2013年9月28日土曜日

「やがて関西から若い青年が現れる」という予言は本当にあったのか?

 高橋信次霊のことをブログに書いているうちにわかったことは,当時の私は「高橋信次霊ファン」であったが「生前の高橋信次」に興味関心は全くなかったということです.それゆえ,あれから20年以上経った今になって,やっと生前の高橋信次について調べてみる気になりました.

 まず,生前の高橋信次は「やがて関西から若い青年が現れる」という予言を本当にしたのだろうか?という疑問があったのですが,どうやら本当のようです.次のホームページ「真我の探求と高橋信次という方」を見ると,そのことが書かれています.

さて、問題の「やがて関西から若い青年が現れる」という予言は、1974年頃からたびたびご発言されることがありました。
(中略)
そうした「関西から現れる若い青年」になりたいという志願者(笑)が何人も現れ、
「我こそは・・・・」という状況になりました。
当事者の方はともかく、周囲の方がそのように考えたかったのかも知れません。
そうした点で選挙の支持者や後援会によく似ています。(笑)
関西本部では、本部長のK氏を、しかし残念ながら、決して若くはありませんでした。(笑)
また、関西本部のN氏は、信次先生の妹さんが支持されたために、「我こそは…、」となりました。
しかしこの方も決して若くはありませんでした。
さらには、東京でも、「関西というのはまちがい、横浜と言われていたのもまちがい、京浜地区だった…
青年というのもまちがい、本当は女性で大学生…」というGLA開設時からの予言と合体させた新解釈を強く主張される方も現れました。
そのずっと後のことですが、GLAの外側からも新解釈登場で、
「K会のO主宰のことだ…」という主張も出てきました。
K会の初期はGLAを脱退した方々が中心になって作ったようなもので、そうした方々も、
「やがて関西から若い青年が現れる」という先生の予言を知っていたからです。(笑)
しかし、この方は関西ではなく四国でしたので、「関西ではなく、関西方面のまちがいだったのだ」という解釈でした。

 この「K会のO主宰」とは,幸福の科学の大川主宰のことでしょう.私は,関西とは大阪・京都・兵庫・滋賀・奈良・和歌山を指していると思っておりましたが,「関西方面」という言い方では上記に加え,福井・三重・徳島などを含める場合もあるそうです.もしそうであれば,大川隆法の出身地は徳島ですので,広い解釈を取れば出身地を偽ったわけではないのでしょう.いずれにせよ,大川隆法は初期の頃,GLA内部で起きていた高橋信次の後継者争いに外部から加わったのだろうと思われます.

 生前の高橋信次は言うことがコロコロと変わることがよくあったようです.「関西の青年が現れる」という予言だけが後継者を指名していたのではなく,GLAの設立当初から,後継者が指名されていたという話もあります.また,上記で引用させて頂いたページには,こんな話も出ています.

 高橋信次先生がある時、関西から若者が出てくると言われました。わたしとS氏が呼ばれたとき、すでにその話は伺っていましたので、すぐにピンときました。わたしとS氏が伺ったときはもっと詳しく、関西方面というのは四国出身で、その方の父親はSという宗教団体に入っていて、そこの講師である…、その若者とあなたたちは一緒にやるようになるだろう…と言われました。・・・・しかしその後(2~3年後?)、事務所が八起ビルの地下に移って間もない頃、「見ていなさい、その人間は真っ赤な偽物である…。金襴緞子(きんらんどんす)の格好をして皆の前に現れるよ。菩薩だ、如来だといわれるような方は決してそんなこけおどしの格好などはしないよ…」と言われました。 
 また、外国に生まれていると言われた方を、すでにこの日本に今いると訂正されたこともあります。また、同じ過去世の方が二人出てきてしまったりしたこともあります。高橋信次先生でさえ、徐々にわかってくることも、決して少なくはなかったのです。「…過去世というものは、最終的には、本人が自覚して思い出さなければわからない…」と言われたこともあります。 

 私はこれ以上深く調べることはできませんでしたが,GLAと初期の幸福の科学はとても似ているという印象を持ちました.そして,宗教団体のトップの言葉がコロコロと変わると,信者はそれに振り回されてしまい,さらには教団の分裂や後継者争いに至るのだと思いました.大川隆法はこの高橋信次を非常に良く研究していたと思います.だから分裂や混乱を防ぐために非常に気をつけるようになったのだと思います.

2013年9月22日日曜日

大川隆法は高橋信次の後継者を自ら名乗っていた

 今月は高橋信次の話ばかりなので,ちょっとしつこいかもしれないのですが,高橋信次霊に関連する資料というのは今後どんどん減っていくし,忘れられていくと思われます.幸福の科学がどのように設立されたか,という情報についても,当時の様子を記録しておかなければ,過去を書き換えられる可能性もあるのです.ですから,私は当時のことを覚えているので,できるだけ思い出しながら,ここに記録しておきたいと思います.それは,「ほんとうのこと」を知りたくなった人のためでもあると思っています.

 さて「高橋信次の新復活」は土屋書店から出版されており,その時期は1987年5月です.この本の中で大切だと思われる部分は,高橋信次の2つの使命です.それは以下の2つです.

  • 第1段階 釈迦仏教の再現
  • 第2段階 天上界からの地上の人びとの指導

 釈迦仏教の再現というのは,高橋信次の生前の仕事を指します.彼は生前「八正道」を重視し,反省をすることで「心の曇り」を取り除けば霊道が開ける(天上界の守護霊との通信ができるようになる),と語っていました.そして,GLA信者は高橋信次こそ釈迦の再来であると信じていたのです.ところが,高橋信次は亡くなる間際になって,自分は実はエルランティだ,と言い始め,そして間もなく亡くなってしまったのです.確かに,これではGLA信者は混乱してしまいますね.

 この本では,霊となった高橋信次が,自分は釈迦ではなかった,実はモーゼやマホメットに啓示を与えたエルランティ(エホバ,アラー)であったと語りました.これは生前の高橋信次の言葉を踏まえたものでしょう.その上で,高橋信次霊は,エルランティという魂があるということを教えるために現代日本に肉体を持ったのであると説明しました.

 次に,天上界からの地上の人びとの指導というのは,霊言集を出しつづけることを指しています.以下に,一部を引用します.
 そして次なる私の仕事は、天上界にいて地上の皆さんを指導すること。この第二段階目の仕事が、私の本来の仕事なのです。このために私は地上に肉体を持ち、このために私は四十八歳という働き盛りに短い人生を終えたわけです。
 そして第二段階として、私の後に偉大な指導霊を出したわけです。彼自身でも十分、法を説いていく力があるけれども、それにもまして、その前の段階から出た私が、天上界から直接のメッセージを送ることによって、その力を二倍、三倍にしようというのが、今回の計画だからです。そして私は、その本来予定されていた事業に今とりかかりつつあります。これが私の本来の目的だったからです。
この「私の後の偉大な指導霊」とは大川隆法を指しています.これを読んだGLA信者はどのように思うでしょうか?彼らは高橋信次の死後,最後の講演の意味を考え続け,もう聞くことができなくなった先生の言葉を熱望していたはずです.そうか,そういうことだったのか!高橋先生は大川隆法という青年に法灯を託したのだ,と思うはずです.こうして大川隆法はGLAの教義を引き継ぐとともに,GLAの混乱をうまく利用してGLA信者をも取り込んだと思われます.

 大川隆法が高橋信次の後継者であることは,まえがきにおいても,大川隆法自身の言葉によって以下のように語られています.
 羊飼いは還ってきたのです。一九七六年六月にこの世を去るに際して、「五年後に大いなることが起きる。関西の若者が現れて大人たちに法を説く日がくる。その者が私の法を継ぐだろう」と言われた高橋信次氏の予言は成就したのです。
 ちょうど五年後、一九九一年六月二十五日、関西出身の二十四歳の私に、同氏の霊示が臨んだのです。同氏は語りました。「GLAはおまえを必要としない。おまえはおまえの道を歩め。独力で自らの道を切り開け。そして人類を救うのだ」と。
実は大川隆法は関西出身ではありません.四国出身です.ですが,当時はそのことを隠していたようです.これを些細なことだと思いますか?しかし一般社会では,ウソをついていた,と言われても仕方がないレベルです.

ところで,この本のあとがきには,こうあります.
 すなわち、同氏亡きあと、メシア信仰へと急傾斜していったかの観のある後継団体や、その流れをくむお弟子さんのいくつかのグループに対して、人間は決して生き神様や崇拝の対象になってはならないということを、高橋信次氏は戒めておられるのではないかということです。
 神理はやさしい言葉で、しかも謙虚な態度で、伝えることができるはずなのです。本書以外の霊示でも、同氏は何度も繰り返して私に、「人間は過去世に偉い人であったからといって、今世も偉い人だとは限らない。その人の心と行いが調和され、本当に多くの人びとを救い得てはじめて偉い人だといえるのだ」と説かれています。この教訓を大切にしていこうではありませんか。
当時の私は,この文を読んで,幸福の科学はおかしな方向には行かないだろう,まともなことを言っていると思い,安心感を覚えたものです.しかし,現在の大川隆法が崇拝の対象となっていることを誰が否定できるでしょうか?そして,もし本当に人間の偉さが過去世にあるのではなく,心と行いにあるのだとしたら,どうして様々な幹部の過去世が偉い人であったということを霊言で明らかにしなければならないのでしょうか?


2013年9月16日月曜日

高橋信次最後の講演「新復活」の意味

 GLAとはGod Light Assosiationの略で,高橋信次が1969年に設立した宗教団体です.彼は講演会で霊道現証を行うことで有名だったようです.信者にも古代霊の言葉など、様々な異言をしゃべらせていました.しかし教祖が48歳の若さで1976年に亡くなった後,教団はいくつかの派に分裂し,後継者争いがありました.混乱の中,信者は心の拠り所を失って迷っていました.そんな中,1986年に「高橋信次霊言集」が出て,その翌年には「高橋信次の新復活」が幸福の科学から出版されました.
 この新復活というタイトルには元GLA信者にとっては特別な意味があったと思います.「復活」とは,この本の中でも説明しているように,道半ばで急逝した光の指導霊・高橋信次が,霊言という形を取って,かつての弟子の前に復活したという意味で,キリストの復活に匹敵するような人類史上の大事件並に重要な出来事であるという認識でした.このとき私はまだ信者ではなかったので,どこか小説を読むような感じで受け止めていたわけですが,GLA信者にとっては,もっともっと大きな衝撃だったはずです.

 最近になって知ったのですが,高橋信次が亡くなる前の最後の講演会の演題が,この「新復活」だったようです.ネットで調べると,その講演を読むことができます.その内容を知った上で,改めて「高橋信次の新復活」を読んでみると,なるほど,まさに「信次先生が,大川先生に降りて来た」と信じたとしても不思議ではない気がします.ましてや,高橋信次は生前,信者を前にこういう「霊道現証」をいつもやっていただけあって,GLA信者にとってみれば霊言が降りると言うことに抵抗は全くありません.まさに師と弟子の感動の再会,涙の再会であったに違いありません。

 高橋信次最後の講演「新復活」では,3億6千年前の地球の創世記が語られています.講演日は1976年6月となっています.その内容は結構長いので,私なりにかいつまんで述べるとこうなります.人類はベーター星から反重力光子宇宙船(UFO)に乗って地球にやってきた.その時の長がエルランティーで,聖書で言うところの七大天使を引き連れてやってきて,エデンの園を建設した.6千人のベーター星人が地球で調和された世界を作った後,第二艇団が地球に来る.その時エルランティーは天上界へ帰った.
 しかし第二艇団で来た人々の一部は物,肉,物質欲におぼれる人も出てきた.それらの人々を救うため,エルランティは天上界よりルシフェルという天使をサタンという名で地上に送り込むが,堕落してしまい,死後地獄に堕ちて地獄の帝王になってしまう.その後エルランティは多くの光の天使達を地上界に送り込んだ・・・,と述べています.この中に,カンターレという「光の天使」が登場します.ホームページ「高橋信次先生の法を学ぶ会」から、一部引用させて頂きます.
 こうして多くの天使達は、天上の世界からこの地上界の動きを観察し、神の子に戻すために、多くの光の天使達をこの地上界に送りました。(約一万年前)エルランティー自身は、後、アガシャーという方を、光の分霊です。この方を送ります。更にまたカンターレという方を送ります。後のゴーダマ・ブッタです。ゴーダマ・ブッタ、天上界ではカンターレといっています。お釈迦様とはいっていません。ゴーダマ・ブッタ。アガシャーは後のインマニエル・イエスキリストです。モーセはモーセです。
この講演では,エルランティーが天上界の中心的存在であり,その下にアガシャー(イエスキリスト),カンターレ(ブッダ),モーゼや他の七大天使がいるという位置づけになっています.このランク付けの部分は,今の幸福の科学の見解とは異なる部分ですが,それ以外の話は「太陽の法」などで書かれている内容とほぼ同じです.
 この講演の最後のほうにも,以下のような部分が出てきます.
 こうして太陽系霊団というのは、光の直系としてエルランティーを中心に、エルランティーは、その時代、時代によって、ある時にはヤハベを名乗り、ある時にはエホバを名乗り、ある時には、また梵天を名乗り、また更にマホメットの時にはアラーを名乗りました。
「キリストの霊言」に出ていたキリストが,天の父=エホバ=アラー=エルランティーと答えていたことも,やはり高橋信次の話を前提としていたと見ていいでしょう(「キリストの霊言」に出てくるキリストが語る「天の父」参照).時間的な順序から考えても,やはり初期の幸福の科学の教義は高橋信次の教義を下敷きにしていたと言って良いと思います.

2013年9月15日日曜日

高橋信次霊が愛と執着について語る様子に共感

 私が高校を卒業し,大学に入学したばかりだった頃かと思います.18歳で実家を出て,遠く離れた場所で初めての一人暮らしだったので,不安でいっぱいでした.自己意識としては,自信がなく,劣等感も持っていました.
 大学1年生の頃,私は初恋をしました.中学・高校は男子校だったので,女性とは話したこともありませんでした.皆さんも経験がおありかと思いますが,好きになると,本当に相手の目を見ることさえできず,緊張してしまって言葉も出てきません.勇気を出して一度デートに誘ったのですが断られ,すごく落ち込みました.よく考えれば振られたうちには入らないのですが,私としては振られたと思い,これで彼女に会うのがなんだか気まずくなってしまい,ズルズルといつまでも気持ちを引きずりました.当時はものすごく劣等感が深かったからでしょう.今となっては些細なことなのですが,当時はすごく悩み,劣等感を深めました.そんな時,「高橋信次の天国と地獄」の以下のような部分に,すごく共感したのを覚えています.
 皆さん、ご経験があるでしょうか、読者のみなさんはねえ。女性にふられてねえ、下宿の二階で「あーあ、なんとかちゃーん」ね。「良子ちゃーん」「桂子ちゃーん」ね。「ミカちゃーん」なんてね。「あー僕は恥ずかしいー」ってね。「ミカちゃーん」なんてね。こういう気持ちがあるでしょうか。どうでしょうか、わかるでしょうか。ふられてねえ、もう一年経って「あー」なんてね。下宿の二階で時どき遠吠えしたりしてね。四つん這いになって、六畳の部屋四つん這いで這い回ってね。「あーあーあー」なんてね。「恥ずかしい」なんてね。こんなことをね、思った経験、言った経験がみなさんありましょうかね。
 そして最後のデート誘って、映画館に入ろうとしてね。「僕と結婚しない?」なんて言って、「なにバカなこと言うのよー」なんて、「私は他にいい人いるわ。あんたなんて遊びよー」なんて言われてカクーッときてね。そして、ものすごくふかーく深手を負って、そして下宿の二階で六畳で四つん這いして「アオアオアオー」って、あなた動物の吠え声の真似してね、吠える真似したりして、叫んどると、洗濯物干しとった下宿の奥さんが心配してね。「どうしたのー、どうしたのー」ってね。「信次ちゃん、どうしたのー?」ってね。「春雄ちゃん、どうしたのー?」「春雄ちゃん、気でも狂ったの。頭、大丈夫?」「いや、奥さん大丈夫ですよ。僕、心配ないです」「でも今、『ミカちゃーん』とか、ねえ、『エリコちゃーん』とか言って叫んでなかった?」って。「いや、そんなことないです。あれはあのう、学園祭で今、あのう劇やっててその稽古してるんですよ、そうですよ」「春雄ちゃん、本当?」「そうですよ、僕、大丈夫ですよ。正常ですよ」って。「でも、その割には、夜中に時どきワオーワオーって吠え声が来るんじゃない?」なんてね。まあこんな瞬間もあったでありましょう。
 まあそういうことでね、愛と言うにはなんか悲しい執着をね、私は感じます。だから、天上界に還って今、思うのにね、地上に出ている男女がね、みんな愛が成就されてね、思った通りみんなハッピーになっていったらいいなーと思うんだけど、見ていると失恋の方が多いんですなー。悲しい話の方が多くてね、世の中は。苦しみばかりが多い世の中で、なかなか成就せんのですよ。
(注:春雄とは高橋信次の本名のこと)
こういう風に言われると,高橋先生は地上の私たちの心を,深く分かってくれている,と感じたし,そういう人を,どんどん信頼する方向に、心が傾いていきました.若く自信が持てなかった私にとって、高橋信次は私を慰めてくれる友達でもありました.

 ところで、そんなに高橋信次が好きならば,生前の著作は読まなかったのか?と言われるかもしれません。「人間・釈迦」「悪霊」「心の発見」など、本屋にはいろいろありましたが、実際は、あまり読みませんでした。なぜかと言われると,よくわからないのですが、たぶん私は「霊言の中の高橋信次」が好きだったのだろうと思います.
 つまりここでも、私は高橋信次が本人であるかどうかに関心は全くなかったと言えます。生前の著作と霊言の内容をなぜ比べてみようと思わなかったのか?なぜ気にならないのか・・・?これは重要な観点かもしれません。この点については、考えが整理されてきたら、また後で改めてお話ししたいと思っています。

2013年9月14日土曜日

高橋信次霊の冗談ぽい話し方が好きだった

 ブログの更新というのは,思っていたより忍耐力が必要で,時間も結構取られるものですね.少し疲れたので,今日は「高橋信次霊言集の面白さ」について述べてみたいと思います.当時の私の年齢は17歳~19歳程度でしょうか.そのような若造が「面白い」と思った箇所を紹介するので,知的な面白さとは違うということを断っておきますね.

 まずは「高橋信次の天国と地獄」から,「天使の条件」について解説した部分を引用しましょう.

 だから一番目でちょっと、ストイックなとこがどっかあることがある。二番目で、飾らない、天真爛漫な無邪気な部分がある。で、三番目では何か人のためにしたいという気持ちを持っておる。これは先天性のものが多いんですね。何か人のためになるようなことしたいっていう気持ち、多いですね。こういうもの持っているのが天使であることが多いです。
 だから読者のみなさんね、この三箇条と自分とをよーくチェックしてみて下さいね。どうでしょうか。
「いや、おれストイックだよー。だってね、お銚子はね、だいたい三本注文したらもうそれで切り上げることにしてるんだ。これはストイックだね」
「いや、ビールは僕はね、晩酌は二本までしか飲まないです。ストイックです。ビール二本。決まっとるんです」
「ストイックですよ。勉強は、もう夜の十一時過ぎたら絶対しませんから。もう非常にストイックな生き方してます」まあこんな方もいらっしゃるかもしれませんね。
「いや、僕は天真爛漫ですよ。ほんとね、スーパー行ったってもう天真爛漫に万引きしてますよ」なんて、こんな人もいるかもしれませんね。まあいろんな方がいらっしゃるかもしれません。あるいは。
「あっ、人の役に立つことしてますよ。それはそれは人の役に立つ。代々木公園で夜な夜なあなた、双阻鏡持っていってのぞきしてね。変なおまわりさん来ないように見張ってあげてますよ」とこんな人もいるかもしれない。
 まあ、いろいろあるかもしれませんが、そういう主観的な物差しはともかくとしてね、この三つが、だいたい天使の特徴ですから、自分が天使かなーって思ってる人はね、よーくこのへんを振り返って、考えてみて下さいね。

 はい,このような感じです.私は,これを読んで笑っていましたね.そして「自分も,もしかしたら天使かもしれない」などと思ったこともありました.

2013年9月12日木曜日

初期の頃の高橋信次霊の位置づけは非常に高かった

 幸福の科学にとって,高橋信次は重要な人(霊)だと思います.今の信者さんは高橋信次霊こそ幸福の科学に混乱をもたらす原因になった霊であると考えていると思いますし,尊敬している人はいないと思いますが,当時の高橋信次の教団内での位置づけは,非常に高いものだったんですよ.

 一番最初に出た霊言である「高橋信次霊言集」では,彼の位置づけがどうなっていたか,まえがきとあとがきを紹介しようと思います.これは,1986年潮文社から出たもので,後に信者向けに出た会内限定書籍「大川隆法霊言全集」にはたぶん載っていないと思います.
まえがき
(前略)
 高橋信次氏は、一九七六年六月にこの世を去って、丁度五年後、一九八一年六月に、自らの予言通り、私、大川隆法に、霊天上界から通信を開始されました。まさしく、イエス・キリストが十字架に架けられた後、自らが救世主であることを、旧約聖書に預言された救世主であることを証明するために、弟子たちの前に「復活」して見せたように、私に驚異的な啓示を開始されたのです。
 しかし、私はこの後、約五年間の沈黙を守ってきました。同氏には、GLAという後継の団体があり、また、同氏の、「心の発見」、「人間・釈迦」、「心の原点」等々の著書を通して、今もなお、全国各地の有志たちが、魂の学習に励んでいる事実を考慮してのことでありました。
 しかし、一九八六年七月、私が、神理伝道のために、勤務していた総合商社を退社するや否や、高橋信次氏からの、ご自身の現在の考えを世に問いたいという、強烈な願いが一条の光となって、私の胸を貫きました。私は同氏の熱意に打たれて、ついにこの書を世に問う決断を致しました。
 高橋信次氏のかつてのお弟子さんたちの多くが、現在、間違った方向へとそれて行っていることに対し、同氏は、なんとか彼らを、彼らが生きているうちに救ってやりたいと、強い情熱の程を吐露されたのであります。
 本書には、同氏の情熱が流れています。女性の受聴者を用意して、何度かに分けて、私を通じてご講演を願ったため、その教えも平易で、極めて日常生活に密着した題材をもとに、ユーモラスに神理を語っておられます。
 本書が、かつてGLAで高橋信次氏の教えを受けられた方々ばかりにではなく、より多くの人々に読まれ、神理学習の一助となることを祈ります。
 最後に、同氏が帰天されて後、十年の長きにわたって、法灯を守ってこられた、GLA主宰、高橋佳子さんに、心から敬意を表します。
  一九八六年九月 大川隆法
あとがき
 私は、高橋信次氏とは生前一度もお会いしたことはありません。また同氏の教えを直接受けたこともありません。ただ遣された御著書を通じて、神理を学ばせて頂いただけです。
 しかし、あえて同氏の霊言集を世に問うた理由は、今回の、日本を中心とした救世運動の先駆者の一人として、地上に肉体を持たれた偉大な光の天使の一人が高橋信次氏であったからです。
 同氏は現在、私の指導霊の一人でもありますが、やはり、現代の日本に生きられた人だけあって、その教えは大変具体的でまた的確です。その意味で真に人を救いうる教えだと言うことができましょう。
 地上を去って十年、今なお救世の熱意冷めやらぬ、偉大な光の指導霊、高橋信次氏に対して、読者と共に、感謝致したいと思います。
 また、本書刊行に際して、情熱的な協力を借しまれなかった、原久子さん、潮文社編集部の皆様方にも、この場を借りて感謝致す次第です。
  一九八六年 九月十八日  大川隆法
ここで,幸福の科学の初期を支えた重要な人物,原久子さんが登場します.まえがきにあった「女性の受聴者」も,おそらく同一人物でしょう.この人は元GLA信者で最初の幸福の科学信者でした.1986年,幸福の科学設立のため,主宰していた自分のヨガ教室に通っていた人たちを会員へと勧誘し,自宅二階を事務所として提供しました.「新・幸福の科学入門」という書籍には,次のように書かれています.
幸福の科学の事務局は、原久子さんが私財数百万円を投入して、ご自宅の二階を増築工事をし、六畳一間の離れをつくってくださって、店開きができたわけです。
軽井沢に所有していた自分の別荘を提供したり,土屋書店を紹介したり,種村さん(初期に有名になった本部講師)を生長の家から幸福の科学に呼んだのも彼女と言われています.「私財数百万円を投入」ということ一つを取ったとしても,彼女が幸福の科学設立のために,身を粉にして尽くしたことが窺えます.そのような行動をした動機には「神理(真理)に出会えたという喜び」があったと思います.日々植福(寄付・献金)をしている信者の皆さんなら,彼女の気持ちがある程度わかるはずです.

2013年9月11日水曜日

非常に多く出版された高橋信次の霊言集

 私は高橋信次という人も,彼が主宰していたGLAという宗教団体も,全く知らなかったので,彼の生前の性格などは知りません.ただ、霊言の中の高橋信次はユーモアがあり,時々冗談のような話をしながら宗教の話をするので,とても面白く,肩の力が抜け,そして読みやすいものでした.宗教家であるにもかかわらず宗教臭さがなく,なんだか友達のように語りかけてくる高橋信次の話に,私は引き込まれました.

 特に高橋信次の霊言は、非常にたくさん出ました。出版スピードもかなり速かったです.

  • 1986年12月 高橋信次霊言集
  • 1987年5月 高橋信次の新復活
  • 1987年6月 高橋信次霊訓集1
  • 1987年8月 高橋信次霊訓集2
  • 1987年10月 高橋信次霊訓集3
  • 1988年1月 高橋信次の天国と地獄
  • 1988年8月 高橋信次のUFOと宇宙
  • 1988年6月 高橋信次の新幸福論
  • 1988年8月 高橋信次の新ユートピア論
  • 1988年9月 高橋信次の大予言
  • 1988年11月 高橋信次の心の革命
  • 1988年12月 高橋信次の愛の讃歌
  • 1989年5月 高橋信次のやる気の革命
  • 1989年8月 高橋信次復活の原点 永遠編
  • 1989年9月 高橋信次復活の原点 天使編
  • 1989年10月 高橋信次復活の原点 希望編
  • 1989年11月 高橋信次復活の原点 太陽編
  • 1990年12月 高橋信次復活の原点 新生編

 これは,ほとんど月刊誌レベルのスピードです.書店に行くと,毎月に近い形で新刊書籍が出ているのを発見したので,なんだか気になって次々に買っていました.1巻を読んだら2巻が気になるのと同じです.これで大川隆法関連書籍の「定期購読者」になりました.

 私の場合,このときは「高橋信次ファン」になっていたと思います.大川隆法はあくまで「著者」あるいは「霊能者」としての認識でした.ただ,本当にこんな速いスピードで本が書けるだろうか?やはりこれは,本当に霊がしゃべっているのではないだろうか?と思うようになっていきました.なぜなら,読書によって,高橋信次が毎月出てくるのをリアルタイムに感じていたからです.