2013年8月19日月曜日

天之御中主之命が二体の悪魔を追い払う場面

 1986年3月出版の「天照大神の霊言」は日本神道系の神々の霊言を集めたものでした.内容は天照大神,天之御中主之命,大国主之命といった,神道の神々の霊言です.(政治家ですが聖徳太子も入っています.)神道系は日本民族を守る神々の集まりとされ,高天原(たかまがはら)と呼ばれる,日本の霊界に住んでいます.これを日本の民族神と呼びます.日本神道の神様の場合,その呼び出し方が,やはり特徴的です.
大川  ――気吹(いぶき)の狭霧(さぎり)を四方、天地に吹き棄てつつ結界の所作を自動的に行い続ける――(結界の式了る。)
――天照大神である。天照であります――。
さらにこの本の中で,私が一番興味深いと思ったのは,やはり天之御中主之命が二体の悪魔を追い払う場面です.これはなかなかカッコイイので,以下,その迫力を味わってみて下さい.

大川  招霊の詔。――
    二拍子音が続く。――
御中主  天之御中主である――。
善川  御中主の神であられますか。過日は有難いお訓えを種々賜りましてありがとうございました。私どもは諸聖賢のお教えを承ろうと思いまして中国の孔子様をお招きしようとしたところ、魔界の者の邪魔が入りましてお招き出来なかったのですが……。
御中主  魔界のものが今もこの近くに来ております。二名、一名はルシフェルと称する者、いま一名は×××と称する者、われわれの仕事を見張っております。
善川  かつてよりあなた方がご指導されている教団(注:生長の家)には、彼らは近づかなかったのでしょうか。
御中主  彼らは魂系団が違うので近寄っては来ておりません。
善川  そうですか。それではあなた方直系のご指導は、何の妨害もなくストレートに伝わっているのでしょうか。
御中主  また別のサワリというか、邪魔をするものが居るわけであるが、彼らは、ルシフェルというものは、キリスト教の神々と戦ってきているし、×××というのは仏教系でありましょう。
善川  これらのサワリの連中はなかなか済度しがたいものでありましょうか。
御中主  非常にむずかしいものであります。
善川  彼らは何か目的をもっているのでしょうか……。
御中主  彼らに聞いてみなければわかりません。
善川  彼らは何の目的もなくただ邪魔をする、嫌がらせをする、そして、やがてわれらを誑(たぶら)かし、惑わしに遭わせようと企んで居るように思われますが、今あなた様をお招きした時は、あなた様が直にお出で下さったのですが、彼らは邪魔はできなかったのでしょうか。
御中主  私の力が強いからです。×××などに負けるような私ではないのです。私は日本神道系の大黒柱の一人です。そのようなものに負けるような私ではないのです。数百年か、千年ぐらい前に肉体を持ったような人間が地獄に迷ったところで、わが惟神(かんながら)の神の道の基礎を創りたるわれらが邪魔はできないのです。
善川  ルシフェルについては如何でしょうか。
御中主  あれは異国のサタンです。異国のサタンよ退きなさい!あなた方はわが国土に入ることは許されていない!!
善川  ありがとうございます。(後略)

 いかがでしたでしょうか?天之御中主の神様の言葉,とってもカッコ良くないですか?これが,「神」の力強さ,威厳なのかと思うと,もう御中主のファンになってしまう気持ちもわからなくはないですよね.ルシフェルは有名な,キリスト教最大の悪魔です.×××は伏せ字になっていますが,平安時代に活躍した真言宗の僧侶・覚鑁(かくばん)のことで,この本に登場したおかげで幸福の科学では悪魔として有名になりました.

 悪霊は地獄で「迷っている」存在であるのに対し,悪魔は積極的に悪事をはたらき,神様と対決する存在で,より深い地獄にいるとされ,説得は非常に困難であると言われています.なぜ彼らは登場したのでしょうか?

 幸福の科学では,光の指導霊が悟りを開き,その教えを広げようとするとき,必ず悪魔が妨害しに来ると言われています.つまり,この宗教が広まって「悪想念」,つまり人々が考えている「悪い思い」がなくなれば,その悪想念をエネルギー源として活動する悪魔は大変困ってしまうわけです.それゆえ,彼らは正しい宗教が広まらないように邪魔をしに来るというわけです.



2013年8月18日日曜日

明治維新の志士たちの霊言に見る魅力

 宗教と言えば何かと難しい話が多い中で,初期霊言集は宗教家だけではなくソクラテスやカントなどの哲学者,エジソン,坂本龍馬や吉田松陰,西郷隆盛などの登場人物が自由に発言するので,新鮮な感じを受けたのを覚えています.特に明治維新の志士の霊言を集めた「坂本龍馬の霊言」(1986年7月出版)は会員には大人気だったように思います.中でも吉田松陰は,善川三郎を厳しく叱っています.その様子は,読者の心をガッチリとよくつかんだと思います.例えば,こんな感じです.

善川  お訓えのおもむきよく判りました。私も年を寄せてまいりましたが、また今後如何程の寿命を与えられるかは存じませんが・・・
松陰  その言葉が気に食わない――
善川  生命の尽きる最後の一瞬まで、生命の火が燃え尽きるまで゛神法゛普及のために尽す覚悟であります。
松陰  真か、それは真か、僅かこの一日、今日一日を振り返ってでもその言葉は誠か、過去は問わない、今日一日を振り返ってでもそれは、その言葉は真か、自らの心に問い質して真か、私達にはあなたの心はすべて読めるのだ・・・(後略)

 私はこういう上司は苦手で,どちらかというとのんびりした思想を持つ「老子」が好きだったのですが,他の会員さんは,結構「叱られるのが好き」な人が多かったように思います.善川三郎は霊言でよく弱音を吐いては他の霊人に叱られていました.その様子を読んだ会員の気持ちとしては,善川三郎を自分自身に重ねていたと思います.

 というのも,やはり当時は新興宗教と言えば「怪しげなもの」という評価が一般的で,そんなものを信じていると言えば,キチガイ扱いされることが多いので,霊言集を読んでいることを他の人に知られることさえ,とても怖かったです.宗教の信者になることは,やはり相当勇気がいることでしたし,信者になった後,友人や家族にそのことを打ち明けるのはずいぶん抵抗がありました.よく気弱になったり,他人の言葉にひるんだりしたとき,この霊言を読むと,自分が叱られているように思え,いや,このままではいけない,勇気を出さなければ,と奮い立つのです.

 坂本龍馬は,かなり人気がありましたね.当時の会員はいわゆる「いい人」が多く(今もそうかもしれないですが),私もどちらかというとおとなしいタイプです.そんな人が坂本龍馬の「ちんこい、ちんこい、心臓のカサブタぶっ飛ばせ!」とか「精神的な脱藩をせい!」みたいな文章を読むと,かなり魅力的に思えるものです.後に精舎で会った人は,龍馬と同じ格好(コスプレ?)で研修に来ており,龍馬人形(フィギュア?)を持っていましたね・・・.

 西郷隆盛に至っては,これもどれだけ会員の不安な気持ちを慰めてくれたかわからないかもしれません.ここにもちょっと引用してみます.
西郷  また、私の声を今伝えているこの若もん(注:大川隆法のこと)にも、おいどんは言いたかことがあるとです。
 あんた、若いのに、ご苦労なことでごわす。こういったことばあ勇気がなければできんとです。あんた若いし、未だ世に出て日もない。年も浅い。もっと遊びたいこともたくさん、あるとでっしょ。遊びたいでっしょ、もっといい思いもしたいでっしょ、もっと優雅にも暮らしてみたいでっしょ、もっと多くの友達持って楽しかことやりたいでっしょ。
 ――けど、あんた、こんな大変な使命仰せつかって苦しんどるとです。おいどんには分かりもす。あんた、こんな世界に入るにゃ若過ぎるんです。四十、五十、六十で宗数的なことやる分にはいいのです。お迎えが近づいている時に、宗数的なことやっても自分のためにはなるし、人もまたそれなりに見てくれるからおかしなことではなかとです。二十代でこのようなこと、しなけりゃいけないということは、あんた大変な苦労ばしちょると思います。あんた哀しか気持で毎日居ると思います――。
見事に会員の気持ちを代弁しています.そう,宗教活動をするということは,悪口を言われたり,友人や家族が離れていったり,社会的な立場が危うくなったりと,苦労することばかりであろうと思われるからです.しかし,それでもこの真理に気づいた私たち青年は,日本の国に変革を起こしてゆかなければならない.誰かが捨て石にならなければ,時代を変えることはできないのだ――そう思って,明治維新をもう一度やるつもりで活動していたと思います.会員にとっては,霊人が本人かどうか,言っていることが本当かどうかということは,確かめようがないのです.感情が動かされた(感動した)から,その言葉を信じるのです.坂本龍馬の霊言に惹かれた人たちは知性・理性より「情で動く」タイプで,会の活動を行動面でよく支えました.

2013年8月17日土曜日

アトランティス文明と古代インカ文明への憧れ

 「キリストの霊言」の中にはアモン,リエント・アール・クラウドという名前の霊人が登場します.アモンはアトランティス大陸の宗教家であり,大陸の陥没によってアトランティス文明が滅びた後,飛行船でエジプトに逃れて太陽神信仰を広めたと述べ,古代エジプトの神アモン・ラーとなったということでした.彼は,天変地異がここ数十年のうちに起こると警告し、その原因は地上の人間の「悪想念」であり,だからこそ新しい宗教が教えを広めることによって悪想念を追い払わなければならないと警鐘を鳴らします.

 リエント・アール・クラウドは古代インカ帝国の王で,大川隆法の「魂の兄弟」であると名乗ります.古代インカ帝国はアトランティスやムー大陸からインカに渡ってきた人々が作ったものである,そして今後地球規模の災害が起きる可能性があるが,人類が心を一つにして地球規模のユートピアを実現する時期でもあると語ります.

 このような名前を持つ王は,正当なインカの歴史には出てきません.これは霊査(霊による調査,リーディングとも言う)によって初めて明らかになった名前なのだろうと思いました.霊査は人類が知ることのできない超古代の文明や過去の事実を知ることができる最後の手段として,非常に興味深いものでした.エジプトとインカは互いに離れた距離にあるにもかかわらず,両方ともピラミッドが作られています.これはアトランティスやムー大陸という幻の文明があり,大陸の陥没という大災害から逃れてきた人々がいたという証拠でもあると考えると,なんだかワクワクしました.

 科学的手段による研究は,必ず証拠を必要とします.古代文明の研究を行う際,放射線年代測定であるとか,DNAであるとか,物質的な証拠を拠り所にするがゆえに,信頼性が高くなるわけです.しかしその反面,数千年,あるいは1万年前といった,気の遠くなるような過去になるほど,その証拠は失われてしまうわけです.したがって,研究者達は過去の文明について,極僅かな証拠と証拠の間をつなぐために,推測でしか語れなくなってゆきます.そこが,なんとも歯がゆいところです.

 ところが,霊査は当時生きた人間が,あの世から霊として数々の証言を語るものですから,今現在はなんらの物的証拠が無いとしても,もしもこれらの証言を裏付けるような証拠が,将来少しでも発見されるようなことがあれば,霊界の存在や,今まで科学では知るることができなかった超古代文明や人類のルーツといったものが明らかになり,人類の知識や歴史に対する視野が大幅に広がるかもしれないのです.

 「証拠があるから,信じる」という言い方はちょっとおかしくはないでしょうか.もしもはっきりとした証拠があるのなら,それは「事実の確認」と言うべきです.「証拠が無いから,とりあえず今は信じざるを得ない」というのが本当のところでした.そして,今は見つかっていないその証拠を,将来見つけるのは私達のような十代,二十代の若い世代かもしれない,とも思ったのです.


2013年8月13日火曜日

「キリストの霊言」に出てくるキリストが語る「天の父」

 「キリストの霊言」は1986年に出版されています.この本の登場人物は,イエス・キリスト,モーゼ,アモン,リエント・アール・クラウドの4人です.イエス・キリストは幸福の科学指導霊団の長という位置づけでした.イエスは次のような優しい一面を見せます.
善川  大変光栄な、身に余るお言葉をお聴きいたしますのですが、あなた様はじめ、天上界の方々のご意志が、今後のわれわれの行動に託されているということでございますが、願みまして、われわれの能力なり、その基盤、行動なりには、自から限界があり、とてもわれわれの力だけではこれからの大任は果たせそうにないと思うのでありますが……。
イエス  (中略)ですから、そういう親しい間柄だと思って、何を聴いていただいてもよいのです。あなたが、さまざまな方に叱られていることを、私、重々承知しています。けれども、あなたを苦しめたり、いじめたりするつもりは全くありません。なんでも、お聴きなさい。あなたが話しにくければ、私が一方的に語ってもよいのですよ…
私は,「やっぱりイエスは優しいな~」という感想を持ちました.神様は優しいものだという,「神」についての漠然としたイメージを持っていたので,霊言の「イエス」に好感を持ったとも言えますね.ただし,まだこの頃は「信仰」を持ったとは言えません.

 霊言の内容は,聖書で書かれていることの「真相」に関することやキリスト教の欠点について,などでしょうか.私はクリスチャンでは無いので,よくわからなかったのですが,どれも正当なキリスト教で言われていることとは異なったものであったと思います.例えば,キリスト教の「神」あるいは「天なる父」については,以下のように言っています.
善川  あなたの仰しゃる天なる父といわれる方は、エル・ランティー様のことなのですか。
イエス  エル・ランティーのことです。私が、わが主、わが父と言ったのはエル・ランティーです。
善川  エホバと言われた方は―。
イエス  エホバも、エル・ランティーのことです。
善川  旧約聖書に出てくるエホバ神は、非常にイスラエル民族の擁護者といいますか、偏狭なまでにこの民族にのみ肩入れしていたような感じがありますが。
イエス  当時は一つの民族という域を越えた認識ができなかったのです。ですから後世から見れば、さまざまな民族があり、だから神が一つの民族を庇護するということは、不合理だと思えるかも知れませんが、当時としてはやはりそういう世界観だったということなのです。
善川  それでは旧約聖書第一章の創世記に出てくるアラーの神は、どうだったのでしょう―。
イエス  アラーも私の主、父、アルラー・エル・ランティー、アラー・エル・ランティー、こうなったのです。
旧約聖書第一章の創世記には「アラーの神」は出てこない,アラーの神はイスラム教の神なのではないか?とも思いましたが,深く追求はしませんでした.また,ここにはエル・ランティーの説明が無いので,皆さんは何のことかわからないかもしれませんが,これは高橋信次と関係があります.この「天なる父=エル・ランティー」という見解は後に否定されました.現在は「天なる父=エル・カンターレ」になっています.これについては,後で述べたいと思うので,今は説明しないでおきたいと思います.


2013年8月10日土曜日

日蓮の霊言で感じた悪霊・悪魔の存在

 初期の善川三郎編として出た霊言集の内容は豊かで,秀逸なものでした.内容は霊界秩序の話から人生論,政治・経済論と多岐にわたっています.一冊あたりの文章量も多いですが,対話編なので読みやすいものでもありました.

霊声者は大川隆法,質問者は善川三郎,たまに富山誠という,大川隆法の兄も参加していました.日蓮聖人の霊言の中で,ある意味臨場感のあるやりとりというか,悪霊による影響,惑わしというものが本当にあるのだと感じさせる文章がありますので,長くなりますが引用してみます.
富山  ただしかし、一番問題なのは、悪霊の中でもサタンという目的意識を持った悪霊、或いは魔王といわれるような連中が、実際にわれわれを惑わします。彼らもわれわれにとっての素材なのでしょうか、何のために生かされているのでしょうか、彼らは。 
日蓮  その前に、あなたは一体何のために生かされているのでしょうか。人がなぜ生かされているかを聞く前に、あなた自身が一体何のために生かされているのですか。あなたの今の質問の中には、彼らの存在意義がないという主旨が読みとれます。
富山  そのとおりです。
日蓮  そうですね、その前に、その質問をするあなた自身は、一体何のために生かされているのですか。
富山  分かりません。私は今、彼らサタンのなすがままの状態に置かれ、何らなすすべもなく苦しんでいるのですから。
日蓮  あなたは自暴自棄になってはいけません。あなたは生きんと欲して生きている。あなたの生命は生きんとしている。そういっている今も、あなたの生命は生きんとして生きている。ただあなたの頭の中につまらない夾雑物(きょうざつぶつ)がたくさんあります。それがあなたを悩まし、そのような若い文学青年が悩むような言葉に酔わしているだけです。あなたの生命は生きんとしております。あなたは生きんとしております。間違った認識をしてはいけません。あなたは現に生きんとしているから、そのような質問をしているのです。 
 しかし、あなたは今、生きるよりどころが分からなくなっているのです。問題はそこにあるのではないですか。生きている意味がないんじゃない。生きるよりどころが見つからなくなっているのです。サタンの存在意義を考える前にまず、あなた自身の存在意義を考えてみましょう。あなたはなぜ生きているのでしょう。あなたはなぜ生かされているのでしょう。生きているというのは本人の意志の領域です。しかし生きようとしてだけ生きているのではありません。あなたは生かされています。万象万物に生かされています。何故生かされているんでしょう―。
富山  一番の疑問はその点ですね。こういうような形で生かされているということに関して、私は疑問を持っているのです。
日蓮  こういうふうな形とはどういう形でしょうか。あなたはいたずらに悲劇の主人公になっている。世の中にはあなた以上に不幸になっておられる方々、あなた以上に悲惨な体験を積んでいる方々が万といい、十万といい、百万という単位でいるのです。あなたは現に、五体が満足で、現に食うことに困らず、現にいろんな勉強をし、現にいま生きている。現に今こうして私たち他次元のものたちと生きながらにして話ができるという、このような百万人に一人も体験できないような、そういうふうな貴重な体験を今しているのです。これが幸いでなくて何ですか。
富山  不幸です!
日蓮  何で不幸なんです!
富山  今の私には不幸なのです。重荷となっているのです。
日蓮  なぜ不幸ですか! その言葉はあなた自身の自己保存から来ています。あなた以上に不幸な人はいませんか、本当にいませんか、甘いんです。そんなことに悶々(もんもん)としているのはセンチメンタリストです。
富山  しかし私はなぜ人にない霊障、それもサタンの攻撃に晒(さら)されなければならないのですか。私の守護、指導霊は、怠けていないとしたら、私にどうしろというのでしょうか。
日蓮  これには幾通りかの理由があります。
 第一には、さきにも言った、あなたの心が、こちらを向いていないからです。たとえていうなら、児童が幼稚園に来る途中真っ直ぐに園へは来ず、途中たんぼや小川に下りて、メダカや、おたまじゃくしを追い回して遊んでいるのと同じです。そしてそのうち沼に足を取られて泥んこになり苦しんで泣いている状態です。
 第二には、その状態から、自らの力で這い出てこようとせず、先生や、お母さんの助けを求めて声を限り呼び叫んでいるという状態です。
 第三には、それを知った先生やお母さんは、あなたのために、その状態からすぐ救い出そうとしていないからです。なぜなら、あなたには自分で沼から抜け出して帰ってくるだけの力があるからです。
 私たちは、あなたのために、あなたを甘やかし、過保護にしたくないからです。あなたには将来に大きな任務があり、そのためにもっともっと強くなっていただきたいのです。あなた方が主体的に生きていかなければいけないのです。あなたはひじょうな勘違いをしております。守護、指導霊に操られて生きているのではないのです。だからあなたが主体的に生きていかなければいけない。その行路において彼らは時をみてアドバイスをすることもあるでしょう。しかしながら、あくまでもあなたがたがやることなのです。
富山  ではここに悪霊が憑依しているという現象を見て、あなた方はなぜ黙認しているのでしょうか?
日蓮  黙認しています―。
富山  なぜですか?
日蓮  あなたにとって必要だからです。なぜ憑依されているかを、あなた自身に気付いてほしいからです。なぜだと思いますか―、あなたの答を聞きたい。なぜ、あなたは憑依されているのですか。
富山  憑依させておこうとしているからではないですか、あなた方が。
日蓮  させているのではなく、されているのです。もっと自分を見つめてみなさい。あなたはあまりにも甘えています。
富山  では私に憑依してくる彼らは甘えていないのでしょうか。
日蓮  彼らは甘えではなく、迷っているのです。あなたこそ彼らにとって、彼らに対し "法" を説いて、彼らを救うべき人間ではないですか、何を勘違いしているのですか。
富山  それはおかしいです。彼らに法を説くのは、私以上に資格者がいるはずです。私の守護霊がいるでしょう。
日蓮  そうではありません、彼らは彼らの仕事があります。なぜあなたは主体的に生きていこうとしないのですか。あなたの言っていることを聞くと、私たちはひじょうに残念です。なぜなら、主体性がないからです。自ら解決していこうとする男らしい力が感じられないからです。私たちはあなたをそのままにしております。あなたに気付いてほしいからです。こういう経験を通さずして、あなたは真に悟ることはできないからです。安易にそのために応急処置をとったところであなた自身を立ち直らせることはできないのです。 
 私たちはそんなことを知っているのです。応急処置だけで治るものではないのです。あなた自身の心が自らを救っていかなければ誰も救うことはできないのです。私たちは、応急処置を何回したところで救えないことを知っているのです。 なぜ、あなたは憑依されているのでしょうか。させているとか、そういう人のせいにせず、なぜ、あなたは憑依されているのか。あなたは今、どういうふうに自分のことを考えておられるのですか。自分が百パーセント正しいと考えておられますか。何も誤りはないのですか。誤りがあるかどうかというのは、あなたの思いと行いにおいてです。あなたの現在の思いと行い、あなたの今まで、過去における思いと行い、これに何も、誤りもなにもないのですか。自分には責任も何もないんですか。
 私たちは去年も、その前の年も出てきて、あなたに正しい導きの方向を教えております。しかし、あなたはこれを全く聴いておりません。自分の都合のよい方向に、よい方向に、自分で道を歩んできております。その結果をなぜ、あなたは、自分の責任と考えないのですか。なぜ、人のせいにするんですか、私たちは何度も、何度も、あなたに繰り返して話をしております。あなたは聴こうとしません。素直に聴いておりません。 
 あなたは今、サタンに憑依されているということを言いました。負けてはいけません。彼らに負けてはいけないのです。あなたにはそれだけの力は与えられているのです。勇気を起こしなさい。自分に勝ちなさい、ということです。自分に負けているから彼らに負けているのです。分かりますか。自分の弱さに嘆きなさい。人を責める前に自分の弱さに気付きなさい。自分の弱さを嘆きなさい。そしてたくましく立ち上がりなさい。人を責める前に自分に反省すべきところがないかどうかをよく考えてみなさい。

 引用がかなり長くなってしまってすみません.これを読み,私は悪霊・悪魔という存在がいるのだと,思いました.富山誠の「不幸です!」という叫びに,真に迫るものが感じられます.なかなか生々しいやりとりだと思いませんか?

 また,この最初の本から,既に「自己責任」という考え方が出ているのがわかります.自分の不幸を人のせいにする人は,悪霊に憑かれる.つまり幸福の科学では,悪霊に憑依され人生が不幸になるのは自分の心のあり方に問題があるということであり,逆に言えば幸福になるには心を神の方向に向け,守護霊・指導霊の導きを得ることで,幸福になるという考え方を取ります.

2013年8月3日土曜日

日蓮聖人の霊言に見る「幸福の科学」の名前の由来

 この頃,様々な霊言,すなわちあの世からのメッセージを記した本が出版されていました.大川隆法に限らず,シルバーバーチであるとか,シャーリーマクレーンであるとかといった本もあり,これらの多くの本の一つとして,大川隆法の霊言シリーズが本棚に置かれていました.これが初期の霊言集で,過去の有名な偉人の霊言であることが,他の著者の霊言とは異なる点でした.前にも書きましたが私はシリーズものを読み始めると,最後まで読みたいタイプです.私は大川隆法の他の関連書籍も読むようになりました.

 最初に出たのが「日蓮聖人の霊言」です.これは善川三郎が質問者,大川隆法が霊声者となって対話を試みた本です.善川三郎は大川隆法の父ですが,この本の中にはまだそのことについてはっきりと書かれてはいません.内容は日蓮が語る「人生論」のようなものですが,この中に「幸福の科学」の名前の由来があります.「日蓮」の言葉をここに引用してみます:

日蓮:
 それともう一つは、新しい宗教を興すという気持は当面の間持たないことが、安全です。そうではなくて、もっと別な形があるでしょう。「精神科学」と申しますか、或いは「幸福哲学」と申しますか、要するに、この世の中の仕組み、この宇宙の仕組み、この宇宙を統べている「法」、この「神の理法」を明らかにすること、その神の理法の中に生きている人間たちに、幸せへの道は、どこにあるか、ということを教えることです。 
 そういう意味において、あなた方の教えも、一つには科学であり、宇宙科学、神霊科学であり、いま一つには幸福学であり、幸福哲学であるということです。宗教を興すという考えを持っていると、間違った方向にいく可能性があります。 
 幸福科学の研究をしているとでも思ったらいいのです。宗教を興せば、巷の神々の一人になってしまいます。また新興宗教が出来たか、ということになってしまうのです。その辺は時代の要請というものを見誤らないようにしなければなりません。

 ここに書かれているように,幸福の科学は宗教では無いと思っていました.これは哲学であり,科学でもあると理解していました.また,この頃はまだ幸福の科学は宗教法人ではありませんでしたが,この団体の他の本には「幸福の科学とは,幸福とは何かを考える人たちの集い」であると書かれていました.
 日蓮の霊言は,何か深い人生経験を感じさせるものがあり,世間の常識を踏まえた納得のいく考え方を示していたと思います.ただ,世間が受け入れないだろうと思われるのは,この言葉が「霊の言葉」であるという点だけだったかもしれません.その部分に関しては,大川隆法とは関係の無い他の人(外国人を含む)も同様な霊言集のようなものを出版していたので,私にはあまり抵抗感はありませんでした.