2015年12月16日水曜日

私が正会員になった経緯


 昔、誌友会員という制度がありました。これは、月刊誌を定期購読するだけの会員で、いきなり正会員になるのは敷居が高い、という人はこちらに受け皿があったわけです。

 私は友達に勧められて大学一年生の時にこの誌友会員になりました(詳しくは前に書き込みました)。その後しばらくすると、下宿先の近所に住んでいる会員さんがアパートに訪ねてきて、月刊誌を持ってきてくれるようになりました。その人はなかなか親切そうな人で、仕事は大工をしていると言っていました。彼には、少なくとも当時の怪しい宗教信者にありがちな暗い雰囲気や、身だしなみの乱れなどが感じられず、普通の人のように思われたので安心感がありました。

 ある日、その人が「地区の集い」に参加しませんか、と誘ってきました。私も18歳で初めて一人暮らしを始めたばかりでしたし、まだ友達もできておらず、孤独感を感じていた、というのもあります。アパートから大学までは電車で2駅くらい離れた場所にあったので、近所に知り合いができるといいな、という思いもありましたので、参加することにしました。

 それは食事会のようなもので、近所に住む会員が5人くらい集まっていろいろな話をする、というものでした。主婦の人、無職の人、普通のサラリーマンや、小さな会社の経営者のような人もいました。皆、ごく普通の人だったので、安心した覚えがあります。中でも主婦をしていた方にはかわいがってもらった記憶があります。アットホームな雰囲気で私を受け入れてくれたので、私は何回か参加しておしゃべりするようになりました。そしてあるとき、正会員になりませんかという誘いを受けたのです。

 当時、正会員になるには書籍を5冊以上読み、その感想を文章に書いて送ることになっていました。私はあと数年間は会員にはならず、様子を見ようと思ってはいたのですが、友達も既に正会員だし、あまり強制されることがない組織かなと思ったので、その場で文章を書いて送ることにしたのです。

 正会員になり、地区の会の皆さんからは歓迎され、喜ばれました。私はこんな歓迎を受けたことは今までなかったので、家族から遠く離れた一人暮らし先で、新たな居場所を得たように感じました。

2015年6月21日日曜日

青春の思い出

 会場に詰めかけた、たくさんの人々。私はなぜか、その会場に立っていた。そこは、個人宅の広めの部屋を借りた、衛星中継会場だった。
 
 講演開始までは、まだ時間がある。会場にいるのは、主婦や会社員、子供連れからお年寄りまで、実に様々だ。皆、決して特殊な感じはなく、普通の人々である。

「今日はたくさんの方がいらしてくれて、とっても嬉しいですね!」

 ふと、近くにいた女性が話しかけてきた。この人は、私と同じ青年部で、この講演会の準備をしてきた仲間だ。毎日夜遅くまで一緒にボランティアをして、この日に備えてきたのだ。他の仲間はあと数人しかおらず、少ない人数で、音響機器の準備や、チラシの作成と印刷と配布、会場のイス並べ、などなどを一緒にこなしたのだ。

 クタクタになりながらも、頑張ってきたのは、当日多くの人が会場に足を運ぶのを見たいからだった。

 そんな想いが叶って嬉しそうな彼女の顔はとてもキラキラしていて、私は何も言えなかった。

「あぁ、なんて純粋な目をしているんだろう。私はこんな純粋な人達が好きだ。けれども、残念ながら、本当に残念ながら、君は騙されていたんだ。」

 そう思って、口を開こうと思ったけれども、彼女にそんな絶望させるようなことを言えるはずもなく、ただ「よかったね」と言ってニッコリと作り笑いをするしかなかった。

 総裁先生には妻がいたが、離婚した。そのとき、総裁は妻が100%悪い、ということにして教団から追放した。君はこの行動についてどう思うだろうか?

 私は男性だから、わかることがある。それは、少なくとも若い頃だけであったとしても、または一瞬でも妻を愛したことがあって、自分から結婚した男であれば、その後うまくいかなくなって離婚した相手を公開の場で罵倒なんてしない。

 しかし総裁は、離婚後に公開で出版した書籍の中で、「相手が結婚してほしいと無理やり押しかけてきたから、仕方なく結婚してあげた」と言ったのだ。宗教家として、というよりも、男として本当に最低だと思わないか?

 僕たちはそんな責任感や主体性のカケラも持ち合わせていない小さな男のために、大切な大切な青春の時間を使ってしまったのだよ。そう言いたかったけど、なぜか言えなかった。

次の瞬間、場面が急変した。

 私は幸福の科学を辞めてだいぶ時間が経っているはずなのに、どうして総裁の講演会に来ているんだろう?

 そう思っていると、次に別の女の子が話しかけてきた。

「オパールさん、お久しぶりです!」

 あぁ、この子も支部で一緒に活動した子だ。家族全員が会員で、幸福の科学的価値観の中で生まれ育った高校生だ。友達を含め、人間関係の全てが幸福の科学の会員になっている。

「見てください、私、声優になる夢が叶ったんです!」

 見ると、幸福の科学の新作アニメ映画の脇役の声優として、選ばれたらしい。

彼女は以前から声優になるのが夢で、ボイストレーニングをしている、という話を聞いていた。

 以前、一度、彼女から相談を受けたことがあった。それは、付き合っていた彼氏にジュエリーショップに連れて行かれ、懇願されて高い宝石をローンで買うことになってしまった、という話だった。彼女は好きな彼氏にノーと言えず、相談してきたのだった。

 私はすぐにそれがいわゆるデート商法であることを指摘して、その彼氏が詐欺師であると伝えた。その事件は、消費者相談センターなどの協力で、事なきを得たが、信じていた彼氏に裏切られたことはかなりショックだったようだ。

 人を信じることは大切なのかもしれないが、疑うことも必要なのだ。でも彼女は事件が終わってから今日に至るまで、総裁を疑ったことは無いと思う。

 講演会の会場で、声優に決まって嬉しそうな彼女に対し、私は「総裁先生はテレビに映っていない時、幹部職員に罵倒の言葉をいつも浴びせているんだよ。それは最近の話ではなく、君が生まれる前、幸福の科学が発足する前からそうだったんだよ。」と言いたかった。

 しかし総裁を否定することは幸福の科学的価値観を否定することであり、ひいては両親、家族、友人、将来の夢を含めた彼女の人生の全てを否定することになってしまう。そんなことになるくらいなら、真実を知らないまま生きていくのが幸せなのだろうか。

 まぁ、そう言ってみたところで彼女は信仰を守ろうとするから、私の言うことなど信じないかもしれない。

 そう思うと、私はただ「夢が叶ってよかったね」と作り笑いをしてニッコリするしかなかった。

そこで、私は目が覚めた。
夢か・・・。

 彼女たちは今頃どうしているだろうか。一緒に活動する中で、共に笑い、夢を語り合った「法友」たち。私は法友を失ったが、真実を知らないまま人生を終えるよりはずっと良かったと思う。

 私の青春は幻だった。全てが、夢だったのだ。

2015年3月11日水曜日

世の中には悪い人もいる。付き合う相手を選ぶことも必要

 昨年末から、更新ができていませんでした。といいますのも、今年の初め、妻がかわいい娘を産んでくれたからです。今も子育てに追われています。幸福の科学を離れてから、私は幸せを実感しています。

さて、今日は少し余裕ができたので、「世の中には悪い人もいる。付き合う相手を選ぶことも必要」という話をしたいと思います。

「良い人」ほど、相手に少々癖があっても、相手の良いところを見いだしたりして、良い関係を築こうとします。信者さんにはこういう人が多く、相手を疑うことがあまりありません。これは場合によっては長所になるのですが、行きすぎると良くないことも起こります。

なぜなら世の中には、彼らが思いもよらない考え方を持つ人間も存在するからです。

私がまだ学校を卒業したばかりの頃・・・私は就職し、ある上司の下で働くことになりました。

最初は、非常に面倒見が良く、私をよく育てようとしてくれる、良い上司に見えました。
私は「良い上司に恵まれた」と考え、感謝をしながら仕事をしていました。

しかし、しばらくすると上司は他人の悪口・不満を私にこぼし始めるようになりました。
自分以外のあらゆる人に対する「あいつはダメ、こいつもダメ」「あれが悪い、これが悪い」という話をいつも聞かされるのです。

私は最初はその話を真に受けて「そういう悪い人もいるのだ、気をつけないと。上司は私に世間の厳しさを教えてくれている」と考えていました。

ところがそれが何年も続くと、「よくいつまでも不満を言い続けることができるな」と思うようになってきました。

「あいつは実力が無いくせに口だけは達者だな」「私があいつのためを思って言ってやっているのに、反論してきた。礼儀を知らないヤツだ」「あんなことも知らないのか」「あいつの顔を見ただけで虫酸が走る」「低レベルなやつとは同じ空気を吸いたくない」などなど・・・

その言葉は年を追うごとにエスカレートし、そのような他人への悪口を聞くたびに、私は気分が悪くなっていました。

海外出張から帰ってくると、ロシア人の若い女性が川端康成の小説「雪国」を知らなかった、という話を私にするのです。そして、「ロシア人っていうのは教養の無い民族だなぁ!」と決めつけるのです。

衝撃的だったのは、日本で生まれ育った日系韓国人の若者を前にして「韓国人はレベルの低い、下等な民族だから」などとと言い放ったことですかね・・・基本的に他人を見下しているのです。

彼の言いたいことはただ一つ「自分の言うことだけが正しく、それを否定する人は生きている価値が無い」ということなのでした。

私が反論しようとすると、「おまえもあいつらと同じ考えなのか、そんなことではこの仕事をする資格は無い!」などと脅してきました。

その職場では、私とその上司の二人だけしかいません。いわば密室です。私の勤務状況を評価するのは上司であり、その上の役職の人は現場を見ようとせず、作文のうまい上司が書いた報告書だけを見て物事を判断していたのです。

本当に苦しかった。

私は幸福の科学に顔を出すことで、職場のストレスを癒していました。そして私は支部長のアドバイスである「感謝の心が相手を変える」とか「圧倒的な善念で悪を押し流せ」などという言葉を信じて、上司の仏性を信じようと努力していました。

「人間関係調和の法」「八正道」「大死一番経」「両親への反省と感謝」「エル・カンターレ直接霊指導・心願成就」などなど・・・一回あたり数万円〜数十万円の精舎研修に何度も参加しました。

それから10年くらい経って、大川隆法が「レプタリアンの霊言」を出し始めた頃から、私の上司の魂はレプタリアン系なのではないか?と思うようになりました。

私は、どんな人間の心にも必ずその奥に「温かい心」がある、それが仏性である、と思っていましたが、どうやらそのような心を持たない人種もいるのかもしれないと考え始めたのです。

もしそうなら、私がいくら祈願しようが、感謝しようが、信仰生活を続けようが、自分の心を変えようが、上司は変わらないのかもしれない。もう10年も、私は上司に奴隷のように使われていたのかもしれない、と思い始めたのです。

それから、私は働きながら、密かに別の職を探すようになりましたが、新しい就職先はなかなか見つかるものではありませんでした。

それでも、私は主エルカンターレだけは愛の神であると信じて、毎日祈りながら、自分の心がその上司にひきづられ、他人を批判することしかできない、そんな人間になりたくないと思っていました。

そして私は性懲りも無く、「転職成功祈願」「出世祈願」などを受けたりしていました。

後に私が大川の「レプタリアン的性格」に気がついたのも、こうしたことが、ひとつのきっかけだったのかもしれません。

最初は信じられなかった。大川先生が他人を罵倒するような言葉を吐くなんて・・・。まさか、大川総裁先生が口を開けば他人を批判するタイプの人間だったとは。

でも、それは真実だったのです。調べれば調べるほど、それは疑いから確信に変わっていきました。その後、私はやっと職場を変えることに成功できたのです。