まず,生前の高橋信次は「やがて関西から若い青年が現れる」という予言を本当にしたのだろうか?という疑問があったのですが,どうやら本当のようです.次のホームページ「真我の探求と高橋信次という方」を見ると,そのことが書かれています.
さて、問題の「やがて関西から若い青年が現れる」という予言は、1974年頃からたびたびご発言されることがありました。
(中略)
そうした「関西から現れる若い青年」になりたいという志願者(笑)が何人も現れ、
「我こそは・・・・」という状況になりました。
当事者の方はともかく、周囲の方がそのように考えたかったのかも知れません。
そうした点で選挙の支持者や後援会によく似ています。(笑)
関西本部では、本部長のK氏を、しかし残念ながら、決して若くはありませんでした。(笑)
また、関西本部のN氏は、信次先生の妹さんが支持されたために、「我こそは…、」となりました。
しかしこの方も決して若くはありませんでした。
さらには、東京でも、「関西というのはまちがい、横浜と言われていたのもまちがい、京浜地区だった…
青年というのもまちがい、本当は女性で大学生…」というGLA開設時からの予言と合体させた新解釈を強く主張される方も現れました。
そのずっと後のことですが、GLAの外側からも新解釈登場で、
「K会のO主宰のことだ…」という主張も出てきました。
K会の初期はGLAを脱退した方々が中心になって作ったようなもので、そうした方々も、
「やがて関西から若い青年が現れる」という先生の予言を知っていたからです。(笑)
しかし、この方は関西ではなく四国でしたので、「関西ではなく、関西方面のまちがいだったのだ」という解釈でした。
この「K会のO主宰」とは,幸福の科学の大川主宰のことでしょう.私は,関西とは大阪・京都・兵庫・滋賀・奈良・和歌山を指していると思っておりましたが,「関西方面」という言い方では上記に加え,福井・三重・徳島などを含める場合もあるそうです.もしそうであれば,大川隆法の出身地は徳島ですので,広い解釈を取れば出身地を偽ったわけではないのでしょう.いずれにせよ,大川隆法は初期の頃,GLA内部で起きていた高橋信次の後継者争いに外部から加わったのだろうと思われます.
生前の高橋信次は言うことがコロコロと変わることがよくあったようです.「関西の青年が現れる」という予言だけが後継者を指名していたのではなく,GLAの設立当初から,後継者が指名されていたという話もあります.また,上記で引用させて頂いたページには,こんな話も出ています.
高橋信次先生がある時、関西から若者が出てくると言われました。わたしとS氏が呼ばれたとき、すでにその話は伺っていましたので、すぐにピンときました。わたしとS氏が伺ったときはもっと詳しく、関西方面というのは四国出身で、その方の父親はSという宗教団体に入っていて、そこの講師である…、その若者とあなたたちは一緒にやるようになるだろう…と言われました。・・・・しかしその後(2~3年後?)、事務所が八起ビルの地下に移って間もない頃、「見ていなさい、その人間は真っ赤な偽物である…。金襴緞子(きんらんどんす)の格好をして皆の前に現れるよ。菩薩だ、如来だといわれるような方は決してそんなこけおどしの格好などはしないよ…」と言われました。
また、外国に生まれていると言われた方を、すでにこの日本に今いると訂正されたこともあります。また、同じ過去世の方が二人出てきてしまったりしたこともあります。高橋信次先生でさえ、徐々にわかってくることも、決して少なくはなかったのです。「…過去世というものは、最終的には、本人が自覚して思い出さなければわからない…」と言われたこともあります。
私はこれ以上深く調べることはできませんでしたが,GLAと初期の幸福の科学はとても似ているという印象を持ちました.そして,宗教団体のトップの言葉がコロコロと変わると,信者はそれに振り回されてしまい,さらには教団の分裂や後継者争いに至るのだと思いました.大川隆法はこの高橋信次を非常に良く研究していたと思います.だから分裂や混乱を防ぐために非常に気をつけるようになったのだと思います.