2014年2月8日土曜日

幸福の科学の信仰は悪い恋愛のようなもの


 このブログでは過去を振り返ることがメインなのですが、たまには現在の気持ちを書こうかなと思います。

 幸福の科学の皆さんは、生きがいを持ち、法友に囲まれ、「主のお役に立てる喜び」を感じていることと思います。幸福の科学は、決して怖い宗教ではありません。職員さんも優しいし、強制したり脅すようなことは決して無いーーそう、思っていることと推察いたします。

 私もそう思います。ですが、それは決して幸福につながらない、欺瞞に満ちた甘い人間関係、幻の幸せなのです。これは良い例かどうかわかりませんが,間違った恋愛の中にある女性のようなものです。悪い男に騙されている、ということは、別れを切り出されて初めて知ることになるのであって,恋愛中は幸せなのです。

 ただし、こういう良くない恋愛は、たまに不安でいっぱいになることがあります。彼の言うことを聞かないと急に拗ねたり、浮気をしたり、そのことを問いつめると手が付けられないほど怒り出したり、といったことがあるのです。しかし、恋愛中は「彼にも優しいところがある」と考えてしまうため、離れることができないのです。

 こういう男は「君のことを愛してる。好きだ。」「そのうち結婚を考えている」などと言いながら、5年も10年もズルズルとした関係を続け、女性が年を取ってから、冷たく別れを切り出すのです。不倫関係にある男も同じでしょう。「君のことを考えている」とか「妻とは別れようと思っている」とか言いながら、基本的に自分のことしか考えていないのです。

 「信仰とは恋愛のようなものです」と大川隆法は言ったことがあります。この言葉は的を得ています。私は神様を好きになること、これが信仰である、と理解していました。私は「人を好きになることは良いことだ」と単純に考えていました。神様が人間を創ったのだから、人間には仏性がある。神様を信仰するからこそ、他人に仏性を見いだすことができ、相手を真に愛することができるのだ,と考えていたのです。そういう心は罪が無く、純粋ではあるけれど、ズルい人から見ればネギを背負ったカモなのです。

 「エル・カンターレは愛の神」とか「主は信者の皆様をいつも愛してくださっています」とか、そういう綺麗な言葉だけを見てはいけないのです。恋人に金をせびる男のように、幸福の科学は信者に対してお金ばかりを要求しています。「伝道は愛の行為です」と言いながら、会員入会書にサインさせた後の人を放ったらかしにしています。あるいは、そのような新入会員に対してお金やボランティアの要求しかしません。「この世で不幸であっても,あの世では必ず天国に還れますよ」と言いながら、信者に多額の財産や土地を貢がせています。「雲水修行」と称して信者に金を出させた上で精舎でタダ働きさせています。確かに信者は幸福感を感じているかもしれませんが、行動面だけを見れば,奴隷と変わらないのです。

 この話を聞いて「この世的な人、唯物論的な人は心を見ないで行動だけしか見ない」とか「霊的に見れば、尊い仕事をしている」などと思う人は、将来、幸福の科学から裏切られた時に大変なショックを受けるでしょう。それは、彼に対して尽くし,貢ぎ、人生を犠牲にしてきた女性が、突然、別れを告げられるのと同じです。あるいは、結婚生活で奴隷のような扱いを受けた上、妻の容姿が衰えてきたら夫に浮気をされたり愛人を作られたりするようなものです。大川隆法は信者を絶対に裏切らないと、本当にそう思いますか?そういう人は大川隆法が今までどれだけ多くの身近な人たち(初期の幹部や、職員、妻など)を、守護霊などの口を借りた上で責任回避をしつつ罵倒し、そのあげく教団から冷たく追放してきたかをよくよく考え直して欲しいのです。