私は高校生の頃から、土屋書店発行の霊言集を読んでいました。私には同じ高校に友達がいて、その友達も霊言集の読者でした。彼とはノストラダムスの予言や、宗教の時代、新時代の到来などといった、他の人とは共有できないような話をすることができ、すぐに親友になりました。二人で図書館に行って、太陽の法、永遠の法、黄金の法を購入希望図書として申請したり、友達に本を薦めたりしていました。
私たちの行っていた高校は有名な進学校であり、東大への合格者も毎年数名はいるような学校でした。勉強はなかなか難しく,私はついていくのに精一杯だったのですが、彼はさらに成績が良く東大理を受験して合格しました。私はと言えば,なんとか一浪せずにとある関東の大学に受かることができました。大学合格後、私は初めての一人暮らしに戸惑いながら、アパートで暮らしていましたが、あるとき彼から連絡があり、東京からアパートに訪ねてきてくれました。話を聞けば,彼は幸福の科学の正会員になったと言うのです。
当時の幸福の科学には、正会員と誌友会員という2つの制度がありました。誌友会員は月刊誌を定期購読するだけの会員ですが、正会員は書籍を10冊読み、その感想文を書いて送り、入会審査を受けてから入会が認められる、というものでした。正会員には正心法語・祈願文という経文が与えられ,それを毎日読誦するよう勧められます。当時は会費もあり、たしか月3500円くらいだったと思います。
彼は東大の学園祭で行われた大川隆法の講演ビデオを持ってきました。それは「黎明の時代」という題目でした。その内容は、今ではほとんど覚えていないのですが、これからは宗教の時代が来る、宗教家が最も尊敬を受ける時代が来る、と訴えていたように思います。東大の学生は今まで勉強をさせてもらったのだから感謝をしなければならない、そして未知の分野、宗教という分野に飛び込んで、その優秀な頭脳を他の人の救済のために役立てなければならない。そして、これまで社会の裏側にあった宗教の地位を表側に持ってきて、エリートが集まるようにしたい、なぜなら宗教は尊い仕事をしているのだから・・・という感じでしょうか。
彼は私に,会員になるよう勧めてきました。私は、もちろん幸福の科学の書籍はほとんど読んでいたし、講演会にも行っていたのでずいぶん共感もしてはいたのですが、何か組織に入るというと少し怖いし、それなりにしがらみも多くなるかもしれないので、入会は躊躇していました。私は悪く言えば臆病、良く言えば慎重な性格だったので,発足して間もない幸福の科学が良い宗教かどうかを5年くらい見守り、その判断を見極めようと思っていました。
ところが彼は東大に入るや否やすぐに正会員となり、仲間もでき、学生部で活動しながら生き生きとした学生生活を送っているように見えました。あのおとなしくてもの静かだった彼が、笑顔で冗談を言うようになるなんて、こんなにも変わるものなのか・・・私はしばらく迷ったあげく、誌友会員ならいいよ、ということで、毎月月刊誌の定期購読をすることになりました。
この記事の続きはこちらです。
2014年1月11日土曜日
2014年1月5日日曜日
二回目の大講演会「大宇宙の悟り」
二回目に参加した講演会は1990年8月26日、やはり幕張メッセ国際展示場で開催された「大宇宙の悟り」でした。この時は、私は一人で行きました。これは大川隆法の過去世の一人として太陽の法に書かれている、ムー大陸の王・ラ・ムーが宇宙人と遭遇し、様々な過去や未来を見せられるという話を述べたもので、「悟りの発見」の第4章に収録されています。これはネット上にもアップされているようで,以下のリンクから聴くことができます。
http://www.youtube.com/watch?v=42gL8GwhDdI
聴いてみるとおわかりのように、ゆっくりとした言葉、何か本当に遠い過去の記憶を思い出すかのように滔々と述べてゆく話の展開に、やはり引き込まれるものがあると思います。超古代文明と宇宙人の話です。証拠は全くありません。ただ、聴衆はあの幕張メッセの広い会場を埋め尽くしています。聴衆の中には、やはり泣いている者,手を合わせている者もいます。どの人も大川隆法が本気で話をしていると思って、聴いているのは間違いありませんでした。
こんな話を信じることができるのだろうか。しかし、もしこのような霊的なビジョンを見ることができるのが大川隆法ただ一人であるとしたら、どうだろう?彼にしかわからない真実。それを他の人にも伝えるべく、こんなに頻繁に大講演会を開いて語っているとしたら?私は、書きとめた話を帰宅してからワープロに入れ、何度も読み返すようになりました。こうして私は、定期的な本の読者から定期的な講演会の参加者となりました。
http://www.youtube.com/watch?v=42gL8GwhDdI
聴いてみるとおわかりのように、ゆっくりとした言葉、何か本当に遠い過去の記憶を思い出すかのように滔々と述べてゆく話の展開に、やはり引き込まれるものがあると思います。超古代文明と宇宙人の話です。証拠は全くありません。ただ、聴衆はあの幕張メッセの広い会場を埋め尽くしています。聴衆の中には、やはり泣いている者,手を合わせている者もいます。どの人も大川隆法が本気で話をしていると思って、聴いているのは間違いありませんでした。
こんな話を信じることができるのだろうか。しかし、もしこのような霊的なビジョンを見ることができるのが大川隆法ただ一人であるとしたら、どうだろう?彼にしかわからない真実。それを他の人にも伝えるべく、こんなに頻繁に大講演会を開いて語っているとしたら?私は、書きとめた話を帰宅してからワープロに入れ、何度も読み返すようになりました。こうして私は、定期的な本の読者から定期的な講演会の参加者となりました。
2013年12月26日木曜日
初めての大講演会:「人生の王道を語る(序論)」を聴きに行く
手塚治虫のマンガ「ブッダ」を読んで感動していた私は、土屋書店の霊言集も読んでいました。西荻窪の総合本部にも偵察に行ったくらいですから、私は幸福の科学にだいぶ関心を持っていたのでしょう。どの霊言集かはわかりませんが、講演会のご案内、というチラシが本に挟まっていたように思います。そこには幕張メッセで開催される「人生の王道を語る」という講演会の案内が載っていました。この講演会は二部構成であり、前半は序論で初心者用、後半は上級者用といった感じだったように思います。
当時,霊言集には大川隆法の写真は載っていませんでした。私は、著者の大川隆法がどんな人なのか、どんな話し方をするのかを知りたくて、初めて千葉という、実家からそれなりに離れた土地まで電車で遠出して、講演会に参加することにしました。チケットは、電話で問い合わせて郵送してもらいました。3千円くらいでしたでしょうか。当時は一人で行くのはさびしかったので、弟を連れて行ったのを覚えています。大川隆法の顔を見るのが目的だったので,私達は前半の部だけに参加することにしました。
1990年6月3日。講演会当日が来ました。会場にはかなりたくさんの人がいるのに驚きました。やがて開演時間がやってくると奉納曲と呼ばれる音楽と、様々な自然の風景の映像が会場に流れ、様々な色の照明が光の演出をしてゆきます。なんだか心が落ち着くのを感じながら、大川隆法の登壇を固唾を飲んで見守る観客達。音楽が終わると,大きな拍手とともに舞台の横から大川隆法が登場し、話しはじめました。思ったより小柄だなーという印象です。会場はかなり広かったため、自分たちの席から見ると大川の姿は非常に小さかったので、モニター画面でしか顔を確認できませんでした。その口調は抑揚が効いていてゆっくりとしていました。
彼が話し始めると、近くですすり涙を流す人の声が聞こえてくるのに私たちは驚きました。それほどまでに感動するものなのか?と思いながら、やはり、「新興宗教団体の中に入ってしまったんだなぁ」という思いの中、講演内容を聞きました。私は,これほどの多くの人たちが、涙を流すほど感動しているという、その雰囲気に飲まれそうになりました。
人の心は、いくつかの杭が刺さっている川の流れのようだ。その杭に、ゴミがいっぱいひっかかっているので、悩みが生じる。反省によってその杭を一つ一つ抜くことによって、心は調和され,川の水はサラサラと流れてゆくのだ、そのような心が平静心である・・・
そんな内容だったように思います。前半の話が終わり、休憩時間に入りました。後半には本論がありますが、私たちは序論だけを聴いて、そのまま帰宅しました。後で聞いた話では、後半の話は「礼・知・信・義・勇」の話だったそうです。前半の話の指導霊は老子、後半の指導霊は孔子ということを聞いたことがあります。このように、当時の講演会には「指導霊」がついていて、話の内容によって指導霊が変わる,と言われていました。これが、私の初めての講演会への参加です。
当時,霊言集には大川隆法の写真は載っていませんでした。私は、著者の大川隆法がどんな人なのか、どんな話し方をするのかを知りたくて、初めて千葉という、実家からそれなりに離れた土地まで電車で遠出して、講演会に参加することにしました。チケットは、電話で問い合わせて郵送してもらいました。3千円くらいでしたでしょうか。当時は一人で行くのはさびしかったので、弟を連れて行ったのを覚えています。大川隆法の顔を見るのが目的だったので,私達は前半の部だけに参加することにしました。
1990年6月3日。講演会当日が来ました。会場にはかなりたくさんの人がいるのに驚きました。やがて開演時間がやってくると奉納曲と呼ばれる音楽と、様々な自然の風景の映像が会場に流れ、様々な色の照明が光の演出をしてゆきます。なんだか心が落ち着くのを感じながら、大川隆法の登壇を固唾を飲んで見守る観客達。音楽が終わると,大きな拍手とともに舞台の横から大川隆法が登場し、話しはじめました。思ったより小柄だなーという印象です。会場はかなり広かったため、自分たちの席から見ると大川の姿は非常に小さかったので、モニター画面でしか顔を確認できませんでした。その口調は抑揚が効いていてゆっくりとしていました。
彼が話し始めると、近くですすり涙を流す人の声が聞こえてくるのに私たちは驚きました。それほどまでに感動するものなのか?と思いながら、やはり、「新興宗教団体の中に入ってしまったんだなぁ」という思いの中、講演内容を聞きました。私は,これほどの多くの人たちが、涙を流すほど感動しているという、その雰囲気に飲まれそうになりました。
人の心は、いくつかの杭が刺さっている川の流れのようだ。その杭に、ゴミがいっぱいひっかかっているので、悩みが生じる。反省によってその杭を一つ一つ抜くことによって、心は調和され,川の水はサラサラと流れてゆくのだ、そのような心が平静心である・・・
そんな内容だったように思います。前半の話が終わり、休憩時間に入りました。後半には本論がありますが、私たちは序論だけを聴いて、そのまま帰宅しました。後で聞いた話では、後半の話は「礼・知・信・義・勇」の話だったそうです。前半の話の指導霊は老子、後半の指導霊は孔子ということを聞いたことがあります。このように、当時の講演会には「指導霊」がついていて、話の内容によって指導霊が変わる,と言われていました。これが、私の初めての講演会への参加です。
2013年12月16日月曜日
西荻窪の総合本部を遠くから眺める
幸福の科学の初期霊言集は、潮文社、土屋書店、幸福の科学出版の3つの出版社から出ていました。潮文社発行のものは善川三郎編であり、一番文章量が多く、対話編が中心でした。土屋書店から出るようになってからは大川隆法著という形となり、霊人が語り下ろすという形式になりました。その後幸福の科学出版からは、霊言だけでなく理論書と言われるものも出るようになりました。
幸福の科学の書籍の後ろには、活動概要と入会案内が載っていました。当時の総合本部は東京の西荻窪にあり、その地図も載っていたのです。それによると、中央線沿線の西荻窪駅から歩いてすぐの場所でした。私は中央線で高校に通っていたので,当時の総合本部に興味を持ち、近くまで行ったことがあります。
当時はまだ宗教法人になっていなかったのですが、なにぶん新しい組織ですし、警戒心もありましたから、扉をたたく、などという勇気はなく、そばで様子をうかがうといった程度でした。遠くから総合本部を確認すると,「人生の大学院・幸福の科学」という看板が見えました。
この言葉は、大学を出た後も、人生ではずっと学び続けなければならないものがある、それが神理である、という意味だったかと思いますが、確か「幸福の科学入門」という本に出ていた言葉で、初期のキャッチフレーズでした。この頃の幸福の科学は特定の神様を信仰しなくても良く、会員は好きな霊人をバラバラに信仰していたように思います。信仰と言うよりも、霊人のファンである、と言ったほうが良いかもしれません。
しばらく様子を見ていると、中から背広を着た職員らしき人が出てくるのを見ました。たぶん、正心宝と呼ばれるネックレスをぶら下げていたような気もします。この正心宝というのは、キリスト教信者で言うところの十字架のようなもので、Oの中にRが入ったデザインでした。これは大川隆法の頭文字を意味します。
その職員らしき人は、いたって普通の人に思えました。ニコニコしながら歩いているので、怪しい雰囲気もありません。私は当時,幸福の科学の職員になれるような人は皆悟りを開いており、霊道も開けているのではないかと思っていました。だから総合本部の中に入れば,私に憑いている悪霊を指摘されたり、過去世を当てられたりするのではないかと思っていたので,声をかけたり近づくことはせず、そのまま静かに帰宅したのを覚えています。
幸福の科学の書籍の後ろには、活動概要と入会案内が載っていました。当時の総合本部は東京の西荻窪にあり、その地図も載っていたのです。それによると、中央線沿線の西荻窪駅から歩いてすぐの場所でした。私は中央線で高校に通っていたので,当時の総合本部に興味を持ち、近くまで行ったことがあります。
当時はまだ宗教法人になっていなかったのですが、なにぶん新しい組織ですし、警戒心もありましたから、扉をたたく、などという勇気はなく、そばで様子をうかがうといった程度でした。遠くから総合本部を確認すると,「人生の大学院・幸福の科学」という看板が見えました。
この言葉は、大学を出た後も、人生ではずっと学び続けなければならないものがある、それが神理である、という意味だったかと思いますが、確か「幸福の科学入門」という本に出ていた言葉で、初期のキャッチフレーズでした。この頃の幸福の科学は特定の神様を信仰しなくても良く、会員は好きな霊人をバラバラに信仰していたように思います。信仰と言うよりも、霊人のファンである、と言ったほうが良いかもしれません。
しばらく様子を見ていると、中から背広を着た職員らしき人が出てくるのを見ました。たぶん、正心宝と呼ばれるネックレスをぶら下げていたような気もします。この正心宝というのは、キリスト教信者で言うところの十字架のようなもので、Oの中にRが入ったデザインでした。これは大川隆法の頭文字を意味します。
その職員らしき人は、いたって普通の人に思えました。ニコニコしながら歩いているので、怪しい雰囲気もありません。私は当時,幸福の科学の職員になれるような人は皆悟りを開いており、霊道も開けているのではないかと思っていました。だから総合本部の中に入れば,私に憑いている悪霊を指摘されたり、過去世を当てられたりするのではないかと思っていたので,声をかけたり近づくことはせず、そのまま静かに帰宅したのを覚えています。
2013年12月5日木曜日
太陽の法は私の好奇心を満たしてくれた
前回まで、太陽の法の旧版と新版の比較を行ったのですが、1987年当時の高校三年生の私にとっては、そのようなことはわかるはずもありません。「太陽の法」では神による宇宙と地球の創造、魂の性質、悟り、アトランティスやムーといった超古代文明の様子などといった、スケールの大きな世界観を説いていました。そこには学校の教科書には載っていない、見たことも聞いたこともない話がたくさん載っていたのです。
「幸福の科学には高学歴の人がたくさん入っている」という言葉はよく言われました。特に幸福の科学が急成長しているかのようにテレビで報道された時期はそう言われました。会員は、それを良い意味に捉えていました。東大卒の教祖というのは、とても珍しい存在でしたし、受験勉強を肯定し、社会的成功や経済活動を肯定する新興宗教というのは、大学を卒業したいと思っている人にとってはまことに安心できる宗教に思えました。
しかし一般の人にとっては「高学歴の人が何故、新興宗教に?」という、ネガティブな意味で言っていることが多かったと思います。「幸福の科学?あー、高学歴の人がよくひっかかっているよね」と言われたこともあります。私は「この人はまだまだ新しい宗教に対する偏見があるけれども、幸福の科学は他の宗教とは違う,知的な宗教だということを認めてくださっているのかな」などと我田引水的に考えていました。他人の言葉を都合良く解釈するというのも幸福の科学の特徴です。会員にとっては、「常勝思考」を実践しているつもりなわけですけれど。
私は最近になって思うのですが、学校という所は、ある意味、信じやすい心を持つ訓練を受ける場所でもあるのではないかと思えます。学校の先生が言うことや、教科書に書いてあることに対して疑問や反発を持つ人は、勉強が遅れます。受験勉強は時間との戦いですから、「呑み込みの早さ」が大事なわけです。勉強の基礎は読解力にあります。私は本をある程度読んでいたので、国語も得意でした。それゆえ、他の科目の問題文も素早く理解することができました。ただし、読む本のジャンルは理科系にばかり偏っていたと思います。
初期の会員には読書が苦手な人は少ないように思えます。「太陽の法」で書かれていることは、「霊的な世界」の話であるわけですが、その体系化された大量の知識は読書好きな私の好奇心を満足させたのかもしれません。知識は、もっぱら書物から得るのが普通だったし、書物に書いてあることにウソは無いと信じていたからこそ、まるで食べ物を片っ端から食べていくように幸福の科学の本を次々と読んでいくことが可能だったのです。
しかし私には批判的に書物を読む,という読み方は知らなかった。大人はウソをつくこともあるということや、信用できない人もいる、ということも知らなかった。それどころか、世の中の犯罪者というのは、あのレ・ミゼラブルの主人公のジャン・ヴァルジャンのように、やむにやまれぬ事情があって、心ならずも悪を犯してしまったのである、彼らには同情すべき余地もある、などと考えていたくらいですから、非常に純粋な、ウブな青年だったのを思い出します。先生が言うことや教科書に書いてあることをすんなりと受け入れることができる、という訓練を学校や受験勉強で受けていたからこそ、幸福の科学でも先生=大川隆法主宰先生の言うことを受け入れ続ける姿勢ができたのかもしれません。
「幸福の科学には高学歴の人がたくさん入っている」という言葉はよく言われました。特に幸福の科学が急成長しているかのようにテレビで報道された時期はそう言われました。会員は、それを良い意味に捉えていました。東大卒の教祖というのは、とても珍しい存在でしたし、受験勉強を肯定し、社会的成功や経済活動を肯定する新興宗教というのは、大学を卒業したいと思っている人にとってはまことに安心できる宗教に思えました。
しかし一般の人にとっては「高学歴の人が何故、新興宗教に?」という、ネガティブな意味で言っていることが多かったと思います。「幸福の科学?あー、高学歴の人がよくひっかかっているよね」と言われたこともあります。私は「この人はまだまだ新しい宗教に対する偏見があるけれども、幸福の科学は他の宗教とは違う,知的な宗教だということを認めてくださっているのかな」などと我田引水的に考えていました。他人の言葉を都合良く解釈するというのも幸福の科学の特徴です。会員にとっては、「常勝思考」を実践しているつもりなわけですけれど。
私は最近になって思うのですが、学校という所は、ある意味、信じやすい心を持つ訓練を受ける場所でもあるのではないかと思えます。学校の先生が言うことや、教科書に書いてあることに対して疑問や反発を持つ人は、勉強が遅れます。受験勉強は時間との戦いですから、「呑み込みの早さ」が大事なわけです。勉強の基礎は読解力にあります。私は本をある程度読んでいたので、国語も得意でした。それゆえ、他の科目の問題文も素早く理解することができました。ただし、読む本のジャンルは理科系にばかり偏っていたと思います。
初期の会員には読書が苦手な人は少ないように思えます。「太陽の法」で書かれていることは、「霊的な世界」の話であるわけですが、その体系化された大量の知識は読書好きな私の好奇心を満足させたのかもしれません。知識は、もっぱら書物から得るのが普通だったし、書物に書いてあることにウソは無いと信じていたからこそ、まるで食べ物を片っ端から食べていくように幸福の科学の本を次々と読んでいくことが可能だったのです。
しかし私には批判的に書物を読む,という読み方は知らなかった。大人はウソをつくこともあるということや、信用できない人もいる、ということも知らなかった。それどころか、世の中の犯罪者というのは、あのレ・ミゼラブルの主人公のジャン・ヴァルジャンのように、やむにやまれぬ事情があって、心ならずも悪を犯してしまったのである、彼らには同情すべき余地もある、などと考えていたくらいですから、非常に純粋な、ウブな青年だったのを思い出します。先生が言うことや教科書に書いてあることをすんなりと受け入れることができる、という訓練を学校や受験勉強で受けていたからこそ、幸福の科学でも先生=大川隆法主宰先生の言うことを受け入れ続ける姿勢ができたのかもしれません。
2013年11月18日月曜日
高橋信次霊との最初の霊界通信の際に交わされた会話の内容とは
1987年6月に出版された初版太陽の法では、高橋信次霊との最初の霊界通信で交わされた会話の様子が詳細に述べられています。この部分も、1994年改訂版では大幅に変わった部分です。以下に、新旧二つの版から引用して比べてみましょう。
この最後の高橋霊の言葉は、「高橋信次の新復活」のまえがきに書かれていたものと同じです。「高橋信次の新復活」は「太陽の法」初版が出版された1ヶ月前の1987年5月に出版されています。(大川隆法は高橋信次の後継者を自ら名乗っていた参照)
ここで上記の引用部分をよく読んでみてください。高橋霊の「GLAは、おまえを必要としない。」という言葉は大川隆法の「GLAという団体の協力でもせよとおっしゃるのですか」という質問に対する答えであることがわかります。つまりこれは、「GLAは大川隆法の協力を必要としない」という意味であると捉えるしかありません。ところが新版では以下のように内容が変わりました。
高橋霊の言葉のうち、1番から3番までは、後から付け加えられたものであることがわかります。また、4番に示された高橋霊の言葉に注目してみてください。「GLAは大川隆法の協力を必要としない」という文章の主語が入れ替わり、「大川隆法はGLAの教義や団体を継ぐ必要はない」に変化しています。これは非常に微妙な言葉のすり替えです。
信者の皆さんは、もしも「大川隆法の協力」が「GLAの教義や団体を継ぐこと」を意味するのであれば、文章全体の意味は変わらないのではないかと思うかもしれません。しかしそんなことはあり得ません。なぜなら、大川は高橋信次の娘の高橋佳子が既にGLAを継いでいることを知っていたからです。「お嬢さんがついでおられるGLAという団体の協力でもせよとおっしゃるのですか」という大川の質問に対する答えが、「あなた(大川隆法)はGLAの教義や団体を継ぐ必要はない」というのはあまりにも不自然すぎます。宗教団体に協力をするということと、宗教団体を継ぐということの間にはあまりにも大きな違いがあることに、気がついて欲しいです。
それではなぜ新版の高橋霊は唐突に「GLAの教義や団体を継ぐ必要はない」と言ったのでしょうか?初期の大川隆法が高橋信次の後継者としてデビューしたことを思い出してください。この高橋霊の4番目の言葉は、会の大きな方針転換を信者に知らしめるための言葉なのです。大川隆法は高橋信次の後継者という立場を利用して信奉者集めをし、新団体を立ち上げ、そして1994年になると利用し尽くした高橋信次霊とその信奉者を切り捨てたのです。
もう一度新版の文章を読んでみてください。1番の文章で高橋霊は釈迦の生まれ変わりをほのめかして書いたことに対するお詫びから入っています。2番では釈迦の生まれ変わりは大川であると言い、3番ではさらに宗教団体を作ったことに対して再度お詫びをしています。その後主語が入れ替わった4番を読めば、仮に論理的な意味は同じであったとしても、既に立場は逆転しています。旧版と新版の文章の書き換えの大きな狙いは、大川隆法と高橋信次の立場の逆転にあるのです。
このような不誠実さの漂う言葉のトリックは国のお役人や官僚の文章にもみられますね。私は東大卒の人に特有な文章能力だなぁと感心してしまいます。さらに新版の文章には、ご丁寧にも、私は当時一介の商社マンだったので高橋信次の問題点を把握していませんでした、などと言い訳がましい言葉をつけています。ところが一方、信者の皆さんを混乱させて申し訳なかった、などの謝罪の言葉を述べたことは一度もないのです。高橋信次の霊言で言っていた「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉は間違っていた、釈迦は偉いのだから謝る必要は無い、ということなのでしょう。
このように大川隆法は「自分は悪くない」ということを非常に遠回しに言ったり、教団内の問題を霊の口を借りた上で弟子や部下のせいにする傾向があります。この傾向は最近の離婚騒動で再び顕著になってきたことから、私も最近になってやっと大川隆法の子どもっぽい性格に気がつけるようになってきた次第です。
旧版「太陽の法」
しかし、決定的な瞬間がきました。一九八一年六月のある夜のことです。いままで聞いたこともないような荘厳な声が、突然、私の心に響いてきました。そして、高橋信次という人が、私に、通信を開始したのです。この方は、ちょうど五年前に亡くなっており、私は、その方の生前に一面識もなく、その存在すら知りませんでした。
高橋「大川隆法よ。今日、私は、おまえの使命をあかすために来た。おまえは今後、おおいなる救世の法を説いて、人類を救わなければならないのだ」
大川「先生、私は一介の商社マンです。しかも、かけ出しの新入社員です。この私などに、なにができましょう。それとも、お嬢さんがついでおられる、GLAという団体の協力でもせよとおっしゃるのですか」
高橋「GLAは、おまえを必要としない。おまえは、おまえの道を切り拓け。独力で自分の道を切り拓いてゆけ」
このとき、高橋信次と名のる霊は、私の使命と、私がなにものであるかを語りました。
この最後の高橋霊の言葉は、「高橋信次の新復活」のまえがきに書かれていたものと同じです。「高橋信次の新復活」は「太陽の法」初版が出版された1ヶ月前の1987年5月に出版されています。(大川隆法は高橋信次の後継者を自ら名乗っていた参照)
ここで上記の引用部分をよく読んでみてください。高橋霊の「GLAは、おまえを必要としない。」という言葉は大川隆法の「GLAという団体の協力でもせよとおっしゃるのですか」という質問に対する答えであることがわかります。つまりこれは、「GLAは大川隆法の協力を必要としない」という意味であると捉えるしかありません。ところが新版では以下のように内容が変わりました。
新版「太陽の法」
その高橋信次も、この年の六月、はじめて霊示を送ってきました。内容は簡単なものでしたが、要約すると次のようなものでした。
一 自分は生前、釈迦の生まれ変わりだと説き、かつ、それをほのめかして書いたが、これは間違いであった。関係者にお詫びしたい。
二 あなた(大川隆法)が、釈迦の再来である。
三 指導霊たちに止められていたのに、まわりのすすめるままに、自分はGLAという組織を宗教法人化してしまった。自分の使命は、事業家兼一霊能者までだったのに、宗教にしてしまったために、一九七六年の死後から五年間、妻や長女、弟子たちを苦しめてしまった。まことに申しわけない。
四 以上の理由で、あなた(大川隆法)は、GLAの教義を継ぐ必要も、団体を継ぐ必要もないので、独自の道を歩まれるべきだ。
この時点で、私は、GLAという団体が、高橋信次の死後、空中分解に近い大混乱をまき起こしていたことを十分な情報としてつかみきっておらず、まだ一介の商社マンでした。そのため、高橋信次の問題点を十分に把握していませんでした。
高橋霊の言葉のうち、1番から3番までは、後から付け加えられたものであることがわかります。また、4番に示された高橋霊の言葉に注目してみてください。「GLAは大川隆法の協力を必要としない」という文章の主語が入れ替わり、「大川隆法はGLAの教義や団体を継ぐ必要はない」に変化しています。これは非常に微妙な言葉のすり替えです。
信者の皆さんは、もしも「大川隆法の協力」が「GLAの教義や団体を継ぐこと」を意味するのであれば、文章全体の意味は変わらないのではないかと思うかもしれません。しかしそんなことはあり得ません。なぜなら、大川は高橋信次の娘の高橋佳子が既にGLAを継いでいることを知っていたからです。「お嬢さんがついでおられるGLAという団体の協力でもせよとおっしゃるのですか」という大川の質問に対する答えが、「あなた(大川隆法)はGLAの教義や団体を継ぐ必要はない」というのはあまりにも不自然すぎます。宗教団体に協力をするということと、宗教団体を継ぐということの間にはあまりにも大きな違いがあることに、気がついて欲しいです。
それではなぜ新版の高橋霊は唐突に「GLAの教義や団体を継ぐ必要はない」と言ったのでしょうか?初期の大川隆法が高橋信次の後継者としてデビューしたことを思い出してください。この高橋霊の4番目の言葉は、会の大きな方針転換を信者に知らしめるための言葉なのです。大川隆法は高橋信次の後継者という立場を利用して信奉者集めをし、新団体を立ち上げ、そして1994年になると利用し尽くした高橋信次霊とその信奉者を切り捨てたのです。
もう一度新版の文章を読んでみてください。1番の文章で高橋霊は釈迦の生まれ変わりをほのめかして書いたことに対するお詫びから入っています。2番では釈迦の生まれ変わりは大川であると言い、3番ではさらに宗教団体を作ったことに対して再度お詫びをしています。その後主語が入れ替わった4番を読めば、仮に論理的な意味は同じであったとしても、既に立場は逆転しています。旧版と新版の文章の書き換えの大きな狙いは、大川隆法と高橋信次の立場の逆転にあるのです。
このような不誠実さの漂う言葉のトリックは国のお役人や官僚の文章にもみられますね。私は東大卒の人に特有な文章能力だなぁと感心してしまいます。さらに新版の文章には、ご丁寧にも、私は当時一介の商社マンだったので高橋信次の問題点を把握していませんでした、などと言い訳がましい言葉をつけています。ところが一方、信者の皆さんを混乱させて申し訳なかった、などの謝罪の言葉を述べたことは一度もないのです。高橋信次の霊言で言っていた「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉は間違っていた、釈迦は偉いのだから謝る必要は無い、ということなのでしょう。
このように大川隆法は「自分は悪くない」ということを非常に遠回しに言ったり、教団内の問題を霊の口を借りた上で弟子や部下のせいにする傾向があります。この傾向は最近の離婚騒動で再び顕著になってきたことから、私も最近になってやっと大川隆法の子どもっぽい性格に気がつけるようになってきた次第です。
2013年11月10日日曜日
初版「太陽の法」で語られていた大川隆法の自伝的内容
「太陽の法」初版は1987年6月に出版されました.書き言葉であったためか、私には少々読みにくく、どちらかというと私は予言に関心があったためそれほど感動はしなかったです.後に会員になった人に聞いてみると、熱心な信者ほど太陽の法に感動した、という人が多かったようです。この本は幸福の科学の書籍の中で最も大切な本であるという位置づけであるにもかかわらず、現在に至るまでにその内容は何度も書き換えられています。最も顕著に書き換えられたのは、この本の最後の自伝的な内容でしょう。初版で語られていた内容は、もう今では知らない信者が増えているのかもしれません。
生来、愚鈍で頭の悪かった大川隆法は、小さい頃から努力に努力を重ね,東京大学法学部に一浪してやっと滑り込んだこと。優秀な東大生の中で劣等感を抱き、人と会うと大言壮語をはいていたこと。そんな自分がいやになり、対人恐怖となり、下宿で本ばかり読んでいたこと。赤面恐怖症で女性とも話すことができず、失恋したこと。司法試験や公務員試験にも不合格になったこと。東大に助手として残ろうとしたが、成績不良にしてその道は閉ざされたこと。そして商社に拾われる形で就職したこと。そのようなことが赤裸々に語られています。
当時、私も大学に入って初めて恋をし,そして失恋したばかりだったので、劣等感に苛まれていました。だから、著者の気持ちに共感するものがありました。他の初期信者の皆さんも,このような気持ちに共感した人が多かったのではないでしょうか?大川隆法の気持ちがよくわかるからこそ、彼がやろうとしている新事業を応援したいと思ったのではないでしょうか。
私は、この記述はおそらく本当だったのだろうと思います。真実の大川隆法の姿が、素直に表現されていると思います。大川隆法は劣等感の塊だった。そのことは、真実なのだから、何も恥じることはないはずです。しかし、その後、幸福の科学がマスコミとの戦いを開始した後,彼は自分の過去を書き換えてしまいました。
1994年に改訂された「新・太陽の法」では、小学生の頃から頭が良く、いつもトップクラスの成績だったということになりました。一浪したことや失恋の記述は消えました。大学3年のとき書いた研究論文を読んだ教授からは「君は学者になれば大活躍できるだろう」と言われた,とあります.司法試験の論文式試験で不合格になったのは、あまりにも学問的に成熟した答案を書いたので採点官が後込みしたためであるということになりました。そして総合商社の人事担当者から「三顧の礼」を持って迎え入れられたということになりました。
いったいどちらの記述が正しいのでしょうか?新版の「まえがき」には「この国のジャーナリストや宗教学者には謙譲の美徳が理解できないようなので,飾らずに率直に書いてみた」と書いてあります。本当は新版が正しかったが、旧版を書いた当時は謙虚に表現した方が宗教的かなと思った、という趣旨の発言も聞いたことがあります。信者は「どちらも正しい」と言うと思いますし、私もそう考えていました。しかしよくよく考えてみてください。こんなにも異なる内容の両方ともが正しいなんてあり得ないのです.少なくとも,大川隆法は時と場合によって自分に都合の良いことしか言わないということでしょう.もしこんなことを他の会社の社長がしたら、許されるでしょうか。政治家がこんなことを言ったら経歴詐称です。ましてや大川隆法は世界宗教を目指す宗教団体のトップなのです。
今になって気づいたことですが、謙譲の美徳とはウソをつくこととは違います.飾らず率直な文章とは旧版の文章のことを指すのであって、新版の文章こそが飾った文章であるとしか思えません。自分に自信があるのなら、どうしてこんな180度違うことを書く必要があったのでしょうか? その理由は劣等感が全く癒えていないからではないでしょうか。「人と会うと大言壮語をはく」という性格が、新版の文章を書かせたと考えると、とても良く納得できるのです。
生来、愚鈍で頭の悪かった大川隆法は、小さい頃から努力に努力を重ね,東京大学法学部に一浪してやっと滑り込んだこと。優秀な東大生の中で劣等感を抱き、人と会うと大言壮語をはいていたこと。そんな自分がいやになり、対人恐怖となり、下宿で本ばかり読んでいたこと。赤面恐怖症で女性とも話すことができず、失恋したこと。司法試験や公務員試験にも不合格になったこと。東大に助手として残ろうとしたが、成績不良にしてその道は閉ざされたこと。そして商社に拾われる形で就職したこと。そのようなことが赤裸々に語られています。
当時、私も大学に入って初めて恋をし,そして失恋したばかりだったので、劣等感に苛まれていました。だから、著者の気持ちに共感するものがありました。他の初期信者の皆さんも,このような気持ちに共感した人が多かったのではないでしょうか?大川隆法の気持ちがよくわかるからこそ、彼がやろうとしている新事業を応援したいと思ったのではないでしょうか。
私は、この記述はおそらく本当だったのだろうと思います。真実の大川隆法の姿が、素直に表現されていると思います。大川隆法は劣等感の塊だった。そのことは、真実なのだから、何も恥じることはないはずです。しかし、その後、幸福の科学がマスコミとの戦いを開始した後,彼は自分の過去を書き換えてしまいました。
1994年に改訂された「新・太陽の法」では、小学生の頃から頭が良く、いつもトップクラスの成績だったということになりました。一浪したことや失恋の記述は消えました。大学3年のとき書いた研究論文を読んだ教授からは「君は学者になれば大活躍できるだろう」と言われた,とあります.司法試験の論文式試験で不合格になったのは、あまりにも学問的に成熟した答案を書いたので採点官が後込みしたためであるということになりました。そして総合商社の人事担当者から「三顧の礼」を持って迎え入れられたということになりました。
いったいどちらの記述が正しいのでしょうか?新版の「まえがき」には「この国のジャーナリストや宗教学者には謙譲の美徳が理解できないようなので,飾らずに率直に書いてみた」と書いてあります。本当は新版が正しかったが、旧版を書いた当時は謙虚に表現した方が宗教的かなと思った、という趣旨の発言も聞いたことがあります。信者は「どちらも正しい」と言うと思いますし、私もそう考えていました。しかしよくよく考えてみてください。こんなにも異なる内容の両方ともが正しいなんてあり得ないのです.少なくとも,大川隆法は時と場合によって自分に都合の良いことしか言わないということでしょう.もしこんなことを他の会社の社長がしたら、許されるでしょうか。政治家がこんなことを言ったら経歴詐称です。ましてや大川隆法は世界宗教を目指す宗教団体のトップなのです。
今になって気づいたことですが、謙譲の美徳とはウソをつくこととは違います.飾らず率直な文章とは旧版の文章のことを指すのであって、新版の文章こそが飾った文章であるとしか思えません。自分に自信があるのなら、どうしてこんな180度違うことを書く必要があったのでしょうか? その理由は劣等感が全く癒えていないからではないでしょうか。「人と会うと大言壮語をはく」という性格が、新版の文章を書かせたと考えると、とても良く納得できるのです。
追記:
あまりにも学問的に成熟した答案を書いたら、普通は合格するはずじゃないでしょうかね。普通の人の感覚ならあまりにも非現実的な話であると簡単に気がつくのですが、会員はもっともっと非現実な話を信じることに慣らされているので、この文章の胡散臭さに全く気がつくことができないのです。2013年10月8日火曜日
幸福の科学の信者が持つ世界観
幸福の科学の霊界論によれば,あの世の世界には時間が存在せず,地獄以外の天国は常に昼間であって夜がなく,霊人は太陽の光を浴びている.この霊界にある太陽は「霊太陽」と呼ばれ,霊人が活動するためのエネルギー源になっている,とされています.5次元善人界の人たちは,この「お天道様」に手を合わせて感謝をしている.これが信仰心の始まりであると言います.この「神様に対する信仰と感謝」が人間の魂を生かしているし,自分が「善の側」あるいは「神の側」の立場に立っていることの条件にもなっているわけです.
一方,地獄霊は「悪想念」を心から黒い雲のように出しているため,それが霊太陽の光を遮り,4次元世界の一部に真っ暗な地獄界を形成している.彼らは霊太陽からのエネルギーを受けられないため,地獄霊は3次元世界(この世)に頻繁に出てきては,地上の人間に取り憑き(憑依と言います),この世の人間が出す「悪想念」を自らのエネルギー源としている.生前,地獄霊にずーっと憑依されていた人は,例えこの世で幸福そうな生き方をしたとしても,死後は地獄に堕ちることになる・・・.おおざっぱですが,大体このような世界観になっています.
ですから,信者にとってこの世というのは4次元世界に近いため,非常に悪霊に憑依されやすい世界だと思っています.少しでもイライラしたりすれば悪想念は出てしまうし,それを狙って悪霊もやってきてしまう.心に浮かんだ信仰に対する小さな疑念も,悪想念となるので,悪魔を呼び寄せるきっかけとなってしまいます.
この世で生活すると言うことは,ちょうど潜水服を着た人が深海に潜って生活するようなもので,中の人が霊に相当し,重たい潜水服に相当するのが肉体です.潜水服を着た人は空気がなければ生きていけないのと同じように,信者は神の光を受けなければ幸福な人生を歩むことはできないと思っています.
そのため,常に悪い思いが自分から出ないかどうかチェックしているし,幸福の科学の書籍やテープを読んだり,精舎で反省・瞑想をしたり,悪霊撃退祈願をしたりして神の光を受けなければならないと思っています.あるいはリーダー格の信者にとっては神様から受けた光を他の人に与える行為=与える愛の行為が,書籍を他の人に配ったり,月刊誌をポストに配布したり,友達を講演会に誘ったりという行動につながっていくわけです.
一般の人が信者を理解しようとした場合,この世界観を理解しなければなかなか話が通じないと思います.信者にとって,霊界は身近な世界であり,現実です.「あらゆる出来事の原因・理由を知りたい・探りたい」というのは人間の心の持つ根源的な本能だと私は思いますが,幸福の科学の信者はこの世で起きた様々な出来事をあの世に関連付けて理解しています.つまり,「あの世からの影響が何であるか?」ということを常に意識しているのです.
一般の人が信者と話をしていて感じる違和感は,あらゆる議論が最終的には「霊界ではこうだから」という,霊能者以外の人には確認のしようがないこと,信じるしかないことに帰着してしまう,そして,そこで議論が平行線となりストップしてしまう,というところから来るのではないかと私は思っています.
一方,地獄霊は「悪想念」を心から黒い雲のように出しているため,それが霊太陽の光を遮り,4次元世界の一部に真っ暗な地獄界を形成している.彼らは霊太陽からのエネルギーを受けられないため,地獄霊は3次元世界(この世)に頻繁に出てきては,地上の人間に取り憑き(憑依と言います),この世の人間が出す「悪想念」を自らのエネルギー源としている.生前,地獄霊にずーっと憑依されていた人は,例えこの世で幸福そうな生き方をしたとしても,死後は地獄に堕ちることになる・・・.おおざっぱですが,大体このような世界観になっています.
ですから,信者にとってこの世というのは4次元世界に近いため,非常に悪霊に憑依されやすい世界だと思っています.少しでもイライラしたりすれば悪想念は出てしまうし,それを狙って悪霊もやってきてしまう.心に浮かんだ信仰に対する小さな疑念も,悪想念となるので,悪魔を呼び寄せるきっかけとなってしまいます.
この世で生活すると言うことは,ちょうど潜水服を着た人が深海に潜って生活するようなもので,中の人が霊に相当し,重たい潜水服に相当するのが肉体です.潜水服を着た人は空気がなければ生きていけないのと同じように,信者は神の光を受けなければ幸福な人生を歩むことはできないと思っています.
そのため,常に悪い思いが自分から出ないかどうかチェックしているし,幸福の科学の書籍やテープを読んだり,精舎で反省・瞑想をしたり,悪霊撃退祈願をしたりして神の光を受けなければならないと思っています.あるいはリーダー格の信者にとっては神様から受けた光を他の人に与える行為=与える愛の行為が,書籍を他の人に配ったり,月刊誌をポストに配布したり,友達を講演会に誘ったりという行動につながっていくわけです.
一般の人が信者を理解しようとした場合,この世界観を理解しなければなかなか話が通じないと思います.信者にとって,霊界は身近な世界であり,現実です.「あらゆる出来事の原因・理由を知りたい・探りたい」というのは人間の心の持つ根源的な本能だと私は思いますが,幸福の科学の信者はこの世で起きた様々な出来事をあの世に関連付けて理解しています.つまり,「あの世からの影響が何であるか?」ということを常に意識しているのです.
一般の人が信者と話をしていて感じる違和感は,あらゆる議論が最終的には「霊界ではこうだから」という,霊能者以外の人には確認のしようがないこと,信じるしかないことに帰着してしまう,そして,そこで議論が平行線となりストップしてしまう,というところから来るのではないかと私は思っています.
2013年10月6日日曜日
当時「あの世」について考えたこと
1987年は「救世の法三部作」が出版された年でもありました.6月に「太陽の法」,8月に「黄金の法」,10月には「永遠の法」といった具合です.最初、私は霊言集ばかり読んでいたのですが,だんだん読む本がなくなっていったときに,やはり著者である大川隆法の「理論書」にも手を出し始めることになるのは自然なことでした.
最初に手に取ったのは,「永遠の法」です.これは死後の世界(あの世,霊界)について述べたものです.幸福の科学では「この世」を3次元と呼び,「あの世」を4次元から9次元の世界まで,たくさんの階層に分けています.そして、人間は死後、生前の心と行いに応じた世界に還ると説いていました。
私はリアルタイムになされる霊言によって、あの世のことをある種のリアリティを持って感じていましたので、その頃はこの本の内容をずいぶんすんなりと受け入れていたかなと思います。ただ、縦、横、高さの3つの次元に加え、第4の次元を「時間」としたのは良いとしても、第5の次元を「精神」、第6の次元を「神理知識」、第7次元を「利他」、第8次元を「慈悲」、第9次元を「宇宙」・・・といったような精神的な要素を当てはめたことにはやや違和感を持ちました。精神的なものはその精神を持った人間が頭の中に思い浮かべるものであって、それが人間の外部にも存在するかのように語るのはいかがなものか。それを果たして本当に「空間」の説明に使えるのだろうか?
ところが様々な霊言集に登場した霊人の言葉によれば、霊界とは精神の世界であり、見る人によって見え方が異なる主観的な世界であるということでした。そうすると、第5次元以降を精神的な要素で表現するためには、精神的な現象、例えば「想念」とか「表象」、「夢」といったものも、具体的な現実でなければならないのではないか。
唯識には「一水四見」という話があります。人間にとって川に見えるものは魚にとっては住処であり天人にとっては水晶の床、そして地獄の餓鬼にとっては燃え上がる膿の流れに見える、と。つまり、霊界は主観的な世界だけれども、存在しないわけではなく、必ず認識できるのではないか。もしそうなら、いつの日か、あの世を科学的に解明できる日が来るのではないだろうか、と考えたりしました。あの世の探求と解明―それは、21世紀の大きなテーマになるのではないか?と期待が膨らみました。
シュタイナーの「いかにして超感覚的世界を認識するか」という本などを一生懸命読んだこともありました。やはり霊界を認識するためには、この世に囚われたものの見方から離れて、あの世を見ようとする訓練をしなければならないのではないだろうか。そのためには、高橋信次先生の言うように「心の曇り」を取り払い、神の光が差してくるような心理的状態になる必要がある。そうなろうとして、家で独りになり、深呼吸をして、反省・瞑想の真似事をしてみたりもしました。
私は、亡くなった祖父が火葬場で焼かれるのを見ていました。人間の最後の姿は空に立ち昇る煙と、白くなった骨と灰。それで全てが終わってしまうのだろうか。それはあまりにも寂しすぎるのではないか。もしあの世があり、祖父は死後も霊として生き生きと生活し、5次元の世界で幸せに暮らしているとしたら、そのような世界観のほうが楽しくはないだろうか。今まで誰もなしえなかったあの世の証明を、彼はしようとしているのかもしれない。このように考えて、私はますます大川隆法の本を読み進めていきました。
最初に手に取ったのは,「永遠の法」です.これは死後の世界(あの世,霊界)について述べたものです.幸福の科学では「この世」を3次元と呼び,「あの世」を4次元から9次元の世界まで,たくさんの階層に分けています.そして、人間は死後、生前の心と行いに応じた世界に還ると説いていました。
私はリアルタイムになされる霊言によって、あの世のことをある種のリアリティを持って感じていましたので、その頃はこの本の内容をずいぶんすんなりと受け入れていたかなと思います。ただ、縦、横、高さの3つの次元に加え、第4の次元を「時間」としたのは良いとしても、第5の次元を「精神」、第6の次元を「神理知識」、第7次元を「利他」、第8次元を「慈悲」、第9次元を「宇宙」・・・といったような精神的な要素を当てはめたことにはやや違和感を持ちました。精神的なものはその精神を持った人間が頭の中に思い浮かべるものであって、それが人間の外部にも存在するかのように語るのはいかがなものか。それを果たして本当に「空間」の説明に使えるのだろうか?
ところが様々な霊言集に登場した霊人の言葉によれば、霊界とは精神の世界であり、見る人によって見え方が異なる主観的な世界であるということでした。そうすると、第5次元以降を精神的な要素で表現するためには、精神的な現象、例えば「想念」とか「表象」、「夢」といったものも、具体的な現実でなければならないのではないか。
唯識には「一水四見」という話があります。人間にとって川に見えるものは魚にとっては住処であり天人にとっては水晶の床、そして地獄の餓鬼にとっては燃え上がる膿の流れに見える、と。つまり、霊界は主観的な世界だけれども、存在しないわけではなく、必ず認識できるのではないか。もしそうなら、いつの日か、あの世を科学的に解明できる日が来るのではないだろうか、と考えたりしました。あの世の探求と解明―それは、21世紀の大きなテーマになるのではないか?と期待が膨らみました。
シュタイナーの「いかにして超感覚的世界を認識するか」という本などを一生懸命読んだこともありました。やはり霊界を認識するためには、この世に囚われたものの見方から離れて、あの世を見ようとする訓練をしなければならないのではないだろうか。そのためには、高橋信次先生の言うように「心の曇り」を取り払い、神の光が差してくるような心理的状態になる必要がある。そうなろうとして、家で独りになり、深呼吸をして、反省・瞑想の真似事をしてみたりもしました。
私は、亡くなった祖父が火葬場で焼かれるのを見ていました。人間の最後の姿は空に立ち昇る煙と、白くなった骨と灰。それで全てが終わってしまうのだろうか。それはあまりにも寂しすぎるのではないか。もしあの世があり、祖父は死後も霊として生き生きと生活し、5次元の世界で幸せに暮らしているとしたら、そのような世界観のほうが楽しくはないだろうか。今まで誰もなしえなかったあの世の証明を、彼はしようとしているのかもしれない。このように考えて、私はますます大川隆法の本を読み進めていきました。
2013年9月28日土曜日
「やがて関西から若い青年が現れる」という予言は本当にあったのか?
高橋信次霊のことをブログに書いているうちにわかったことは,当時の私は「高橋信次霊ファン」であったが「生前の高橋信次」に興味関心は全くなかったということです.それゆえ,あれから20年以上経った今になって,やっと生前の高橋信次について調べてみる気になりました.
まず,生前の高橋信次は「やがて関西から若い青年が現れる」という予言を本当にしたのだろうか?という疑問があったのですが,どうやら本当のようです.次のホームページ「真我の探求と高橋信次という方」を見ると,そのことが書かれています.
この「K会のO主宰」とは,幸福の科学の大川主宰のことでしょう.私は,関西とは大阪・京都・兵庫・滋賀・奈良・和歌山を指していると思っておりましたが,「関西方面」という言い方では上記に加え,福井・三重・徳島などを含める場合もあるそうです.もしそうであれば,大川隆法の出身地は徳島ですので,広い解釈を取れば出身地を偽ったわけではないのでしょう.いずれにせよ,大川隆法は初期の頃,GLA内部で起きていた高橋信次の後継者争いに外部から加わったのだろうと思われます.
生前の高橋信次は言うことがコロコロと変わることがよくあったようです.「関西の青年が現れる」という予言だけが後継者を指名していたのではなく,GLAの設立当初から,後継者が指名されていたという話もあります.また,上記で引用させて頂いたページには,こんな話も出ています.
私はこれ以上深く調べることはできませんでしたが,GLAと初期の幸福の科学はとても似ているという印象を持ちました.そして,宗教団体のトップの言葉がコロコロと変わると,信者はそれに振り回されてしまい,さらには教団の分裂や後継者争いに至るのだと思いました.大川隆法はこの高橋信次を非常に良く研究していたと思います.だから分裂や混乱を防ぐために非常に気をつけるようになったのだと思います.
まず,生前の高橋信次は「やがて関西から若い青年が現れる」という予言を本当にしたのだろうか?という疑問があったのですが,どうやら本当のようです.次のホームページ「真我の探求と高橋信次という方」を見ると,そのことが書かれています.
さて、問題の「やがて関西から若い青年が現れる」という予言は、1974年頃からたびたびご発言されることがありました。
(中略)
そうした「関西から現れる若い青年」になりたいという志願者(笑)が何人も現れ、
「我こそは・・・・」という状況になりました。
当事者の方はともかく、周囲の方がそのように考えたかったのかも知れません。
そうした点で選挙の支持者や後援会によく似ています。(笑)
関西本部では、本部長のK氏を、しかし残念ながら、決して若くはありませんでした。(笑)
また、関西本部のN氏は、信次先生の妹さんが支持されたために、「我こそは…、」となりました。
しかしこの方も決して若くはありませんでした。
さらには、東京でも、「関西というのはまちがい、横浜と言われていたのもまちがい、京浜地区だった…
青年というのもまちがい、本当は女性で大学生…」というGLA開設時からの予言と合体させた新解釈を強く主張される方も現れました。
そのずっと後のことですが、GLAの外側からも新解釈登場で、
「K会のO主宰のことだ…」という主張も出てきました。
K会の初期はGLAを脱退した方々が中心になって作ったようなもので、そうした方々も、
「やがて関西から若い青年が現れる」という先生の予言を知っていたからです。(笑)
しかし、この方は関西ではなく四国でしたので、「関西ではなく、関西方面のまちがいだったのだ」という解釈でした。
この「K会のO主宰」とは,幸福の科学の大川主宰のことでしょう.私は,関西とは大阪・京都・兵庫・滋賀・奈良・和歌山を指していると思っておりましたが,「関西方面」という言い方では上記に加え,福井・三重・徳島などを含める場合もあるそうです.もしそうであれば,大川隆法の出身地は徳島ですので,広い解釈を取れば出身地を偽ったわけではないのでしょう.いずれにせよ,大川隆法は初期の頃,GLA内部で起きていた高橋信次の後継者争いに外部から加わったのだろうと思われます.
生前の高橋信次は言うことがコロコロと変わることがよくあったようです.「関西の青年が現れる」という予言だけが後継者を指名していたのではなく,GLAの設立当初から,後継者が指名されていたという話もあります.また,上記で引用させて頂いたページには,こんな話も出ています.
高橋信次先生がある時、関西から若者が出てくると言われました。わたしとS氏が呼ばれたとき、すでにその話は伺っていましたので、すぐにピンときました。わたしとS氏が伺ったときはもっと詳しく、関西方面というのは四国出身で、その方の父親はSという宗教団体に入っていて、そこの講師である…、その若者とあなたたちは一緒にやるようになるだろう…と言われました。・・・・しかしその後(2~3年後?)、事務所が八起ビルの地下に移って間もない頃、「見ていなさい、その人間は真っ赤な偽物である…。金襴緞子(きんらんどんす)の格好をして皆の前に現れるよ。菩薩だ、如来だといわれるような方は決してそんなこけおどしの格好などはしないよ…」と言われました。
また、外国に生まれていると言われた方を、すでにこの日本に今いると訂正されたこともあります。また、同じ過去世の方が二人出てきてしまったりしたこともあります。高橋信次先生でさえ、徐々にわかってくることも、決して少なくはなかったのです。「…過去世というものは、最終的には、本人が自覚して思い出さなければわからない…」と言われたこともあります。
私はこれ以上深く調べることはできませんでしたが,GLAと初期の幸福の科学はとても似ているという印象を持ちました.そして,宗教団体のトップの言葉がコロコロと変わると,信者はそれに振り回されてしまい,さらには教団の分裂や後継者争いに至るのだと思いました.大川隆法はこの高橋信次を非常に良く研究していたと思います.だから分裂や混乱を防ぐために非常に気をつけるようになったのだと思います.
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