2013年7月31日水曜日

ノストラダムス本人の霊との対話

 1980年代~90年代は,いわゆる「ノストラダムスブーム」の時代で,20世紀が終わる世紀末に何かが起きるのではないか,という漠然とした不安のようなものを誰もが持っていたように思います.たまに,テレビではノストラダムス特集番組のようなものもやっていました.私も,まさにそのような気持ちを持っていました.五島勉の書籍も読み切ってしまったし,その他のノストラダムス本はどれも難解で曖昧であり,未来に起きることをズバリ書いてあるものはなかなかありません.

 いつものように本屋を歩いていると,「ノストラダムスの新予言」という本を見つけました.出版年は1988年だったようです.立ち読みしてみると,本の冒頭に次のような言葉が書かれていました.

ノストラダムス: ノストラダムスです。
―― あなたは予言者ノストラダムス様ですか。
ノストラダムス: そうです。

 これは,正直驚きでした.ノストラダムス本人が,語っているのです.読めば,霊界のノストラダムスが,霊言として未来予言を行うという,衝撃の内容だったのです.私は,すぐに購入して,予言の具体的内容を詳しく読み進めていきました.五島勉の本とは違い,この本は「ノストラダムス本人」が語っているもので,四行詩のような抽象的でわかりにくい予言ではなく,西暦を指定した,具体的な内容です.

 もちろん,その内容の真偽は,未来が来てみなければ,わかりません.ただ,その本の冒頭には「予言というものは多少ずれる場合がある」また,「確定要素と不確定要素がある」と説明していました.

 私は,もし予言が絶対的なものであれば,警告の意味は無くなるし,そもそも「絶対当たる予言」などというものを言うような人こそ怪しい,と思っていました.世の中に「絶対」はありえない,確定した未来もまたないと思っていましたので,その霊の説明にはなんだか納得できるものがありました.そう前置きした上で,さらに,ノストラダムス霊は具体的な予言を行っていきます.

 「恐怖の大王」とは核ミサイルの雨であり,第三次世界大戦である.そして,その時に現れると予言した「アンゴルモアの大王」とは「東洋の救世主」のことである.火星(マルス=軍神,武力を象徴)の支配,それを途中で終わらせるためには,金星の法・太陽の法が必要で,その太陽こそが日本に生まれ変わったヘルメス=救世主,釈迦の東洋思想であるといったことが書かれていたと思います.曖昧な解釈しかできなかった予言詩に対して,ノストラダムス霊本人は明確な解釈を与えたわけです.

 私は,ノストラダムス霊が述べることが五島勉の本と同じだと思いました.その頃は五島勉のノストラダムス本をずいぶん読み込んでいたので,私の中の真偽の基準は五島勉にありました.ですから,この本の著者・大川隆法はずいぶん鋭いことを言うなあと,思いました.今の私なら大川隆法も五島勉もどちらも間違っている,という可能性も一応検討したかもしれません.ですが当時の私は,「二人とも同じようなことを言っている,これは信憑性が高いかもしれない」と考えました.また,霊言というものも,あり得ることなんだと言うことは,以前ラジオでも聞いたことがあるし,テレビでもやっていましたので,そういう人もいる可能性は否定できない,と思っていました.



2013年7月30日火曜日

ラジオで聴いた霊界通信

 五島勉の「ノストラダムスの大予言」とその続編の内容は,読者にとって結構迫真に迫るものでした.過去にベストセラーになったこともある本なので,その内容には危機感がにじみ出ており,著者が真剣に1999年の恐怖の年をなんとか回避できないものか,予測されている危機をなんとか世間に知らせ,警告したいと思っていることが,感じられました.特に私は本好きな純粋な少年だったので結構信じていたし,どうすればよいのか,という危機感を常に持っていたと思います.

 そんな中,ある日私が風邪を引き,熱を出して寝込んでいたとき,ラジオを聴いていたのですが,そのラジオ番組で霊界の死者との対話を試みる,という企画(?)を偶然耳にしました.それは,霊能者にあの世の死者の霊を乗り移らせて言葉をしゃべらせ,会話を試みるというものでした.当時はそのような番組が流行っていたのかどうかよくわからないのですが,1980年代と言えば宜保愛子という人気霊能者がテレビでもよく出演して活躍していた時代です.また,テレビや雑誌では,よく心霊写真というものもよく紹介されていました.私は大人がウソをつくはずがないと,子供心に信じていましたし,インチキやウソの可能性を疑ってみることはできるものの,公共のテレビやラジオ,書店で売り出されるようなしっかりとした本に書いてあることは,ある程度正しいのではないかと思っていました.

 さて,そのラジオの霊能者が,霊を降ろすと,突然その声色が変わり,全くの別人であるかのように聞こえました.その臨場感は,本当に死者が語りかけてきたかのように感じられたのです.どうやら世の中には,普通の人ができないことができる,特殊な人がいるらしい.ノストラダムスも,500年も前の人ではあるけれども,未来をイメージとして見ることができる,特殊な能力を持っていたのかもしれない.五島勉の書籍では,あれこれと予言の五行詩を解釈し,あーでもない,こーでもないと言って悩んでいるが,もしも霊界のノストラダムスに直接話を聴くことができれば,話は早いし,未来に何が起きるのか,はっきりするのではないか?と思いました.1999年に人類が滅亡するかどうかは,若い私達にとっては人生に関わる重要な問題だったのです.

神智学とシュタイナーに関心を持つ

 私が通っていた高校の最寄り駅には,3階建ての本屋がありました.私は学校が終わるとよくその本屋に行き,読みたい本を探していました.その本屋の3階のフロアには,科学に関する数多くの専門書とともに,神秘主義関係の本もたくさんありました.私はかたっぱしから立ち読みし,興味がある本を買っていたと思います.当時の私には,神秘主義も科学も同じジャンルであったわけですから,いろんな本に手を出しました.

 中でも興味深いと思った本は「神智学」でした.これは19世紀にブラヴァツキー夫人により創られた神秘思想で,かなり込み入った難解な思想ですが,やはり宇宙を説明しようとしている点で科学にも通じているようであるし,しかも古今東西の様々な宗教思想や神秘思想,オカルトなどを取り入れた総合的な学問のように思えました.

 ただし私はどちらかというと,神智学ではなく,人智学というものを創ったシュタイナーのほうが好きでした.,シュタイナー教育で有名かもしれませんが,彼は元々オカルティストです.今も,シュタイナーが出した「ゲーテ的世界観の認識論要綱」という本を持っていますが,難解ではあるものの,科学的観点とは全く異なる-180度異なると言ってもいい-にもかかわらず,何か一定の説得力や論理的思考のようなものも感じる,不思議な本だったように思います.

実際,神智学もシュタイナーの本も,非常に難解で膨大な量の情報が詰め込まれているわけですが,難しすぎてわかったようなわからないような気分にしかならない,という点では,同じフロアにある科学の専門書も,同じようなものでした.高校生の自分にとっては,とうてい深く理解することはできないのかもしれない.もっと勉強を続けてゆけば,このチンプンカンプンな神智学と科学の専門書を統一的に理解できるようになるかもしれない,と思いました.

2013年7月29日月曜日

神秘思想と科学への興味

中学生・高校生の頃と言えば,「カバラ数秘術」という本も読んでいました.

 これは,一言で言えば「占い」で,誕生日の数をある特殊なやり方で足し合わせていくと,一つの数になり,その数によって運命や性格を分類しようとする考え方で,結構面白かったように思います.私の場合は,占いにとどまらず,その思想的背景についても興味を持ち,結構分厚くて難しそうな本を取り寄せて,読んでいたように思います.

 今となっては,よく思い出せませんが,カバラというのはユダヤの神秘思想で,神による天地創造を説明したものだったかと思います.最初に神が創った神人「アダム・カドモン」であるとか,最近「エヴァンゲリオン」というアニメでも出てきた「生命の樹」の話とかが出てくる,そういう神秘思想の本でした.

 神秘思想の近くにはオカルト思想というものもあるわけですが,知らない人は荒唐無稽であるとか信じられないとか言うかもしれません.ですが,あらかじめ前提知識が無い状態,あるいは中学・高校生の時のように頭が固くない時期にその思想に触れた人にとっては,結構科学的な感じを受けるものです.

 それもそのはず,神秘思想あるいはオカルトというものは,科学があまり発達していない時代の人々にとっては,それこそが科学そのものだったわけです.今は占いの一種である「占星術」も,昔は「ヘルメス思想」と呼ばれる神秘思想の一部であったわけです.

 その思想の考え方は,宇宙を機械的に捉えるのではなく,生き物であると捉えます.山から様々な金属が産出されるのは,人間の皮膚にニキビができるのと同じではないか?というわけです.

 もう一つはミクロコスモスとマクロコスモスとの間には類比関係がある,という考え方です.つまり,天空の星の動き(マクロコスモス)が,地上の人間の人生(ミクロコスモス)に影響を与えるということが,「科学的な法則」と考えられていたわけです.一方,天空の星々の動きと物質の元素の間にも,何らかの関連があるに違いない,そういう信念の元に錬金術の研究が行われてきたわけです.

 この占星術と錬金術は進化し,現代では天文学と化学と呼ばれています.天文学で「マーキュリー」と言えば太陽に一番近い惑星である「水星」のことを指しますが,化学における「マーキュリー」は「水銀,Hg」のことです.両者は関係があると考えられていたのです.

 ですから,当時科学にも興味があった私にとっては,神秘思想と科学は同じ思想から分かれたものであり,その本質は変わらないのではないか?と考えるようになっていきました.

思春期は神秘を感じる年頃

 1987~9年頃だったでしょうか,私が高校生の頃です.私はよく本を読む生徒でした.東京の,割と有名な中高一貫校に通っていましたので,通学には電車を使っていました.電車の中では色々な本やマンガを読みました.私は理科が得意だったので,ブルーバックスをよく読んでいたかな.科学への関心は,宇宙論と量子力学に向かっていました.量子力学とは宇宙を支配する物理法則でもあり,幽霊のように振る舞う電子などの素粒子の世界について述べたもので,大変神秘的なものです.私は素粒子などのミクロの世界と銀河や宇宙論,ビックバンやブラックホールなどのマクロの世界の両方に興味と憧れ,神秘を感じていました.

 高校生の頃というのは思春期でもあり,感性が豊かで感動しやすいものです.ある日,手塚治虫の「ブッダ」を読んで,感動して泣いたこともあります.ここで,転生輪廻の考え方を知ったのかもしれません.鴨長明の「方丈記」を読んでも感動していました.「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず・・・」という,何とも言えない無常感に心が動くような,繊細な少年でした(今もそうだと思います.).

 ヴィクトル・ユーゴーの「レ・ミゼラブル」にも泣けました.パンを盗んだ罪で追われる身となり,様々な苦難に出会う主人公にハラハラしながら,読みふけりました.その中で,司教さんが主人公を人間不信から立ち直らせ,正直な人間として生まれ変わらせる,という話がありました.この話にはずいぶん感動して,宗教者の持つ「許しの心」に感動したりしました.

五島勉著「ノストラダムスの大予言」にハマる

 祖父の見舞いに行った時,病院の待合室で,「ノストラダムスの大予言」という本を偶然手に取りました.五島勉という人が著者で,当時ずいぶん流行った本だったようです.

ノストラダムスは5行詩という,難解な詩を書き残しました.その詩を集めたのが「諸世紀」という本です.五島勉によれば,その詩は未来を予言している,と言うのです.その最大のクライマックスとも言える詩には「1999年7の月に恐怖の大王が来るだろう」という言葉がありました. つまり,今から(当時)13年後の1999年7の月,何かとんでもないことが起きて人類は滅びるかもしれない,と言うのです.

 この本はシリーズものになっていて,様々な詩の解読を行いながら,未来に起きるであろう事件がどんなものなのかを解き明かそうとしていました.「恐怖の大王」とは何かについて,環境汚染説,隕石の衝突説,などなど,色々な仮説を検討しながら,危機に備えようと呼びかけていたように記憶しています.

 私は,シリーズものを読み始めると,最後まで読まずにはいられないタチなので,一冊ずつ続編を買い求めては,ドキドキしながら読んだのを覚えています.そして,その危機を回避するにはどうすれば良いのだろうか?と真剣に考えるようになりました.これは私が中学生の頃の話です.


祖父の葬式で「霊」について考える

 まもなくして,祖父は亡くなりました.葬儀が行われ,お坊さんによる読経,そして火葬され,墓に埋葬されるまでの一部始終に立ち会いました.
 中学生の私にとって,親しかった人がいなくなる,という体験は初めてのことでした.なぜか悲しかったわけではなく,祖父の墓の前で,「おじいちゃんはどうなったのだろう?どこに行ったのだろう?」「お坊さんがなにやら呪文のようなものを唱えているが,これは何だろう?」と漠然と思っていました.
 私の家庭では,父も母も宗教に無縁で,宗教について何か教わるということはありませんでした.宗教について何も知識が無いのだけれど,墓の前で手を合わせるお坊さんや家族の姿だけは印象的でした.手を合わせる,祈るということは,死んだおじいちゃんに話しかけることができるということであり,おじいちゃんは死んでも見えなくなっただけで,意識はある,と考えました.

祖父の病気をきっかけに「死」について考える

 私の父方の祖父は,電気屋さんをやっていました.小さい頃よく「おじいちゃんち」に遊びに行き,テレビを修理したりしているのを見て,電子工作に興味を持ったりしました.祖父は私にとって,理科に興味を持たせてくれたきっかけとなった人です.

 私が中学生くらいの頃,祖父は胃がんになり,胃の切除をする手術をしました.手術が終わり,お見舞いに行ったときは,祖父は痩せていて,衰弱していました.この時初めて,私は,死というものを意識しました.死を意識しながら,私は祖父に「元気になって」と声をかけることしかできませんでした.もう元気にはなることはないとわかっていても,です.その言葉が適切だったかはわかりませんが,祖父は孫が来てくれたことをたいそう喜んでくれました.「おじいちゃん,お願いだから,死なないでほしい.」そう心の中でつぶやくことしかできませんでした.

2013年7月28日日曜日

はじめに

今日からブログをやってみることにした.
文章を書くのは,どちらかといえば,苦手だ.
それでも,私には言いたいことがある.
だから,これから,そのいいたいことをせいいっぱい,書き込んでゆきたいと思う.