンの存在意義を考える前にまず、あなた自身の存在意義を考えてみましょう。あなたはなぜ生きているのでしょう。あなたはなぜ生かされているのでしょう。生きているというのは本人の意志の領域です。しかし生きようとしてだけ生きているのではありません。あなたは生かされています。万象万物に生かされています。何故生かされているんでしょう―。
富山 一番の疑問はその点ですね。こういうような形で生かされているということに関して、私は疑問を持っているのです。
日蓮 こういうふうな形とはどういう形でしょうか。あなたはいたずらに悲劇の主人公になっている。世の中にはあなた以上に不幸になっておられる方々、あなた以上に悲惨な体験を積んでいる方々が万といい、十万といい、百万という単位でいるのです。あなたは現に、五体が満足で、現に食うことに困らず、現にいろんな勉強をし、現にいま生きている。現に今こうして私たち他次元のものたちと生きながらにして話ができるという、このような百万人に一人も体験できないような、そういうふうな貴重な体験を今しているのです。これが幸いでなくて何ですか。
富山 不幸です!
日蓮 何で不幸なんです!
富山 今の私には不幸なのです。重荷となっているのです。
日蓮 なぜ不幸ですか! その言葉はあなた自身の自己保存から来ています。あなた以上に不幸な人はいませんか、本当にいませんか、甘いんです。そんなことに悶々(もんもん)としているのはセンチメンタリストです。
富山 しかし私はなぜ人にない霊障、それもサタンの攻撃に晒(さら)されなければならないのですか。私の守護、指導霊は、怠けていないとしたら、私にどうしろというのでしょうか。
日蓮 これには幾通りかの理由があります。
第一には、さきにも言った、あなたの心が、こちらを向いていないからです。たとえていうなら、児童が幼稚園に来る途中真っ直ぐに園へは来ず、途中たんぼや小川に下りて、メダカや、おたまじゃくしを追い回して遊んでいるのと同じです。そしてそのうち沼に足を取られて泥んこになり苦しんで泣いている状態です。
第二には、その状態から、自らの力で這い出てこようとせず、先生や、お母さんの助けを求めて声を限り呼び叫んでいるという状態です。
第三には、それを知った先生やお母さんは、あなたのために、その状態からすぐ救い出そうとしていないからです。なぜなら、あなたには自分で沼から抜け出して帰ってくるだけの力があるからです。
私たちは、あなたのために、あなたを甘やかし、過保護にしたくないからです。あなたには将来に大きな任務があり、そのためにもっともっと強くなっていただきたいのです。あなた方が主体的に生きていかなければいけないのです。あなたはひじょうな勘違いをしております。守護、指導霊に操られて生きているのではないのです。だからあなたが主体的に生きていかなければいけない。その行路において彼らは時をみてアドバイスをすることもあるでしょう。しかしながら、あくまでもあなたがたがやることなのです。
富山 ではここに悪霊が憑依しているという現象を見て、あなた方はなぜ黙認しているのでしょうか?
日蓮 黙認しています―。
富山 なぜですか?
日蓮 あなたにとって必要だからです。なぜ憑依されているかを、あなた自身に気付いてほしいからです。なぜだと思いますか―、あなたの答を聞きたい。なぜ、あなたは憑依されているのですか。
富山 憑依させておこうとしているからではないですか、あなた方が。
日蓮 させているのではなく、されているのです。もっと自分を見つめてみなさい。あなたはあまりにも甘えています。
富山 では私に憑依してくる彼らは甘えていないのでしょうか。
日蓮 彼らは甘えではなく、迷っているのです。あなたこそ彼らにとって、彼らに対し "法" を説いて、彼らを救うべき人間ではないですか、何を勘違いしているのですか。
富山 それはおかしいです。彼らに法を説くのは、私以上に資格者がいるはずです。私の守護霊がいるでしょう。
日蓮 そうではありません、彼らは彼らの仕事があります。なぜあなたは主体的に生きていこうとしないのですか。あなたの言っていることを聞くと、私たちはひじょうに残念です。なぜなら、主体性がないからです。自ら解決していこうとする男らしい力が感じられないからです。私たちはあなたをそのままにしております。あなたに気付いてほしいからです。こういう経験を通さずして、あなたは真に悟ることはできないからです。安易にそのために応急処置をとったところであなた自身を立ち直らせることはできないのです。
私たちはそんなことを知っているのです。応急処置だけで治るものではないのです。あなた自身の心が自らを救っていかなければ誰も救うことはできないのです。私たちは、応急処置を何回したところで救えないことを知っているのです。 なぜ、あなたは憑依されているのでしょうか。させているとか、そういう人のせいにせず、なぜ、あなたは憑依されているのか。あなたは今、どういうふうに自分のことを考えておられるのですか。自分が百パーセント正しいと考えておられますか。何も誤りはないのですか。誤りがあるかどうかというのは、あなたの思いと行いにおいてです。あなたの現在の思いと行い、あなたの今まで、過去における思いと行い、これに何も、誤りもなにもないのですか。自分には責任も何もないんですか。
私たちは去年も、その前の年も出てきて、あなたに正しい導きの方向を教えております。しかし、あなたはこれを全く聴いておりません。自分の都合のよい方向に、よい方向に、自分で道を歩んできております。その結果をなぜ、あなたは、自分の責任と考えないのですか。なぜ、人のせいにするんですか、私たちは何度も、何度も、あなたに繰り返して話をしております。あなたは聴こうとしません。素直に聴いておりません。
あなたは今、サタンに憑依されているということを言いました。負けてはいけません。彼らに負けてはいけないのです。あなたにはそれだけの力は与えられているのです。勇気を起こしなさい。自分に勝ちなさい、ということです。自分に負けているから彼らに負けているのです。分かりますか。自分の弱さに嘆きなさい。人を責める前に自分の弱さに気付きなさい。自分の弱さを嘆きなさい。そしてたくましく立ち上がりなさい。人を責める前に自分に反省すべきところがないかどうかをよく考えてみなさい。
引用がかなり長くなってしまってすみません.これを読み,私は悪霊・悪魔という存在がいるのだと,思いました.富山誠の「不幸です!」という叫びに,真に迫るものが感じられます.なかなか生々しいやりとりだと思いませんか?
また,この最初の本から,既に「自己責任」という考え方が出ているのがわかります.自分の不幸を人のせいにする人は,悪霊に憑かれる.つまり幸福の科学では,悪霊に憑依され人生が不幸になるのは自分の心のあり方に問題があるということであり,逆に言えば幸福になるには心を神の方向に向け,守護霊・指導霊の導きを得ることで,幸福になるという考え方を取ります.
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