2014年11月13日木曜日

裸の王様

むかしむかし、新しい服が好きな王様がいました。

そこに、二人の詐欺師が布織り職人と称してやってきました。

職人たちは、「馬鹿には決して見ることができない」不思議な布地を織ることができると人々に信じ込ませました。

王様は喜んでこの珍しい布地を注文し、大金を支払って服を作らせることにしたのです。

職人は何週間もの間、機織り機を動かすふりをし、一生懸命、服を作るふりをしました。

完成した服を見に来た王様は、服が見えないことに困惑するのですが、家来達に馬鹿だと思われるのが怖くて服を褒めることしかできません。

家来達も、自分たちが馬鹿であると思われるのが怖くて、やはり服を褒めるばかりです。

王様は見えない服を着て行進パレードに出たのですが、見物人達も自分たちが馬鹿であると思われるのが怖くて王様の服を褒め称えます。

ところが、その中に子供がいて、「王様は裸だよ!」と叫びます。

そして子供の言葉は人伝いにひそひそ伝わって、やがて民衆のほとんどが「王様は裸だよな」と言うようになってしまいました。

王様はそれを聞き、困ってしまいました。王様だって自分の服が見えないのです。

でも、「いまさら行進パレードをやめるわけにはいかない。」と思ったので、そのまま、今まで以上にもったいぶって歩きました。

家来たちはしかたなく、ありもしないすそを持ちつづけて王さまのあとを歩いていきました。



信者の皆さん、あなたは「信仰心が無ければ見ることができない服」を着てはいませんか?

「あなたは信仰心を失った」と言われるのが怖くて、見えない服を褒め称えていはいないですか?

十何年も信仰を続けたんだ、いまさら信仰を捨てるわけにはいかない、と思っていませんか?

公開霊言とは、この職人が一生懸命服を作るふりをするのと同じです。

あなたは、見えない服に大金を支払っているんです。

「王様は裸だよ!」と言われるのは嫌だと思いますが、そう言ってくれる家族や友人は、あなたのことを本当に心配してくれる、あなたにとって最も大切な人なのです。

9 件のコメント:

  1. はじめまして。

    私は、十数年、創価学会の信仰を続けておりましたが、創価学会は間違ってるなと思い、日蓮正宗の方に移籍しました。

    >>十何年も信仰を続けたんだ、いまさら信仰を捨てるわけにはいかない
    とは、全然、思いませんでした。

    日蓮正宗に移って5年ほどして、教えが鎌倉時代のままだなぁと物足りなくなり、幽霊信者になりました。

    それから数年たった頃、第一子を妊娠中に日蓮の霊言と出会い、第二子妊娠中に正会員になりました。
    会員番号は七千番台です。

    私は、熱心な信者に入る方だとは思いますが、集団活動が苦手なところもあって、サンガの中では微妙な立ち位置だと思っています。


    幸福の科学を止めた方のブログをいくつか読んでいて、
    『「信仰心を失った」と言われるのが怖い』
    といフレーズを使う方が多いのを不思議に思っています。

    今回も、また、このフレーズが使われているので、コメントさせていただきました。
    それは、ご自分のことをなのでしょうか?



    返信削除
  2. さくらさん、はじめまして。
    七千番台ですか。かなり初期の頃ですね。

    このブログでは、自分の体験を中心に語っています。
    「信仰心を失ったと言われるのが怖い」というのは、やはり活動に疑問を持ちながらも一生懸命活動していた頃の私の思いですね。

    さくらさんは、どの程度活動されているかわかりませんが、やはり幸福の科学に疑問をお持ちで無いことが、このフレーズを不思議に思う理由なのでは無いかなと思います。
    集団活動が苦手と言うことは、いろいろな決起集会とか献本大会とかデモ行進とかいったものはあまり参加されていないのでしょうか?
    自分のできる範囲で活動し、お布施をし、間違っているなと判断すればいつでも移籍できる、という方であれば、幸福の科学は何の問題も無いと思います。

    ただ、総裁は「自分の都合のいい話だけをつまみ食いしている職員や信者はあまりよろしくない」という発言をしています。
    また、主の創られた僧団の方針を疑うことは、主そのものを疑う「疑」の心であり、信仰心を失うことにつながる、という話や、
    信仰心を失った者は、次は人間として生まれるのが難しくなる。とか、それまでの人生でずーっと信仰心を持ち続けていたとしても、死の直前に仏を疑えば、その人は地獄に落ちるだろう、といった話もあります。信仰のロープを手放せば、「奈落の底」に落ちる、という話もあります。

    ですから、無理・無謀な活動にモヤモヤとした何らかの疑問を持つ信者は、「信仰心を失うのでは無いか」と人知れず思うことになります。
    この沸いてくる疑問をなんとかしようとして、深く考えるのを止めたり、精舎研修で深い空想の中に埋没して現実から逃げようと努力します。
    このとき「いまさら信仰を捨てるわけにはいかない」という気持ちになり、さらに無理をしてしまうことになります。

    また不思議に思うことがあれば、コメントしてください。
    では。

    返信削除
  3. 集団活動が苦手というのは、皆と活動するのが苦手ということではなくて、決起集会、献本大会、デモなどだいたい参加してます。

    三年前まで、知的、身体的に障害のある義理の妹の介護をしていましたが、彼女が帰天してからは、支部の事務的な仕事や雑用をフルタイムででしてます。

    opalさんは、『自分の都合のいい話だけをつまみ食いする』の具体的な内容をどうとらえてらっしゃるのでしょう?

    『僧団の方針を疑う』というとき、どの階層の方針を指しているお考えですか?

    返信削除
  4. 失礼しました。熱心に活動され、しかも支部職員に近い形で働いているのですね。

    「自分の都合のいい話だけをつまみ食いする」というのは、確か「純粋な信仰」という法話で聞いた話だったと思います。
    説かれた法に対して自分の好みで取捨選択してはいけない、という意味で捉えていました。ですから御法話拝聴会もたくさんあるが、「聞きたい話だけ聞けば良い」という考えは良くないと思っておりました。これは活動に対しても同じことが言えると思っていまして、「自分がやりたいかどうか」で判断してはいけないということかなと考えていました。
    例えば選挙のとき「人前で演説するなんて、苦手だからやりたくないなぁ」と思っても、今出されている「選挙戦を戦いましょう」という会全体の方針に自分の方を合わせていかなければいけない、と思っていました。

    それと幸福の科学から出される方針に、いくつかの階層があるとは思っていませんでした。「僧団の方針」というのは、その時々に支部長から伝わってくる情報からしか判断できません。
    支部長が今言っていることが、現在の僧団の方針である、と私は捉えていましたし、他のリーダー会員さんに聞いても「支部の方針を疑うことは主を信じ切れていないということだ」と言っておりました。

    返信削除
  5. うちの支部長は在家支部長なので、支部長に宗教的な仕事に集中してもらうために、事務的な仕事や雑用をしてるだけで、支部職員に近い形で働いていると言われると、ちょっと違う気がします。

    opalさんの文章から優しく繊細な雰囲気を感じ、思わずコメントしてしまいましたが、私は言葉に独自な意味付けをしていることが多いので、会って話すときは相手の反応が分かるので、都度、説明を加えることでなんとか真意が伝わりますが、文章でのやり取りは困難を感じます。

    集団活動が苦手で微妙な立ち位置というのは、ここに由来します。

    「この言葉にどういう意味をこめているのだろうか?」
    「この言葉を使う背景は何だろう?」
    ということをやたら考えてしまいます。

    『つまみ食い』という言葉は、私にとっては結構、複雑な言葉です。
    実際の食べ物を食べる際でのつまみ食いは、きちんとしっかり食べるのではなくて、ちょっとつまむということです。
    だから、上辺だけでしっかり学ばないという意味にだと解釈しています。

    「自分に都合のいい話だけつまみ食いする」とは、「自分の心の浅い部分で満足して深く学ばない態度」を意味するのではないかと思っています。

    ご法話を全部拝聴するに越したことはないのでしょうが、自分の好みのご法話を深く探求していくのでも良い気がします。

    結局、一つを深く探求していけば、次に学ぶべきものが自然と分かってくるので、苦手なものに挑戦することが苦痛なだけでなく喜びとしてできるようになると思うのです。



    返信削除
  6. なるほど、そうでしたか。文字だけでのやりとりは難しいですね。
    私は2年ほど前から、「食べること」そのものをやめてしまっているので、これ以上深く探求することもないのです。
    やめた理由は、ゆっくりとブログに書く予定です。
    コメントを頂き、ありがとうございました。

    返信削除
  7. はじめてコメントします。この団体が宗教法人になったころから
    「おかいしい・・」と思っていました。家族が会員だからです。
    大量の本の買い込み、ドーム講演へのチケットや旅費、
    ほとんど毎日の夜遅くまでの活動、日曜日もありませんでした。

    家族とのコミニケーションもなくなるような宗教とはなんぞや??
    と思っています。
    私は法話の「つまみぐい」をしているのは総裁本人だと思いますが。

    返信削除
  8. 過去記事をざっと読みました。
    opalさんは男性だったのですね。女性と勘違いしてました。

    ところで、今日、犬の散歩をしていたら、人探しをしている二人のご婦人と出会いました。

    私も今年の初め、友人のために人探しをし、その時、親切にいろいろ調べてくださった方がいたので、私も何か協力できればとお話を聞いたところ顕彰会の方で、どうやらその探し人は見つからない方が良いと思われました。

    『日蓮大聖人に背く日本は必ず滅ぶ』という本を貰いました。
    話の通じなさ加減や“滅び”を待ち望んでる感じがエホバの証人さんに似てました。

    顕彰会のご婦人たちには、私が創価学会から法華講に移籍し、今は幸福の科学の信者であることを話しました。
    家は教えなかったけど、幸福実現党のポスターを貼ってるし外飼いの2匹の犬で、探そうと思えばすぐ見つかりますね。






    返信削除
  9. 匿名さん
    ご家族が会員とのこと、大変かと思います。
    大川隆法は「私よりも父や母、夫や妻、自分の子供を信じ愛する者は光の天使になる資格はない。」と言っていますので、信者は家族より活動を優先しているのだと思います。
    いろいろな信者がいますので、この教えを全然守ろうとしない人もいるので、全ての信者が家族を顧みないわけでは無いんですけどね。
    おそらく、ご家族は真面目なタイプなのでしょうね。真面目な人ほど、抜けるのが困難になります。
    あなたとしては、ある程度距離を取り、会員の家族の影響を受けないような自立した生活を確立してゆくしか自己防衛の道はないかなと思います。

    さくらさん
    そうですか、私も信者だった頃は、他宗の人と話をして、同じような感想を持ったこともありましたよ。
    でも今は幸福の科学の信者さんも「話の通じなさ加減」や「滅びを待ち望んでる感じ」があると思っています。
    話の通じなさは上の匿名さんが感じていることと同じですし、滅びを待ち望んでいる感じは、黙示録のヨハネとモーセの霊言などで感じられます。

    返信削除