2013年9月22日日曜日

大川隆法は高橋信次の後継者を自ら名乗っていた

 今月は高橋信次の話ばかりなので,ちょっとしつこいかもしれないのですが,高橋信次霊に関連する資料というのは今後どんどん減っていくし,忘れられていくと思われます.幸福の科学がどのように設立されたか,という情報についても,当時の様子を記録しておかなければ,過去を書き換えられる可能性もあるのです.ですから,私は当時のことを覚えているので,できるだけ思い出しながら,ここに記録しておきたいと思います.それは,「ほんとうのこと」を知りたくなった人のためでもあると思っています.

 さて「高橋信次の新復活」は土屋書店から出版されており,その時期は1987年5月です.この本の中で大切だと思われる部分は,高橋信次の2つの使命です.それは以下の2つです.

  • 第1段階 釈迦仏教の再現
  • 第2段階 天上界からの地上の人びとの指導

 釈迦仏教の再現というのは,高橋信次の生前の仕事を指します.彼は生前「八正道」を重視し,反省をすることで「心の曇り」を取り除けば霊道が開ける(天上界の守護霊との通信ができるようになる),と語っていました.そして,GLA信者は高橋信次こそ釈迦の再来であると信じていたのです.ところが,高橋信次は亡くなる間際になって,自分は実はエルランティだ,と言い始め,そして間もなく亡くなってしまったのです.確かに,これではGLA信者は混乱してしまいますね.

 この本では,霊となった高橋信次が,自分は釈迦ではなかった,実はモーゼやマホメットに啓示を与えたエルランティ(エホバ,アラー)であったと語りました.これは生前の高橋信次の言葉を踏まえたものでしょう.その上で,高橋信次霊は,エルランティという魂があるということを教えるために現代日本に肉体を持ったのであると説明しました.

 次に,天上界からの地上の人びとの指導というのは,霊言集を出しつづけることを指しています.以下に,一部を引用します.
 そして次なる私の仕事は、天上界にいて地上の皆さんを指導すること。この第二段階目の仕事が、私の本来の仕事なのです。このために私は地上に肉体を持ち、このために私は四十八歳という働き盛りに短い人生を終えたわけです。
 そして第二段階として、私の後に偉大な指導霊を出したわけです。彼自身でも十分、法を説いていく力があるけれども、それにもまして、その前の段階から出た私が、天上界から直接のメッセージを送ることによって、その力を二倍、三倍にしようというのが、今回の計画だからです。そして私は、その本来予定されていた事業に今とりかかりつつあります。これが私の本来の目的だったからです。
この「私の後の偉大な指導霊」とは大川隆法を指しています.これを読んだGLA信者はどのように思うでしょうか?彼らは高橋信次の死後,最後の講演の意味を考え続け,もう聞くことができなくなった先生の言葉を熱望していたはずです.そうか,そういうことだったのか!高橋先生は大川隆法という青年に法灯を託したのだ,と思うはずです.こうして大川隆法はGLAの教義を引き継ぐとともに,GLAの混乱をうまく利用してGLA信者をも取り込んだと思われます.

 大川隆法が高橋信次の後継者であることは,まえがきにおいても,大川隆法自身の言葉によって以下のように語られています.
 羊飼いは還ってきたのです。一九七六年六月にこの世を去るに際して、「五年後に大いなることが起きる。関西の若者が現れて大人たちに法を説く日がくる。その者が私の法を継ぐだろう」と言われた高橋信次氏の予言は成就したのです。
 ちょうど五年後、一九九一年六月二十五日、関西出身の二十四歳の私に、同氏の霊示が臨んだのです。同氏は語りました。「GLAはおまえを必要としない。おまえはおまえの道を歩め。独力で自らの道を切り開け。そして人類を救うのだ」と。
実は大川隆法は関西出身ではありません.四国出身です.ですが,当時はそのことを隠していたようです.これを些細なことだと思いますか?しかし一般社会では,ウソをついていた,と言われても仕方がないレベルです.

ところで,この本のあとがきには,こうあります.
 すなわち、同氏亡きあと、メシア信仰へと急傾斜していったかの観のある後継団体や、その流れをくむお弟子さんのいくつかのグループに対して、人間は決して生き神様や崇拝の対象になってはならないということを、高橋信次氏は戒めておられるのではないかということです。
 神理はやさしい言葉で、しかも謙虚な態度で、伝えることができるはずなのです。本書以外の霊示でも、同氏は何度も繰り返して私に、「人間は過去世に偉い人であったからといって、今世も偉い人だとは限らない。その人の心と行いが調和され、本当に多くの人びとを救い得てはじめて偉い人だといえるのだ」と説かれています。この教訓を大切にしていこうではありませんか。
当時の私は,この文を読んで,幸福の科学はおかしな方向には行かないだろう,まともなことを言っていると思い,安心感を覚えたものです.しかし,現在の大川隆法が崇拝の対象となっていることを誰が否定できるでしょうか?そして,もし本当に人間の偉さが過去世にあるのではなく,心と行いにあるのだとしたら,どうして様々な幹部の過去世が偉い人であったということを霊言で明らかにしなければならないのでしょうか?


4 件のコメント:

  1. 私も四国出身だけど、東京に住んでから出身どこ?って聞かれると
    関西って言っちゃってますが・・

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  2. 私は関西と言えば大阪・京都・兵庫・滋賀・奈良・和歌山を指すと思っていたのですが・・・?うーん,どうなんだろう?

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  3. 同じ関西弁です。おそらくTVも関西のが流れるのではないですか?そうならば文化的には関西文化圏ですよね。

    総裁先生個人が崇拝の対象という分けでもないですよ。肉体を通じたエルカンターレが信仰の対象です。「人間であって人間でない」って初めから言ってますよ。生きた人間に帰依している分けではなく、生きている人間を通じエルカンターレに帰依しているのです。

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  4. コメントありがとうございます.私は関東出身で,関西に住んだ経験もないので,知らなかったです.
    信仰の対象について,私も以前は同じように考えていましたが,数年を経た今は少し考え方が変わってしまいました.どうして変わってしまったのかについては,これからブログで少しずつ書いていこうと思いますので,気長におつきあい下さい.
    いつも「次何書けば良いのかわからないな」と思っているので,コメントがあると助かります.

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