2013年12月26日木曜日

初めての大講演会:「人生の王道を語る(序論)」を聴きに行く

 手塚治虫のマンガ「ブッダ」を読んで感動していた私は、土屋書店の霊言集も読んでいました。西荻窪の総合本部にも偵察に行ったくらいですから、私は幸福の科学にだいぶ関心を持っていたのでしょう。どの霊言集かはわかりませんが、講演会のご案内、というチラシが本に挟まっていたように思います。そこには幕張メッセで開催される「人生の王道を語る」という講演会の案内が載っていました。この講演会は二部構成であり、前半は序論で初心者用、後半は上級者用といった感じだったように思います。
 当時,霊言集には大川隆法の写真は載っていませんでした。私は、著者の大川隆法がどんな人なのか、どんな話し方をするのかを知りたくて、初めて千葉という、実家からそれなりに離れた土地まで電車で遠出して、講演会に参加することにしました。チケットは、電話で問い合わせて郵送してもらいました。3千円くらいでしたでしょうか。当時は一人で行くのはさびしかったので、弟を連れて行ったのを覚えています。大川隆法の顔を見るのが目的だったので,私達は前半の部だけに参加することにしました。
 1990年6月3日。講演会当日が来ました。会場にはかなりたくさんの人がいるのに驚きました。やがて開演時間がやってくると奉納曲と呼ばれる音楽と、様々な自然の風景の映像が会場に流れ、様々な色の照明が光の演出をしてゆきます。なんだか心が落ち着くのを感じながら、大川隆法の登壇を固唾を飲んで見守る観客達。音楽が終わると,大きな拍手とともに舞台の横から大川隆法が登場し、話しはじめました。思ったより小柄だなーという印象です。会場はかなり広かったため、自分たちの席から見ると大川の姿は非常に小さかったので、モニター画面でしか顔を確認できませんでした。その口調は抑揚が効いていてゆっくりとしていました。
 彼が話し始めると、近くですすり涙を流す人の声が聞こえてくるのに私たちは驚きました。それほどまでに感動するものなのか?と思いながら、やはり、「新興宗教団体の中に入ってしまったんだなぁ」という思いの中、講演内容を聞きました。私は,これほどの多くの人たちが、涙を流すほど感動しているという、その雰囲気に飲まれそうになりました。
 人の心は、いくつかの杭が刺さっている川の流れのようだ。その杭に、ゴミがいっぱいひっかかっているので、悩みが生じる。反省によってその杭を一つ一つ抜くことによって、心は調和され,川の水はサラサラと流れてゆくのだ、そのような心が平静心である・・・
 そんな内容だったように思います。前半の話が終わり、休憩時間に入りました。後半には本論がありますが、私たちは序論だけを聴いて、そのまま帰宅しました。後で聞いた話では、後半の話は「礼・知・信・義・勇」の話だったそうです。前半の話の指導霊は老子、後半の指導霊は孔子ということを聞いたことがあります。このように、当時の講演会には「指導霊」がついていて、話の内容によって指導霊が変わる,と言われていました。これが、私の初めての講演会への参加です。

2013年12月16日月曜日

西荻窪の総合本部を遠くから眺める

 幸福の科学の初期霊言集は、潮文社、土屋書店、幸福の科学出版の3つの出版社から出ていました。潮文社発行のものは善川三郎編であり、一番文章量が多く、対話編が中心でした。土屋書店から出るようになってからは大川隆法著という形となり、霊人が語り下ろすという形式になりました。その後幸福の科学出版からは、霊言だけでなく理論書と言われるものも出るようになりました。
 幸福の科学の書籍の後ろには、活動概要と入会案内が載っていました。当時の総合本部は東京の西荻窪にあり、その地図も載っていたのです。それによると、中央線沿線の西荻窪駅から歩いてすぐの場所でした。私は中央線で高校に通っていたので,当時の総合本部に興味を持ち、近くまで行ったことがあります。
 当時はまだ宗教法人になっていなかったのですが、なにぶん新しい組織ですし、警戒心もありましたから、扉をたたく、などという勇気はなく、そばで様子をうかがうといった程度でした。遠くから総合本部を確認すると,「人生の大学院・幸福の科学」という看板が見えました。
 この言葉は、大学を出た後も、人生ではずっと学び続けなければならないものがある、それが神理である、という意味だったかと思いますが、確か「幸福の科学入門」という本に出ていた言葉で、初期のキャッチフレーズでした。この頃の幸福の科学は特定の神様を信仰しなくても良く、会員は好きな霊人をバラバラに信仰していたように思います。信仰と言うよりも、霊人のファンである、と言ったほうが良いかもしれません。
 しばらく様子を見ていると、中から背広を着た職員らしき人が出てくるのを見ました。たぶん、正心宝と呼ばれるネックレスをぶら下げていたような気もします。この正心宝というのは、キリスト教信者で言うところの十字架のようなもので、Oの中にRが入ったデザインでした。これは大川隆法の頭文字を意味します。
 その職員らしき人は、いたって普通の人に思えました。ニコニコしながら歩いているので、怪しい雰囲気もありません。私は当時,幸福の科学の職員になれるような人は皆悟りを開いており、霊道も開けているのではないかと思っていました。だから総合本部の中に入れば,私に憑いている悪霊を指摘されたり、過去世を当てられたりするのではないかと思っていたので,声をかけたり近づくことはせず、そのまま静かに帰宅したのを覚えています。


2013年12月5日木曜日

太陽の法は私の好奇心を満たしてくれた

 前回まで、太陽の法の旧版と新版の比較を行ったのですが、1987年当時の高校三年生の私にとっては、そのようなことはわかるはずもありません。「太陽の法」では神による宇宙と地球の創造、魂の性質、悟り、アトランティスやムーといった超古代文明の様子などといった、スケールの大きな世界観を説いていました。そこには学校の教科書には載っていない、見たことも聞いたこともない話がたくさん載っていたのです。
 「幸福の科学には高学歴の人がたくさん入っている」という言葉はよく言われました。特に幸福の科学が急成長しているかのようにテレビで報道された時期はそう言われました。会員は、それを良い意味に捉えていました。東大卒の教祖というのは、とても珍しい存在でしたし、受験勉強を肯定し、社会的成功や経済活動を肯定する新興宗教というのは、大学を卒業したいと思っている人にとってはまことに安心できる宗教に思えました。
 しかし一般の人にとっては「高学歴の人が何故、新興宗教に?」という、ネガティブな意味で言っていることが多かったと思います。「幸福の科学?あー、高学歴の人がよくひっかかっているよね」と言われたこともあります。私は「この人はまだまだ新しい宗教に対する偏見があるけれども、幸福の科学は他の宗教とは違う,知的な宗教だということを認めてくださっているのかな」などと我田引水的に考えていました。他人の言葉を都合良く解釈するというのも幸福の科学の特徴です。会員にとっては、「常勝思考」を実践しているつもりなわけですけれど。
 私は最近になって思うのですが、学校という所は、ある意味、信じやすい心を持つ訓練を受ける場所でもあるのではないかと思えます。学校の先生が言うことや、教科書に書いてあることに対して疑問や反発を持つ人は、勉強が遅れます。受験勉強は時間との戦いですから、「呑み込みの早さ」が大事なわけです。勉強の基礎は読解力にあります。私は本をある程度読んでいたので、国語も得意でした。それゆえ、他の科目の問題文も素早く理解することができました。ただし、読む本のジャンルは理科系にばかり偏っていたと思います。
 初期の会員には読書が苦手な人は少ないように思えます。「太陽の法」で書かれていることは、「霊的な世界」の話であるわけですが、その体系化された大量の知識は読書好きな私の好奇心を満足させたのかもしれません。知識は、もっぱら書物から得るのが普通だったし、書物に書いてあることにウソは無いと信じていたからこそ、まるで食べ物を片っ端から食べていくように幸福の科学の本を次々と読んでいくことが可能だったのです。
 しかし私には批判的に書物を読む,という読み方は知らなかった。大人はウソをつくこともあるということや、信用できない人もいる、ということも知らなかった。それどころか、世の中の犯罪者というのは、あのレ・ミゼラブルの主人公のジャン・ヴァルジャンのように、やむにやまれぬ事情があって、心ならずも悪を犯してしまったのである、彼らには同情すべき余地もある、などと考えていたくらいですから、非常に純粋な、ウブな青年だったのを思い出します。先生が言うことや教科書に書いてあることをすんなりと受け入れることができる、という訓練を学校や受験勉強で受けていたからこそ、幸福の科学でも先生=大川隆法主宰先生の言うことを受け入れ続ける姿勢ができたのかもしれません。