2013年9月12日木曜日

初期の頃の高橋信次霊の位置づけは非常に高かった

 幸福の科学にとって,高橋信次は重要な人(霊)だと思います.今の信者さんは高橋信次霊こそ幸福の科学に混乱をもたらす原因になった霊であると考えていると思いますし,尊敬している人はいないと思いますが,当時の高橋信次の教団内での位置づけは,非常に高いものだったんですよ.

 一番最初に出た霊言である「高橋信次霊言集」では,彼の位置づけがどうなっていたか,まえがきとあとがきを紹介しようと思います.これは,1986年潮文社から出たもので,後に信者向けに出た会内限定書籍「大川隆法霊言全集」にはたぶん載っていないと思います.
まえがき
(前略)
 高橋信次氏は、一九七六年六月にこの世を去って、丁度五年後、一九八一年六月に、自らの予言通り、私、大川隆法に、霊天上界から通信を開始されました。まさしく、イエス・キリストが十字架に架けられた後、自らが救世主であることを、旧約聖書に預言された救世主であることを証明するために、弟子たちの前に「復活」して見せたように、私に驚異的な啓示を開始されたのです。
 しかし、私はこの後、約五年間の沈黙を守ってきました。同氏には、GLAという後継の団体があり、また、同氏の、「心の発見」、「人間・釈迦」、「心の原点」等々の著書を通して、今もなお、全国各地の有志たちが、魂の学習に励んでいる事実を考慮してのことでありました。
 しかし、一九八六年七月、私が、神理伝道のために、勤務していた総合商社を退社するや否や、高橋信次氏からの、ご自身の現在の考えを世に問いたいという、強烈な願いが一条の光となって、私の胸を貫きました。私は同氏の熱意に打たれて、ついにこの書を世に問う決断を致しました。
 高橋信次氏のかつてのお弟子さんたちの多くが、現在、間違った方向へとそれて行っていることに対し、同氏は、なんとか彼らを、彼らが生きているうちに救ってやりたいと、強い情熱の程を吐露されたのであります。
 本書には、同氏の情熱が流れています。女性の受聴者を用意して、何度かに分けて、私を通じてご講演を願ったため、その教えも平易で、極めて日常生活に密着した題材をもとに、ユーモラスに神理を語っておられます。
 本書が、かつてGLAで高橋信次氏の教えを受けられた方々ばかりにではなく、より多くの人々に読まれ、神理学習の一助となることを祈ります。
 最後に、同氏が帰天されて後、十年の長きにわたって、法灯を守ってこられた、GLA主宰、高橋佳子さんに、心から敬意を表します。
  一九八六年九月 大川隆法
あとがき
 私は、高橋信次氏とは生前一度もお会いしたことはありません。また同氏の教えを直接受けたこともありません。ただ遣された御著書を通じて、神理を学ばせて頂いただけです。
 しかし、あえて同氏の霊言集を世に問うた理由は、今回の、日本を中心とした救世運動の先駆者の一人として、地上に肉体を持たれた偉大な光の天使の一人が高橋信次氏であったからです。
 同氏は現在、私の指導霊の一人でもありますが、やはり、現代の日本に生きられた人だけあって、その教えは大変具体的でまた的確です。その意味で真に人を救いうる教えだと言うことができましょう。
 地上を去って十年、今なお救世の熱意冷めやらぬ、偉大な光の指導霊、高橋信次氏に対して、読者と共に、感謝致したいと思います。
 また、本書刊行に際して、情熱的な協力を借しまれなかった、原久子さん、潮文社編集部の皆様方にも、この場を借りて感謝致す次第です。
  一九八六年 九月十八日  大川隆法
ここで,幸福の科学の初期を支えた重要な人物,原久子さんが登場します.まえがきにあった「女性の受聴者」も,おそらく同一人物でしょう.この人は元GLA信者で最初の幸福の科学信者でした.1986年,幸福の科学設立のため,主宰していた自分のヨガ教室に通っていた人たちを会員へと勧誘し,自宅二階を事務所として提供しました.「新・幸福の科学入門」という書籍には,次のように書かれています.
幸福の科学の事務局は、原久子さんが私財数百万円を投入して、ご自宅の二階を増築工事をし、六畳一間の離れをつくってくださって、店開きができたわけです。
軽井沢に所有していた自分の別荘を提供したり,土屋書店を紹介したり,種村さん(初期に有名になった本部講師)を生長の家から幸福の科学に呼んだのも彼女と言われています.「私財数百万円を投入」ということ一つを取ったとしても,彼女が幸福の科学設立のために,身を粉にして尽くしたことが窺えます.そのような行動をした動機には「神理(真理)に出会えたという喜び」があったと思います.日々植福(寄付・献金)をしている信者の皆さんなら,彼女の気持ちがある程度わかるはずです.

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