2014年11月23日日曜日

総裁は二枚舌を使っている

「総裁は時と場合によって言うことがコロコロ変わる」というのは、昔から言われていたことだし、本部からの指示は朝令暮改どころか「朝令昼改」だし、総合本部・支部長・実現党・学園に至るまで、その人事はめまぐるしく変わります。

そのことは信者としても十分わかっていましたし、最初は戸惑うこともありましたが、今ではもう慣れっこになっています。

ここにも感覚の麻痺があるんですが、信者としては「総裁先生は相手の悟りを見て話の内容を変えられる」とか、「イノベーション」「体系的破棄」「諸行無常の原理」「霊速のご判断」などという、これまた様々な理由で説明され、自分自身を納得させています。

ですから、総裁が矛盾したことを言っても全然気にならなくなっているし、不思議にも感じません。

総裁の「不合理なれど我、信ず」とか「考える必要はありません、ただついてきなさい」などいう言葉の響きだけに酔ってしまっている人は、もはや「自分で考える能力」を失ってしまっているのです。自分が「木偶の坊」になっていることさえ認識できなくなっているのです。

そのような信者さんに何を言っても無駄であることはよく承知してはいるのですが、あえて私は、信者さんたちが「矛盾した言葉」によってその心を束縛されていると言うことをお伝えしたいと思うのです。

そのような例はいくらでもありますが、例えば以下の2つの文章の内容を、自分自身でゆっくりと考えてみてください。

1 大川隆法著「社長学入門」

自分で考え、発案し、実行したことは、その結果に対して責任が生じます。その責任を受けて立たなければいけないのです。そういう意味で、社長が、「すべては私一人の責任だ」と思っているからこそ、部下に対して、「かくあるべし」という要望ができるわけです。
(中略)
ところが、上司が責任逃れをするために「おまえがやれ」と部下に言っているように感じたら、部下のほうは、やっていられないでしょう。「私のほうを部長にしてもらわないと、そんな仕事はできませんよ」と思うことになります。その意味で、部下をよりよく使うためにも、上の立場にある者、すなわち、社長、経営者、経営管理者、経営担当者などは、まず、「自分に責任があるのだ」と考えなくてはなりません。

2 内村鑑三「信仰・学問・迫害」を語る

内村鑑三 だからね、君らは「非常識」なのだよ。 
斎藤 えっ、非常識!? 
内村鑑三 うん。非常識なんだよ。 大学があれかもしらんけどさ、審議会の人が言ってるあれじゃないけども、「弟子がもっとちゃんとやれ」って言ってるのは常識的な立場なんだよ。本当はそうなんだよ。やらなきゃいけないんだよ。 
弟子が"神輿”を担がなきゃいけないんだよ! 
だけど、神様が神輿を担いでる。それで弟子が神輿の上に乗ってるんだよ。これが幸福の科学の現状なんだよ。 
それを外から指摘されてるんだけど、分かってないんだからさあ。情けないかぎりだわ。 
神輿のなかにいる神様が下りてきて神輿を担いで、弟子が神輿の上に乗ってる。これが現状じゃないか!

総裁は「社長学入門」の中で、上の立場にある者はまず「自分に責任があるのだ」と考えなくてはならない、と言っています。ところが内村鑑三の霊は「大学が認可されなかったのは弟子が非常識だから」と言っています。

しかし、本来ならば「トップである総裁自身に責任がある」と考えるべきではなかったのでしょうか?ここに大きな矛盾があります。

信者さんなら、「内村鑑三霊と総裁の考えに矛盾があってもおかしくない」と答えるでしょう。

また、「総裁は責任を十分感じておられるが、そのことを弟子はわかっていない。だから、あえて内村鑑三は厳しい言葉を弟子にかけたのである」と、考えることと思います。

そういう考えを取ったリーダー信者さんは、次にどう考えるようになるでしょうか?

「大学が認可されなかったのは、私たち弟子の信仰心が足りなかったからである、その責任は支部リーダーである私にもある」ということになってくるでしょう。

このようにして、信者は矛盾した言葉の板挟みになり、自縄自縛の状態になってゆくのです。
そして、これまで以上に多額の植福をしたり、勝てる見込みの無い政党活動に励むようになります。

いったい、信者はどれだけお金を出せば、または、いつまで自分を犠牲にすればよいのでしょうか?

在家信者の中には、活動のために土地や財産を手放したり、職を捨ててしまったり、離婚してしまった人もいるのです。
しかし、幸福の科学はそのような人たちに「おめでとうございます」とか「尊い信仰心ですね」という言葉をかけるだけであって、その後はなんら具体的なサポートはしないはずです。そのことは、信者さんなら、よくわかっているでしょう。

そんな奴隷のような人生が人間としての本当の生き方なんでしょうか。
それが、本当の幸福なのだと、本当に心から、そう思えるのですか?

私は2年ほど前、いろいろなことを調べているうちに、「失敗は全て弟子が悪い」という考えが総裁の本心なのだ、ということに気づきました。

そのとき、全てを理解したのです。

総裁は二枚舌を使っていたのだ、ということを。

霊言は最初からウソだった、ということを。

そして、私は20年以上、詐欺の片棒を担いでいたのだということを。

5 件のコメント:

  1. お初のコメントですが、
    いやはや、お見事な見解ですが、
    あなたは、間違ってますね。
    あなたは、都合のいいとろだけつまみ食いして
    都合のいいように解釈してます。
    以上
    もう、コメントしません。

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  2. これ霊言でしょ
    つまり霊言を信じてなかったってことでしょ?

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    1. 誤解させてしまったようで、すみません。少し文章を訂正しました。
      私は内村鑑三の霊言を見てウソに気づいたわけではありません。
      私は長年信者をやってきましたが、約2年ほど前、あるきっかけがあって様々な霊言と他の文章などを比較したのです。
      そして総合的に考えた結果、徐々に大川隆法がウソをついていることに気がついてきたのです。
      ですから霊言を信じられなくなった理由は他にもあります。
      それをブログで書いていこうと思うのですが、そう単純な話では無いので、ブログでは少しづつ書かせてください。

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  3. 公開処刑


    また、ブログ村幸福の科学カテゴリで、「公開処刑」が始まったよ!!

    みんなで煽ろうぜ~!!

    会内アンチのガンちゃんとひでが、頑張ってるぞ~!!

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    1. このような、他人が争うのをただ面白がるだけのコメントをする人の精神にはついてゆけない。
      自分が言いたいことだけを書き込むだけで、対話をする気のない人は、このブログに来ないでほしいです。

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