2013年8月18日日曜日

明治維新の志士たちの霊言に見る魅力

 宗教と言えば何かと難しい話が多い中で,初期霊言集は宗教家だけではなくソクラテスやカントなどの哲学者,エジソン,坂本龍馬や吉田松陰,西郷隆盛などの登場人物が自由に発言するので,新鮮な感じを受けたのを覚えています.特に明治維新の志士の霊言を集めた「坂本龍馬の霊言」(1986年7月出版)は会員には大人気だったように思います.中でも吉田松陰は,善川三郎を厳しく叱っています.その様子は,読者の心をガッチリとよくつかんだと思います.例えば,こんな感じです.

善川  お訓えのおもむきよく判りました。私も年を寄せてまいりましたが、また今後如何程の寿命を与えられるかは存じませんが・・・
松陰  その言葉が気に食わない――
善川  生命の尽きる最後の一瞬まで、生命の火が燃え尽きるまで゛神法゛普及のために尽す覚悟であります。
松陰  真か、それは真か、僅かこの一日、今日一日を振り返ってでもその言葉は誠か、過去は問わない、今日一日を振り返ってでもそれは、その言葉は真か、自らの心に問い質して真か、私達にはあなたの心はすべて読めるのだ・・・(後略)

 私はこういう上司は苦手で,どちらかというとのんびりした思想を持つ「老子」が好きだったのですが,他の会員さんは,結構「叱られるのが好き」な人が多かったように思います.善川三郎は霊言でよく弱音を吐いては他の霊人に叱られていました.その様子を読んだ会員の気持ちとしては,善川三郎を自分自身に重ねていたと思います.

 というのも,やはり当時は新興宗教と言えば「怪しげなもの」という評価が一般的で,そんなものを信じていると言えば,キチガイ扱いされることが多いので,霊言集を読んでいることを他の人に知られることさえ,とても怖かったです.宗教の信者になることは,やはり相当勇気がいることでしたし,信者になった後,友人や家族にそのことを打ち明けるのはずいぶん抵抗がありました.よく気弱になったり,他人の言葉にひるんだりしたとき,この霊言を読むと,自分が叱られているように思え,いや,このままではいけない,勇気を出さなければ,と奮い立つのです.

 坂本龍馬は,かなり人気がありましたね.当時の会員はいわゆる「いい人」が多く(今もそうかもしれないですが),私もどちらかというとおとなしいタイプです.そんな人が坂本龍馬の「ちんこい、ちんこい、心臓のカサブタぶっ飛ばせ!」とか「精神的な脱藩をせい!」みたいな文章を読むと,かなり魅力的に思えるものです.後に精舎で会った人は,龍馬と同じ格好(コスプレ?)で研修に来ており,龍馬人形(フィギュア?)を持っていましたね・・・.

 西郷隆盛に至っては,これもどれだけ会員の不安な気持ちを慰めてくれたかわからないかもしれません.ここにもちょっと引用してみます.
西郷  また、私の声を今伝えているこの若もん(注:大川隆法のこと)にも、おいどんは言いたかことがあるとです。
 あんた、若いのに、ご苦労なことでごわす。こういったことばあ勇気がなければできんとです。あんた若いし、未だ世に出て日もない。年も浅い。もっと遊びたいこともたくさん、あるとでっしょ。遊びたいでっしょ、もっといい思いもしたいでっしょ、もっと優雅にも暮らしてみたいでっしょ、もっと多くの友達持って楽しかことやりたいでっしょ。
 ――けど、あんた、こんな大変な使命仰せつかって苦しんどるとです。おいどんには分かりもす。あんた、こんな世界に入るにゃ若過ぎるんです。四十、五十、六十で宗数的なことやる分にはいいのです。お迎えが近づいている時に、宗数的なことやっても自分のためにはなるし、人もまたそれなりに見てくれるからおかしなことではなかとです。二十代でこのようなこと、しなけりゃいけないということは、あんた大変な苦労ばしちょると思います。あんた哀しか気持で毎日居ると思います――。
見事に会員の気持ちを代弁しています.そう,宗教活動をするということは,悪口を言われたり,友人や家族が離れていったり,社会的な立場が危うくなったりと,苦労することばかりであろうと思われるからです.しかし,それでもこの真理に気づいた私たち青年は,日本の国に変革を起こしてゆかなければならない.誰かが捨て石にならなければ,時代を変えることはできないのだ――そう思って,明治維新をもう一度やるつもりで活動していたと思います.会員にとっては,霊人が本人かどうか,言っていることが本当かどうかということは,確かめようがないのです.感情が動かされた(感動した)から,その言葉を信じるのです.坂本龍馬の霊言に惹かれた人たちは知性・理性より「情で動く」タイプで,会の活動を行動面でよく支えました.

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