幸福の科学の初期霊言集は、潮文社、土屋書店、幸福の科学出版の3つの出版社から出ていました。潮文社発行のものは善川三郎編であり、一番文章量が多く、対話編が中心でした。土屋書店から出るようになってからは大川隆法著という形となり、霊人が語り下ろすという形式になりました。その後幸福の科学出版からは、霊言だけでなく理論書と言われるものも出るようになりました。
幸福の科学の書籍の後ろには、活動概要と入会案内が載っていました。当時の総合本部は東京の西荻窪にあり、その地図も載っていたのです。それによると、中央線沿線の西荻窪駅から歩いてすぐの場所でした。私は中央線で高校に通っていたので,当時の総合本部に興味を持ち、近くまで行ったことがあります。
当時はまだ宗教法人になっていなかったのですが、なにぶん新しい組織ですし、警戒心もありましたから、扉をたたく、などという勇気はなく、そばで様子をうかがうといった程度でした。遠くから総合本部を確認すると,「人生の大学院・幸福の科学」という看板が見えました。
この言葉は、大学を出た後も、人生ではずっと学び続けなければならないものがある、それが神理である、という意味だったかと思いますが、確か「幸福の科学入門」という本に出ていた言葉で、初期のキャッチフレーズでした。この頃の幸福の科学は特定の神様を信仰しなくても良く、会員は好きな霊人をバラバラに信仰していたように思います。信仰と言うよりも、霊人のファンである、と言ったほうが良いかもしれません。
しばらく様子を見ていると、中から背広を着た職員らしき人が出てくるのを見ました。たぶん、正心宝と呼ばれるネックレスをぶら下げていたような気もします。この正心宝というのは、キリスト教信者で言うところの十字架のようなもので、Oの中にRが入ったデザインでした。これは大川隆法の頭文字を意味します。
その職員らしき人は、いたって普通の人に思えました。ニコニコしながら歩いているので、怪しい雰囲気もありません。私は当時,幸福の科学の職員になれるような人は皆悟りを開いており、霊道も開けているのではないかと思っていました。だから総合本部の中に入れば,私に憑いている悪霊を指摘されたり、過去世を当てられたりするのではないかと思っていたので,声をかけたり近づくことはせず、そのまま静かに帰宅したのを覚えています。
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