私が昔、学生部で活動していた頃、東大の駒場祭で学生向けの講演会がありました。
「黎明の時代」と題する講演会で、1991年頃のことだったとおもいます。
当時大川隆法は総裁ではなく「主宰」と呼ばれていました。
その中で、21世紀に来たるべき未来社会では、宗教家が最も尊敬される職業になるだろう、という話があったかと思います。
たしか「ユートピア創造論」という書籍にも、似たような話があったかと思います。
学生部の間では、幸福の科学の職員になると言うことは憧れであり、希望でした。
人生の大学院・幸福の科学。今はまだ小さな組織だけれども将来は世界を救うようになる。
大企業に入って自分の才能を埋もれさせるよりも、この幸福の科学に入って、才能を発揮したい。
私は職員にはならなかったけれど、大学卒業と共に、夢と希望を持って幸福の科学の職員になった学生部の仲間たちが数多くいました。
彼らはどうなったのだろう。 今、どこにいるのだろう。
いずれにせよ、1999年に起こると言われた地球規模の天変地異を回避するために、大伝道の中を駆け抜けたはずです。
親戚・友達・近所・町内会に至るまで、あらゆる縁故を伝って、この世界が滅びる前に「霊的世界の実在を伝えたい」と思って昼夜を問わず活動したはずです。
「何言ってんの?お前は騙されているんだ」「宗教?うさん臭いなあ」「もう書籍を送るのはやめてくれ」「ごめん、もう友達じゃないから・・・」
そんな声を何度聞いたことでしょうか。何度くじけそうになったことか。
妻や親戚が活動に反対し、遂には離婚せざるを得なくなったこともあったでしょう。
別れるときにみせた、元妻のあの悲しそうな顔が、脳裏から離れないときもあったはずです。
その度に、必死に涙をこらえながら主に祈りを捧げ、このエル・カンターレ信仰を守ろうと、自らを奮い立たせてきたはずなんです。
そうして、支部長や精舎の館長として実績を作り、様々な出会いと縁の中で、総合本部に異動する機会を得た職員、
主のお側近くで働けるという、この上ない喜びを得ることができた本部職員もいらっしゃるでしょう。
そして中には、大救世主と直接お会いし、数千年に一度しかない、霊天上界から高級霊・内村鑑三の霊言が降ろされる、まさにその歴史的現場に、インタビュアーとして参加を許された人もいるでしょう。
霊言の収録前、その奇跡の瞬間に臨んで、控え室で緊張しながら質問内容を一つ一つ確認したかもしれません。
そんな、ある職員が、長い長い信仰の道を歩いてきた、その果てに体験した出来事を、以下に示します。
経典:内村鑑三「信仰・学問・迫害」を語る より
斎藤 私たちを叱るとしたら、どこが問題なのでしょう。これは自己保身なのでしょうか。「現実を解釈してしまう」と言っていましたけれども・・・。
内村鑑三 さっき来世の話もあったけど、来世は後悔することになるから。間違いなくね。だから、今、私が代わりに言ってやってるんで。
必ず来世は後悔するよ。
「実際は、信仰の不足が現実の届かざるを招いた」ということが、いずれはっきり分かるから。
だけど、「信仰が不足してるために、現実が届かない」ってことが理解できてないから、今、政党をやったり、大学をやったり、いろいろなことをしてそれを気づかされてるのよ。現実はね。
届いてないことが気づかされてるんだけど、それをまた「解釈」で逃げようとしているからね。たぶんね。
斎藤 「今のこの現実は、われわれの足りないところを教えてくれている」というか、それを示しているのだけども、まだ受け入れられない?
内村鑑三 うん。要するに、「プロの仕事のレベルまで達してない」っていうこと。
斎藤 はあ・・・。
内村鑑三 君らは、「小学生が給料をもらっている」ようなもんだからさ。基本的にはね。
これが、本当に、天上界から私たち弟子を見守ってくださっていたはずの高級霊の言葉なんでしょうか?
幸福の科学のために、全てを捧げてきた弟子達に対する言葉が、これですか。
あまりにも、ひどすぎるんじゃないでしょうか。
>実際は、信仰の不足が現実の届かざるを招いた
返信削除>君らは、「小学生が給料をもらっている」ようなもんだからさ
確かにひどいものです。でもあなたは幸福の科学の間違いに気づいて、方向転換したんです。
大勢の信者がただもう耳をふさいで、大川隆法をひたすら盲信しているのに比べて
とても立派な行為だと思いますよ。
人間として尊敬に値すると私は考えます。
yamamotoさん、こんにちは。
返信削除ありがとうございます。私は大川のウソに気がついて、うまく辞めることができたので今は幸せです。
辞めたと言っても、植福の会と支部メールの受信を止めて支部に行かなくなっただけなんですが、今はもう連絡も来なくなりました。
ただ私は、今も会で活動している私の知り合いの会員さんや、職員になっている友人が、ウソつき教祖のために人生を犠牲にしているのに気がついてほしくて、このブログを書いているつもりです。